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  • 執筆者の写真高岡洋詞

ヴェラ・リンから始まる「さよならを教えて (Comment te dire adieu?)」大追跡


 戦前から活躍し、70年以上にわたって愛されたイギリスの歌手ヴェラ・リンが2020年6月18日に亡くなった。恥ずかしながら詳しくは知らないが、持ち歌の “It Hurts to Say Goodbye” は知っていた。僕の大好きなフランソワーズ・アルディの “Comment te dire adieu?(さよならを教えて)” はこの曲のフランス語ヴァージョンなのだ。

 大好きなくせに一度も故事来歴を調べたことがなかった僕が、偶然その機会を得たのは8年前のある日。いざ探索の旅に出てみたら、1960年代のヒット曲にはよくあることだが、複数の言語が入り乱れて多くのヒットが生まれた一大カヴァー物語だった。当時ツイッターにも書いたが、これを機にあらためて記事にまとめておく。


●英国の国民的歌手、103歳で逝去


 イギリスの歌手ヴェラ・リンが亡くなった。1917年生まれ、享年103。死因など詳細は明らかにされていないが、大往生と言っていいだろう。


ヴェラ・リン

 1930年代にデビュー、第二次世界大戦中にイギリス軍が進駐したエジプト、インド、ビルマで慰問公演を行い「軍の恋人 (The Forces' Sweetheart)」と呼ばれた。戦後も人気を保ち、イギリス人アーティストとして初めて全米1位になった1952年の “Auf Wiederseh'n, Sweetheart” をはじめ、1954年の “My Son, My Son” などのヒット曲を持つ。


 1991年にレコーディング活動を引退するが、2009年に We'll Meet Again: The Very Best of Vera Lynn で存命中のアーティストとしては史上最高齢の英国チャート1位を記録。2017年にはオリジナル歌唱にオケをリニューアルして現代の歌手を多数フィーチャーした企画アルバム Vera Lynn 100 で3位に輝いた。70年以上の長きにわたって国民的な敬愛を集め続けた稀有な歌手である。エルトン・ジョンポール・マッカートニークリフ・リチャードも、彼女に比べれば若手だろう。


 代表曲は1939年の “We'll Meet Again。1943年には同題の映画も作られ、リンも出演した。


ヴェラ・リン "We'll Meet Again" のSPレーベル

“We'll Meet Again のSP



 2020年4月5日、エリザベス女王COVID-19パンデミック下でのテレビ演説でこの曲に言及し、5月8日の戦勝記念日にはキャサリン・ジェンキンスがロイヤル・アルバート・ホールでリンのホログラム映像とヴァーチャルデュエットを披露した。


 ──と、いまだに通り一遍の知識しかないのだが、訃報を目にしたとき「“It Hurts to Say Goodbye を歌っていた人だ!」と思い出した。リンにとっては1967年のヒット曲。アメリカで前年に発表された曲のカヴァーだった(なぜかリンが1954年に発表したという記述をよく見るが誤りである)。


● “It Hurts to...” は米国から世界へ


 僕が It Hurts to Say Goodbye を初めて聴いたのは8年前のこと。フランソワーズ・アルディComment te dire adieu? が昔から大好きで、YouTubeで動画を見ていたら右側に出てきた関連動画にリンのこの曲があった。


 聴いてみたらアレンジは違うがメロディが同じで、発売も1年早い。Comment te dire adieu?It Hurts to Say Goodbye のフランス語ヴァージョンだったと知った瞬間である。順番が逆になるのは後追い世代にはよくあることだが、曲調からアレンジまであまりにもいわゆる “フレンチ・ポップ” のイメージを体現しすぎていて、大した根拠もなくセルジュ・ゲンスブールの曲と思い込んでいたのだ。


 クレジットをあらためて見てみたら、作者はゲンスブールアーノルド・ゴランドジャック・ゴールドの3人。ゴランドとゴールドはアメリカの作曲家である。とするとゲンスブールはフランス語詞と、あとアレンジもそうかな……と仮説を立てて、2012年のある日、ネットでこの曲を追った。


 最初に歌ったのが誰か、はすぐに判明した。マーガレット・ホワイティング1924年デトロイト生まれのポピュラー/カントリー歌手である。1945年にデビューし、1950年代が全盛期だった人だ。“It Hurts to Say Goodbye” は1966年のアルバム The Wheel of Hurt に収録。ゴランドとゴールドはアルバムのプロデューサーでもある。


マーガレット・ホワイティング『The Wheel of Hurt』ジャケット

“It Hurts to Say Goodbye” はB面1曲め



 ホワイティングの原曲はカントリーテイストが強い8分の6拍子のバラード。アルバム曲だがたくさんカヴァーされたのは、翌1967年にこの曲を取り上げてシングル化し、アメリカのアダルトコンテンポラリーチャート7位に送り込んだヴェラ・リンのおかげではないか。


ヴェラ・リン "It Hurts to Say Goodbye" レーベル

ヴェラ・リン版シングル



 アレンジはさらにドラマチック。なんとなくボンド映画の主題歌っぽい印象を受けるのは “イギリスのポピュラーヴォーカル” のイメージが強すぎるだろうか。


 この年にはアメリカの人気コメディ俳優/歌手ジム・ネイバーズもアルバム By Requestカヴァーしており、カナダのジネット・レノによる最初のフランス語ヴァージョン “Avant de dire adieu”マリア=レーナのフィンランド語版 “Kai vielä kohdataan”(未聴)も世に出ている。


 1967年のカヴァー群の中で重要なのが、ブラジルのワルター・ワンダレイ(ヴァウテル・ヴァンデルレイ)の演奏(アルバム Batucada に収録)だ。グッとテンポを上げ、ラテンパーカッションをからめて原曲の引きずるようなハチロクをライトウェイトなボサノヴァリズムに改変。ワンダレイのハモンドオルガンでさらに軽妙さを増したインストで、 “Comment te dire adieu?” との中間点に位置するアレンジといえる(ティト・プエンテ“Oye Como Va” に似たイントロがついている)。



 フィリピンでは1960年代終わりごろにカヴァーが量産されたようで、メルシー・モリーナノーマ・バラグタスグロリア・セルガらが歌った。いずれも英語詞でアレンジはヴェラ・リン版を踏まえている。異色なのがバディ・カスティーヨ & ザ・リスナーズのヴァージョン。エルヴィススタイルの歌唱とボレーロの組み合わせが面白い。



●才媛アイドルだったアルディ


 1944年パリ生まれのフランソワーズ・アルディは、名門ソルボンヌ在学中に新聞で見た歌手募集の広告に応募し、ディスク・ヴォーグから1962年に “Oh oh chéri” デビューした。同曲と自作ロジェ・サミンとの共作)“Tous les garçons et les filles を含むEP Contact avec Françoise Hardy がいきなりミリオンセラーになり、1960年代を代表するアイドル歌手/俳優として大活躍する。


 英語、イタリア語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語でも歌っているのはヨーロッパ中で愛されたことの証明だろう。特にイギリスで人気があり、ジョン・レノンからポール・マッカートニー、ミック・ジャガーデヴィッド・ボウイに(アメリカだけど)ボブ・ディランまで、錚々たるスターたちも夢中だったとか。元祖引きこもりシンガーソングライターのニック・ドレイクもわざわざパリまで会いに行ったというからすごい(会えなかったらしいが)。


フワンソワーズ・アルディ

 シャイな性格と名門大学中退の知性に加え、作詞作曲の才にも長けた彼女はアイドル人気をよしとせず、1970年代に入るとコンサート活動を引退してシンガーソングライター的なスタイルにシフトしていく。 1968年にリリースされた “Comment te dire adieu?” はアイドル時代最後の名曲と言っていいかもしれない。


フランソワーズ・アルディ "Comment te dire adieu" EP、シングル、アルバムジャケット

左からEP、シングル、アルバム



 レーベルには “It Hurts to Say Goodbye” と書き添えてあり、同曲のフランス語ヴァージョンという位置づけだったことがうかがえる。オーケストラをフィーチャーした原曲からメロディだけ抽出し、アコギ+ベース+ドラムスにストリングスとトランペットを加えて、編成もリズムも根本から変えたアレンジがすばらしい。アルディの少しこもった声と訥々とした歌にバッチリ合っていて、神々しいほど輝いている。


 アルディはこの曲を1968年にイタリア語(“Il pretesto)、1970年にドイツ語(“Was mach' ich ohne dich)でも歌っている。


 脱アイドル後も彼女は息の長い活動を続け、優れた作品を多数発表してきた。現時点での最新作 Personne d'autre(2018年)もすばらしいので、ぜひ聴いてみてほしい。



 それにしても、1960年代のアルバムやEPのジャケットに映ったアルディは、50年後のいま見ても抜群にチャーミングだ。いかにもシャイで意志の強い才女といった雰囲気で、媚びのない涼しげな目元にラフな髪型がよく似合う。服装も多くのファッションデザイナーやスタイリストにインスピレーションを与えたという。先述した通り名だたるロックスターたちを虜にしたのも納得である。


1960年代のフランソワーズ・アルディのEPジャケット


● “Goodbye” から “Adieu


 “It Hurts to Say Goodbye” のさまざまなヴァージョンを聴いて気になったのは、根本から趣の異なる “Comment te dire adieu?” のアレンジを誰がしたのか、ということだ。ワルター・ワンダレイ版を間にはさむと少しギャップが埋まるものの、まだかなり距離はある。


 Wikipedia(フランス語が読めないので英語)を見ると、アルディが同曲の “アメリカン・インストゥルメンタル・ヴァージョンを耳にし、それに合うフランス語詞をマネージャーがセルジュ・ゲンスブールに依頼した、と書いてある。僕が「さすがイェイェの国だな」と思っていたアレンジは、実はアメリカ産だったというわけだ。


 当然「誰の演奏だったのか?」が気になるわけだが、Wikipediaには演奏者不明とあるし、アルディの証言もないので確定情報はない。したがってあくまで仮説でしかないが、作者のひとりであるアーノルド・ゴランドが吹き込んだインスト版だったのではないか。



 1967年、『イヴの総て』『ジュリアス・シーザー』『探偵スルース』などで知られるジョゼフ・L・マンキウィッツ監督のアメリカ映画『三人の女性への招待状』Guêpier pour trois abeilles のタイトルでフランスで封切られたとき、テーマ曲 The Honey Pot(映画の原題と同じ)のシングルのB面として発売されたそうだ(アメリカでは未発売)。


 レーベルやジャケットを確認したくて探してみたが、見つかった写真はアルディ版がヒットした後にそのインスト版を謳ったものばかりで、実際に1967年に発売されたのかどうかはわからない。ただ、タイトルは “It Hurts to Say Goodbye” だし、聴いてみるとバスドラ4連打で始まるイントロからテンポ、メロディの管弦への振り分けまでほぼアルディ版と同じ。アルディが『三人の女性への招待状』を見たときにこれを耳にして気に入り、フランス語詞を乗せることを思いついたと仮定するとすべてがつながる。下敷きにしたというより、これに歌を乗せただけに近い印象なのだ(アンサンブルはちょっと違うけど)。


アーノルド・ゴランド "The Honey Pot / It Hurts to Say Goodbye" スリーヴ

スタンプの文言からしてアルディ版のヒット後に引っ張り出した在庫品?


 “Comment te dire adieu?” の肝は、原曲のBメロをストリングスに任せて切々とつぶやかれるモノローグ。アルディの唯一無二の声質が光るこの味つけがゲンスブールのアイデアだったとするとお話としては美しいが、実際のところ誰だったのだろうか。


 1969年に発表されたもうひとりの作者ジャック・ゴールド版 “It Hurts to Say Goodbye” はラテン風味を強めたコーラス入りの快適なラウンジミュージック。ラテンベースなのでワルター・ワンダレイ版に近いが、こちらは女性のモノローグを入れている。アルディ版のアレンジが作者に還流したかのようで、なかなか感動的だ。


ジャック・ゴールド "It Hurts to Say Goodbye"


●日本でも愛される「さよならを教えて」


 “Comment te dire adieu?” は世界中でヒットし、さまざまな言語でカヴァーされた。こと影響力に関しては本家を凌いでいるかもしれない。先述のWikipediaに載っているのは、のちにABBAのメンバーになるアンニ=フリッド・リングスタッドによるスウェーデン語版 “Så synd du måste gå(1969年) 、ハナ・ヘゲロヴァチェコ語版 “Rýmování o životě(1973年)、アイダ・ヴェディシェヴァロシア語版 “Моя мечта(1974年)など。探せばまだまだありそうだが、きりがないので深入りはしないでおく。


 フランスのイージーリスニングの巨匠カラヴェリ(1969年。曲名は “It Hurts to Say Goodbye”)やブラジルのベース/ハモンド奏者エジ・リンコーンの変名ジ・サヴォヤ・コンボ(1969年。こちらは “Comment te dire adieu?” だ)をはじめ、インスト版もたくさんある。


 日本語ヴァージョンもたくさん作られたが、有名なのは戸川純が自ら日本語詞をあてた「さよならをおしえて」だろう。アルバム『好き好き大好き』(1985年)に収録され、翌年ヴォーカルを吹き込み直してシングルカットされた。2018年に戸川純 avec おおくぼけい『Jun Togawa avec Kei Ookubo』でも歌っている。


戸川純「さよならをおしえて」ジャケット

テクノポップアレンジは国本佳宏



 日本では1973年に「さよならを教えて」の邦題でベストアルバム『フランソワーズ』とともにCBS・ソニーEPICレーベルから発売されてヒットした。


フランソワーズ・アルディ「さよならを教えて」ジャケット

1979年に山田太一脚本のTVドラマ『沿線地図』に使われてヒットした


 1972年に美岐陽子(シングル)と小川知子(アルバム『別れてよかった』万里村ゆき子の日本語詞で「涙が微笑みにかわるまで」と題してカヴァーしているが、その影響だろうか。このあたりは後追いだとわかりにくい。なお「涙が微笑みにかわるまで」は木之内みどりも1976年のアルバム『透明のスケッチ』で歌っている。


美岐陽子のシングル、小川知子のアルバム、木之内みどりのアルバムのジャケット

左から美岐陽子のシングル、小川知子のアルバム、木之内みどりのアルバム


 なお小川知子の1972年の16thシングル「若草の頃」が “Comment te dire adieu?” によく似ている(作曲は川口真)。同曲の発売は12月で、「涙が微笑みにかわるまで」を収録したアルバム『別れてよかった』が6月だから、カヴァーの好評をうけて似た曲をオーダーしたのかもしれない……と書いてはみたものの、そんなことってあるんだろうか。


小川知子「若草の頃」ジャケット

1968年に「ゆうべの秘密」で歌手デビューし、絶大な人気を誇った



 “「さよならを教えて」歌謡の代表格は荒井由実作詞・作曲の「まちぶせ」である。彼女には「私のフランソワーズ」という曲(1974年の『MISSLIM』に収録)もあるくらいで、ファンだったのだろう。初出は1976年、三木聖子のデビューシングル。ユーミンは三木の実体験に取材して書き下ろしたそうだ。



 このときはオリコン最高位47位とさほど売れなかったが、1981年に石川ひとみが11thシングルとしてカヴァー。6位まで上昇し、彼女にとって最大のヒットになった。1978年にデビューした石川はそれまでタレントとしては売れっ子だったがまだヒット曲がなく、のちに「この曲で歌手としてはひと区切りつけるつもりだった」と語っている。最後のサビの “胸の奥でずっと” で感極まったかのように少し声がかすれているのは、そうした思いの表れだろうか(2分46秒あたり)。



 ユーミン自身も1996年、28thシングルとして荒井由実名義でセルフカヴァーした。三木聖子版、石川ひとみ版と同じく松任谷正隆のアレンジだが、こちらはスカ風である。



三木聖子、石川ひとみ、荒井由実の「まちぶせ」ジャケット

左から三木聖子、石川ひとみ、荒井由実版のシングル


 ヴェラ・リンの訃報からぐねぐねとそれながら長々と話してきたが、アーノルド・ゴランド版の “It Hurts to Say Goodbye” を追跡しきれていないのが心残りだ。BMGフランスから2005年に発売されたラウンジ/イージーリスニングのコンピ Hotel Byblos Saint-Tropez Since 1967: Volume 3 で聴けるが、現物を入手していないので録音年などのクレジットを見たことがなく、1967年のヴァージョンなのかどうかも未確認。情報をお持ちの方、ぜひご教示ください。アルディのウェブサイトにメールしてみようかな。


追記:アーノルド・ゴランドの “The Honey Pot が聴けるところはないかなと思って探していたら、ほぼ同じことをコツコツ調べ上げたスペイン語のブログを発見して笑った(当然、日本での受容についての言及はないが)。「同志よ」と呼びかけたい気分だ。このブログにはアルディがゴランドの “It Hurts to Say Goodbye” を聴いたのが1968年、「音楽編集者のオフィス」だったと書かれているが、アルディの自伝 Le Désespoir des singes... et autres bagatelles(2008年)に記述があったりするのだろうか。


フランソワーズ・アルディ自伝の書影

イギリスで人気があっただけに英訳も。読んでみます!




アーノルド・ゴランド "It Hurts to Say Goodbye" ジャケット

 追記:Discogsでアーノルド・ゴランド版 "It Hurts to Say Goodbye" のジャケットつきシングル(記事執筆時には見つけられず)が出ていたことがわかったので、アップしておきます。1968年発売のようですが、「"Comment te dire adieu" のオリジナルヴァージョン」と書いてあるので、当時のリスナーにもカヴァー曲と認識されていたのでしょう。 なお作者クレジットにはゲンスブールの名前も入っています。

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