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過去に雑誌などに掲載されたレヴュー、インタヴュー、コラムなどから、比較的よく書けたもの、思い入れのあるものを見つくろって随時アーカイヴしていきます。やり方はいまだに模索しているので、ある日ガラッと変わるかもしれません。

REVIEW

(2013/08)

MAX「Tacata'」
爆乳金「ダンシング乳房」

(左)SONIC GROOVE 2013/08/07(CD、配信)

(下)プラチナム・パスポート 2013/07/24(CD、配信)

 この夏一番のシングルでしょう。沖縄の至宝MAXの3年ぶりの新曲は、イタリアのDJデュオ、タカブロのYouTube再生4億回を誇る大ヒット曲(邦題「タカタに夢中」)の日本語カヴァー。「ランバダ」や「マカレナ」を思い出す向きは多かろう。原曲はヨーロッパのクラブ・ヒットによくある “掛け声+シンプルなフレーズ反復” パターンで、曲名になっているTacata'はダンスする女性の腰の動きを形容した擬態語だそうだが、MAX版ではすべての人が生まれ持つ幸福のタネ的なものを意味しているようで、一種のメッセージ・ソングといえる。

 そのメッセージ性に背骨を通しているのが、MAXらしい真顔のパフォーマンスだ。冒頭の “MAX is back!” に引っ張られたかのように日本語が訛ったまま進行するユニバーサル言語ぶり、突拍子もなさ満載のPVは、グリッター感と真摯さを絶妙の塩梅で兼ね備えた純情ギラリな3人のオリ〜ジナ〜リティ〜抜きには成立し得ない。“笑う門にはTacata” “Man and Woman いると Tacata” といった大喜利展開から “デタラメ並べてるんじゃなくて これが肝心要!” と自己言及して熱を下げないのが奇跡でなくて何であろうか。

 “すべてに全力” が “わかってやってる” を超えて感動を生む、“ツッコミ高ボケ低” 時代への最後通牒。笑わせて踊らせて、胸を締めつけ涙ぐませさえする、2013年最強の刹那的幸福ソングと断言したい。

 潔さでは一脈通じるものがある確信犯的バカポップス「ダンシング乳房」は、MAXの後で聴くと “愛の報・連・相” “恥部 恥部 乳房” などのシャレが艶笑落語っぽいというか、むしろトラディショナルなお色気歌謡的でイイカゲンは好い加減。性急なポルカのビートで呼吸もさせないおっぱい押しつけは、爆乳戦隊パイレンジャーから爆乳ヤンキーまで善悪を股にかけた手島優の爆乳一代記への “乳門編” に好適である。(CDジャーナル2013年9月号)

REVIEW

(2015/03)

マドンナ『レベル・ハート』

ユニバーサルミュージック・ジャパン 2015/03/11発売(CD)

 1983年のデビュー以来、4ディケイドにわたって女王の座に君臨してきたマドンナは現代の偉人である。決して卓越したシンガーでもダンサーでもないが、知力と意志力がそれを補って余りある……というより、それこそが何よりも重要であることを証明し続けている。凡骨には及びもつかない凄味だ。

 事前のリークも話題を集めた通算13枚目。プロデューサーにディプロ、アヴィーチー、カニエ・ウェスト、ソフィー、アリエル・レヒトシェイド、客演にニッキー・ミナージュ、ナズ、マイク・タイソン、チャンス・ザ・ラッパー……と多士済々のメンツが顔を揃えた長大な作品にもかかわらず、マドンナとしか言いようがない、猛烈にまとまりのあるアルバムになっているのが当然とはいえさすがだ。一貫性をもたらすエッセンスのひとつが、全曲にわたって展開される自己言及。三十余年のサバイバルを誇り、失った愛に傷つきながらも自らを鼓舞し、誇りを取り戻し、断じて前進をやめない。雄々しくかつ切ないその姿は、“レベル(反逆者)” であり、他者の “ハート” に耳を澄ませるという、彼女が併せ持つ二つの性質を体現している。

 折々にどちらかに寄るその二面性を両方満たしているのが、このアルバムが傑作である理由だ。音楽性もそう。前作に引き続きEDMやダブステップを大幅に取り入れながら、ハウスやレゲエのビート、ピアノやギター、ストリングスなどのアコースティックな音色を生かして築き上げた、ユニークな “踊れて聴ける” サウンド。どんなに畏敬を集めようと、どんなに大金持ちになろうと、決して社会的弱者への共感を失わず、大事なときには素っ裸になれるアティテュードもだ。なればこそダンス・ミュージックの最先端にキャッチアップでき、新たな才能とも四つに組める。彼女が自らをポップ界の絶対女王たらしめる “レベル・ハート” に立ち返れる限り、老け込むのは当分先のことだろう。(CDジャーナル2015年4月号)

INTERVIEW

(2013/06)

Charisma.com(カリスマドットコム)

 人目を気にして流行に振り回されたり、色気を使って男を転がしたり、涙を武器に同情を集めたり──そんな困った女たちを同性ならではの鋭い舌鋒で斬りまくるヒップホップユニット、カリスマドットコム。中学〜高校の同級生だったMCのいつかとDJのゴンチの二人組である。

「女子特有の言動が苦手で、ガッカリすることが多いんです。身近なら尚更。一緒に頑張ろうって言ってたのに、メンタルが崩れて男性に走ったり」(いつか)

「彼氏ができるとその人がすべてになってしまって、友達のわたしにまで“彼がこう言ってたよ”とか言い出したりね」(ゴンチ)

 昼間は会社員として事務の仕事をこなしながら、職場や友人関係で抱いた違和感を心にメモしていく。そこから痛烈なDISソングが生まれる。

「ずるい武器を使って男性を転がす女性が評価されて、まじめに働いて上にもはっきりモノを言う女性には面倒な仕事が回ってくる。それが現実かもしれないけど、やっぱりおかしな話ですよ。それは女性だからこそ見えるし、言っていくべきかなと思って」(いつか)

 

 口だけではない。ミニアルバム『アイ アイ シンドローム』を聴けば、リズム感のよさといい工夫を凝らした押韻といい、実力の高さは一目瞭然だ。いつかは堂々と「一番ほしいのは影響力です」と言う。

「わたしのまわりのかっこいいものが正当な評価を得ていない気がしてもどかしい。だから上を目指したいんです。そして、まだ多くの人に知られていない素敵なものを広めたい。会社で出世すれば、本当に優秀な人が誰かをみんなに教えてあげられますよね。それと同じです」(いつか)

 そんな野望とエネルギーが滲み出るライブパフォーマンスも素晴らしい。見た目はかわいくておしゃれな女の子だが、いつかのキレのいい身のこなしは陶酔もの。同じダンス部出身とは思えないゴンチのナチュラルなダンスとの対照がまた最高である。

 いつかを「男っぽいけどお母さんみたいなところもあって、女らしさもある」と形容するゴンチに「男も女もないよ」と呟くいつか。そうなんだ。性別を無視する気は毛頭ないけれど、女も男も同じ人間。そこを抜かしちゃ話にならない。

 過激だ毒舌だと僕らは騒ぐが、彼女たちはフェアでありたいだけなんじゃないか。その前に「きれいごとを言うな」と立ちはだかる “現実”。要領よく適応する同性に反発しながら、正面から立ち向かってははね返され、何度でも立ち上がるいつかと、かたわらに寄り添い支えるゴンチ。美しい友情に胸を打たれて、二人の道行きからますます目が離せない。(月刊宝島2013年9月号)

INTERVIEW

(2014/12)

クリトリック・リス

 ハゲのおっさんがパンツ一丁でステージに現れ、チープな自家製トラックを流しながら、彼女に浮気された男や貧乏バンドマンの彼女、焼きめしをおかずにごはんを食べる男などの物語を語る。というか叫ぶ。これは音楽なのか? 人情噺なのか? 戸惑いつつも、ユーモアとペーソス溢れる語り口に魅了されてしまう。

 おっさんの名はスギム、またの名をクリトリック・リス。45歳。“下ネタのナポ

レオン” を名乗り、今夜もライヴハウスの暗闇で叫んでいる。汗だくになって全身を(かっこよく、ではないが)躍動させるひたむきなパフォーマンスと、大阪弁による独特の語り口調のおかげもあって、同じ話を何度聴いても面白い。

 

「もともと会社員だったんですけど、仕事のストレスで近所のバーに入り浸っとったんです。そこで9年前、お客同士4人でバンドやろうって話になって。クリトリック・リスはそのとき決めたバンド名なんです。僕は楽器ができへんからダンサー。ところが初ライヴの日に3人が来れなくなって、僕ひとりで出なあかんくなって。ヤケになってお酒飲んでパンイチで飛び出して、対バンの人から借りたリズムマシーンを鳴らしながらガナったんが始まりです」

 36歳で初めて踏んだライヴハウスのステージ。苦しまぎれのパフォーマンスが思いのほか受けて「微妙な快感を覚えた」という。当時ミドリの後藤まりこに見初められたこともあって、徐々に活躍の場を増やしていった。トラック作りを勉強し、サビやコール&レスポンスを取り入れて曲の完成度も上げていく。東京や地方からもお呼びがかかるようになり、大きな舞台にも立った。そして2年前、42歳のときに、長く勤めた会社を辞めた。

 

「仕事には自信があったし、管理職にもなってた。辞める気は全然なかったんです。でも、福岡によく呼んでくれてたバンドの人がいたんですが、ガンを患って会うたびに痩せていくんです。それでもライヴをするんですよ。もう末期でまともに立たれへんのに。その姿を見てて、ずっとバンドをやりたいのに亡くなってしまうのは悔しいやろなって思ったら、僕はやろう思ったらなんぼでもやれるのに、言い訳して中途半端になってるのが申し訳なくなって、こっちの世界で悔いを残さずやるだけやってみようと。それで会社に “辞めます” 言うて。引き継ぎやなんやで2年かかりましたけど」

 ムチャな(しかし好もしい)決断から2年。ライヴの数は増えたが、それだけで食えるほどではなく、サラリーマン時代の蓄えを切り崩しながら夫婦ふたりで生活している。「今は投資の時期やと思ってるんですけど、ほんまに回収していかんとあかん」と来年の構想を語る口調は物静かで、ステージ上のハイテンションとは対照的だ。

「“意外と普通ですね” ってほぼ毎回言われます(笑)。僕、パンツ一丁になるじゃないですか。そのときにたぶんすごいアドレナリンが出るんですよ。パンツ一丁で人前に出るって非日常的な感覚やから、そこで普段の自分から切り替えることができるんですよね。パンツ一丁でいる限りあのテンションでいけます。8時間ライヴってやったことあるんですけど、8時間あの調子でやれました(笑)」(月刊宝島2015年2月号)

ESSAY

(2014/09)

ベッド・インはエロいだけじゃない

 CDが売れない、アナログが静かなブームだ、次はカセットだと地味に盛り上がっていた今年3月、いちばん時代はずれなメディアである8センチCDでデビューしたベッド・イン。“地下セクシーアイドル” を標榜する女性二人組だ。

 合言葉は「貴方の心に、弾けないバブルを」。ボディコンスーツに身を包み、前髪を(彼女たちの表記に則れば)オッ勃てたケバいお姉さんだ。ライヴではジュリ扇を振りながら「わんばんこ〜」「みんなー、もっとオッ勃てちゃっていいんだよー」「シモのキタをザワザワさせちゃいなよ」などと下ネタと死語満載のMCで笑わせつつ、オリジナルに杉本彩「ゴージャス」や畑中葉子「後から前から」のカヴァーを交えて圧倒する。

 ステージも楽しかったが、さらに印象的な光景が終演後に待っていた。水着姿で物販スペースに立つ二人に、バブル用語は古い雑誌やビデオを買い集めて学んだなどという話を聞いていたら、ひとりの女性が近づいてきた。「あの、一緒に写真撮ってください」「マンモスうれPです〜」。すると大人しそうな女性たちが列をなし始めたのだ。両頬をおっぱいで挟まれてカメラに納まりながら、みんな嬉しそうにニコニコしている。

 ベッド・インは自ら楽しみながらスケベな男たちを喜ばせ、同時に、肌を露出したくても自信や度胸がなくてできない女性たちに勇気を与えているように見えた。明らかに “バブルごっこ” を楽しんでいる。ボディコンは着ぐるみならぬ “脱ぎぐるみ” なのだ。取材でそう話したら、案の定、二人は自覚的だった。「だらしないボディなんで」「そこに開き直って脱いでることに共感していただいてるのかもしれませんね」「みんなもどんどん出しちゃいなよ! マブいよ! ハクいよ!」と同性を鼓舞する、その声は力強かった。

 好きなことをして、好きなように生きよう。肌の露出を “見る人”(男性)から “見せる人” に取り戻して、人生を楽しもう。痩せていても太っていても年をとっていても関係ない。生命を謳歌する姿そのものが美しいのだから──僕にはベッド・インのどぎつい自己演出が同性へのメッセージに見えて仕方がない。とても清々しく、大好きな二人なのだ。(月刊てりとりぃ2014年10月号)

INTERVIEW

(2013/01)

RHYMESTER

●震災、原発、風営法……問題が「染み込む感じ」

 

──一昨年の震災後に僕がいちばん話を聞きたかったミュージシャンがライムスターでした。当時は機会がなく、ついに叶ったので、時系列に沿って訊かせてください。まず震災直前に出たアルバム『POP LIFE』に収録された、苦しい時代に “でも、やるんだよ” と宣言する〈そしてまた歌い出す〉の意味がうんと重くなりましたよね。

宇多丸(以下、宇)「それは翌日に実感しましたね。ラジオの生放送(TBSラジオ『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』)で最初にかけたんですけど、僕らの意図を遥かに超えてしまってるというか “これ自分たちが作ったの?” って驚くぐらい。ひとの曲でも、恋愛の歌なのにいま聴くと人の背中を押す歌詞に聞こえるとか。作品というものの幅というか底力というか、不思議さですね。受け取り方の幅が広がったということなのかもしれないですけど」

──斉藤和義さんの〈ずっとウソだった〉が話題になったとき、菊地成孔さんがこの曲よりも〈歩いて帰ろう〉のほうがグッとくると書いていました。“直喩と暗喩では暗喩の方が、意識と無意識では無意識の方がよく効く” と。

Mummy-D(以下、D)「それは絶対そうですね。震災後に〈そしてまた歌い出す〉みたいな曲は書けなかった。書いてたら、悪く言うと作為的になってたと思う。先に書いてたから結果的に効いたわけで」

宇「直後は “震災用の曲” みたいのってどうなんだ? っていうのもあったしね」

D「いわゆるチャリティ曲のあり方みたいなものもすげえ考えたんですよ。自分が被災者だとして、もしちょっとでも音楽に救われるとしたら、誂えられた曲では絶対にないなと。チャリティ曲はどっちかっていうと、被災してない人たちの意識をどう高めるかっていうところに意味があるんじゃないかと思いますね」

──震災後、最初の作品が2011年7月の『フラッシュバック、夏。』でした。当時の空気との距離を慎重に測った上での、あえての夏ソング集だった?

宇「今度のアルバムで歌ってる “震災以降の世界” みたいなことは、あの時点ではこのバランスでは……出したくなかったのかな」

DJ JIN(以下、JIN)「毎日状況が変わり続けてたから、それをテーマにするのは難しいですよね」

宇「日常に引き戻す作業だったのかな。すでに状況が非日常だったわけだから、正気を保つほうに軸足があったって感じじゃないですかね。ワーッて騒ぐより、落ち着こうよとか、普通の暮らしのなかに楽しみはあるじゃないかとか、そういうことを先に歌いたかったんだと思います」

D「『フラッシュバック、夏。』はもとからやろうって言ってた内容のものを、地震の後にいろいろ考えた結果、予定どおりやろうって出したものだから、まあ歌詞にも若干入ってきてはいるんですよね」

宇「染み込む感じはありましたね。関係ないことを歌ってるのに、震災後の日常であるということはもう変えられないっていう」

D「チャリティ曲に参加したりもしたので、これに関しては、とりあえず通常営業しないと始まんないだろ、みたいなとこだったかな」

宇「被災地でお店が営業を再開したとか聞くとホッとしたりするじゃないですか。店先に並ぶものは変わってるかもしれないけど、営みは続いてるみたいな。それに近かったかな」

── “染み込む感じ” っていうのは新作『ダーティーサイエンス』にもありますね。原発や風営法などのテーマが噛み砕かれて、表向き無関係な歌も含めてアルバムのあっちこっちに顔を出す。この重層的な構造もやはり偶然ですか? それとも意図したもの?

宇「『フラッシュバック〜』完成直後に始まった話し合いで〈The Choice Is Yours〉や〈It's A New Day〉のコンセプトは出てたんですね。〈ゆめのしま〉も含めて、震災以降を歌うとしたらこれだっていう柱みたいなものが立った。それ以外の曲に関しては、作ってるうちに否応なく染み込んでくるほうが、みんなの実感に近いんじゃないかと。クラブで騒ぐはずが風営法の話をしなきゃいけなかったり、飲んでバカ話するはずが放射能の心配が出てきたり。たぶん、個別の問題を声高に歌うのって、何かコトが起きる前であるべきなんですよ。原発危ないよ、ってそこで言うのは有効だろうけど、今それを歌っても“いや、わかってるから”って人が多いんじゃないか」

 

●メッセージソングにも誤解の余地があっていい

 

──僕、〈The Choice Is Yours〉は近年の日本でもっともすごいメッセージソングのひとつじゃないかと思っていて。いちばん言ってはいけないことを言っている曲なんですよ。

宇「ほう。言ってはいけないこと」

──つまり……。

宇「お前のせいだ、と(笑)」

──そう。例えばアイドルの残酷ショーにしても、煎じ詰めれば僕ら大衆が見たかったわけですよね。YoursはMineでもあるわけで、すごく勇気のある歌だと思ったんです。

宇「すんなり好評だったんで忘れてましたけど、出す前は “怒られるかも” と一瞬思いましたね、確かに」

──今はみんな不安だから “俺についてこい” って言ってくれる人を探してると思うんですよ。

D「絶対そうですよね」

──そこでライムスターは “俺についてくんな” って言ってるわけで(笑)。

D「そう。野暮かな〜と思ったんですよ。レベル(反逆)ミュージックでは旗色の鮮明さが重視されるし、私は○○党を支持します! とか、戦争反対! 原発反対! 右行け! 左行け! みたいな声の大きい人が求められてるときに、こんないわゆるロック的なメッセージでは全然ないものを出すんだなあ、僕たちは……って(笑)。自分でもモヤモヤしてたから、“言ってはいけないこと” って聞いて、あーそういうことかって思いました」

宇「だって、気持ちよく酔わせてあげるのがお歌とかお芝居の本来の役割なのに──それは素晴らしいことなんだけど──冷や水ぶっかけてシラフになれって言ってるようなもんですからね。でもこれがキャッチーなメロディに乗ったり、歌い出しのヴァース(“汚れたマネー 腐った官僚 腐った政治家に大企業”)が一聴、威勢がよかったりで、酔わせるために作ってる音楽と見紛う作りになってるのが(笑)、大人のバランスなんじゃないですかね。(Dに)そのものズバリの人いるでしょ」

D「いる。あの形骸化したワードたちを全部疑えって歌なのに、音楽に乗ってると “そうなんですよね” って思うみたい(笑)」

宇「でもそれはいいと思う。エンタテインメントだから、誤解の余地もあるのは全然ありっていうか。一見、普通のアクション映画として楽しめるけど、実は……とかさ、そんくらいがいいんじゃん?」

 

●ダメだの声に耳を貸さず楽しむことが大事

 

──しんどい時代を生きる30〜40代読者へのメッセージをお願いします。

宇「ジジイ連中はダメだダメだって言うけど、あんまりそう思わないことじゃないですかね。あれは過去の栄光を懐かしんでるだけで、バブルなんてハリボテでしかなかったし、俺らの世代は恩恵なんか受けてないし。むしろ身の丈が普通になっただけじゃねえのって。あと、この世代は例えば調べものにしても、本で調べてた時代のことも知ってるし、インターネットも使える。それは強みだと思う。ダメだダメだ言ってると本当にダメになっちゃいますよ」

D「たまに高校の友達とかに会うと、みんなすごく感覚が若くて、いいなあと思います。40歳になってから新しいことに挑戦したりするのって楽しいですよ。俺はもう何歳だから……みたいな考え方は置いといて、どんどん新しいことをやってほしいですね」

JIN「俺は今もクラブの現場でDJやってますけど、ライムスターのファン層と同様、若いのだけじゃなく大人も多いんですよ。仕事以外の遊び場をちゃんと確保してる。みんなイキイキしてて、若い子たちに慕われてますよ。クラブに限らないですけど、楽しめる場所があるといいですよね」(月刊宝島2013年4月号)

INTERVIEW

(2014/10)

電気グルーヴ

●普通はオヤジギャグ、我々の場合はリリック

 

──結成25周年おめでとうございます。記念ミニアルバムのタイトルが『25』と、2009年の『20』と同様、気持ちいいほどそのまんまですね。

卓球「出すつもりがなかったんです。去年『人間と動物』を出したんで、1年くらい出さなくてもいいかなと思ってたら、スタッフから“今年は25周年ですよ”って言われて」

瀧「『20』のときと同じですよ(笑)。前の年に『J-POP』『YELLOW』と2枚出して、これでいいかなぁと思ってたら “20周年なんですけど” って」

卓球「だから通常のアルバムよりちょっと力が抜けてるんです」

──〈電気グルーヴ25周年の歌(駅前で先に待っとるばい)〉は、5年前の〈電気グルーヴ20周年のうた〉と同じ作りになっていますが……。

卓球「これはもともとファンクラブの会報みたいなものなんです。電気グルーヴのファンクラブに入ると、会員証の代わりにCDが送られてくるんですよ。それを定期的にアップデートしていくんですけど、〈25周年の歌〉も〈20周年のうた〉もその曲なんです。同じメロディで恐らく10曲ぐらい作ってます。JASRACの登録上は別の曲だけど(笑)」

──僕がいちばん好きなのは〈Pan! Pan! Pan!〉で、ロックンロール調のリズムに乗ったナンセンスな押韻が気持ちいいです。“右はパン” “たむらパン” には笑いました。

卓球「“右はパン” ってわかります?」

──みぎわパン。80年代に『ガロ』などで活躍したマンガ家ですよね。

卓球「逆柱いみりの奥さん。わかったところで何の得にもならないけど(笑)」

──脳からダジャレが湧き出てくるに任せるみたいな感じなんでしょうか?

卓球「そういうのが好きなんですよ。あと、加齢とともにダジャレの頻度が高まってくるから。普通の会社員とかだとオヤジギャグとして一蹴されるダジャレが、我々の場合はリリックになるという」

瀧「“右はパン”って言っちゃったら、リズム的にそれ以上のものがない感じになるしね」

──電気グルーヴの曲はいつもはどんなふうに作っているんですか?

卓球「僕がベーシックなものを作って、デタラメな言葉で仮歌を入れて、それを瀧と二人で聴いて、テーマを決めて言葉を出し合っていく感じです。ひとりで書く場合もあるけど、今回は全部そのパターンですね。普通のバンドだったら絶対使わないような言葉がいっぱい入ってる、瀧のおもちゃ箱のなかから……」

瀧「使えそうなやつを出してきて、使えなかったりね(笑)。汚物箱みたいなもんです」

 

●ナンセンスとシリアスを往来する “三角食べ”

 

──近年は歌詞のナンセンスぶりがいっそう冴えてきている気がします。

卓球「一見無意味にも取れるし、そのままの意味に受け止められてもOKだし、深読みするとダブルミーニング的なものが見えてくる、みたいな歌詞がいちばんいいなと。歌詞のイメージがはっきりしすぎちゃうと、音楽が入ってこなくなるじゃないですか。そういうのが嫌いなんですよ」

──今回は乾いた方向に振り切った感がありますけど、〈Shangri-La〉や〈虹〉などエモーショナルな部分が出た曲もありますよね。卓球さんのヴォーカルも二枚目だし。そのへんはどう使い分けているんですか?

卓球「あまりどっちかに振り切れすぎないように、ですね。シリアスなものばっかりやってると、そうじゃないものをやりたくなるし。あんまりふざけたのばっかりだと、人が耳を貸してくれなくなるし(笑)。ずーっと嘘ついてるおじさんみたいで」

瀧「“三角食べ” みたいなもんですよね。あれ消化にいいとか言われてたけど、関係ないらしいですね。最近わかったことみたい」

卓球「じゃあコース料理はどうなんだって話ですもんね(笑)」

──面白い!と盛り上がったノリをそのままパッケージするような?

瀧「思いついたことを口に出してるだけですから。ダジャレですらない(笑)」

卓球「二人で出し合って “これはいい” っていうところに辿り着くのはだいたいそうですね」

瀧「あまりにもくだらない、クソの投げ合いみたいなものなんですけど、そのクソの投げ合いがテンポよくいくと “これはこれでいいんじゃねえか?” っていう」

卓球「最初はそういうのばっかりにしようと思ってたんですけど、レコード会社からちょっとあんまりだって言われて。この歌詞もよく通ったなと思いますよ」

──25周年の記念すべき歌で “スカトロ自撮り決定版” ですもんね。

卓球「“むかしスカトロ使ったことあるから絶対通る、大丈夫!” って。使ってんのかよ、前に(笑)」

瀧「スカトロだけど自分で撮ってんだからいいじゃん、って」

卓球「でも実は韻の部分はけっこう細かくやってるんですよ。例えば最後がAで終わる、みたいなのは絶対に揃えるとか、頭だけ揃えるとか。口の形をすごく大事にしてます」

瀧「盛りつけはきれいにね。クソだけど」

卓球「皿にこぼれた部分は拭いて出す(笑)」

瀧「最後はこう、ひねって……このほうが見栄えがいいよな、って。大人なんで」

 

●30代と40代で変わったウンコとの付き合い方

 

──ツアータイトルの “塗糞祭” も、こう言っちゃなんですけど、ひどいですね(笑)。

卓球「46歳と47歳ですよ、うちら。これまでもツアータイトルはひどいのが多かったんで、今回タイトルを決めるときに、今までのキャリアを感じました。ウンコネタも祭のレベルまで行ったなって(笑)」

瀧「行事としての」

卓球「神事としての」

──ツアータイトルにウンコが入るのは実は久しぶりで、1997年の “歌う糞尿インターネット攻略本” 以来なんですよね。

卓球「ここのところさすがに、あからさまにウンコってのもなんだなって。だから今回は、今までとは違ったアプローチを」

瀧「30代がいちばんウンコ使いづらいかもしれない」

卓球「30代ウンコ冬の時代(笑)。40代になると、そろそろいいかなーって」

──25周年で初心に返ったとか?

瀧「むしろ、初心から一歩も……」

卓球「進んでない」

──でも、ウンコを避けて歩いた時代もあったんでしょう。

瀧「クソに甘えたくなかったんです、30代は(笑)」

卓球「これじゃいけないって、クソとの距離を置いて」

瀧「あえてね。もう一度抱くときのために、クソを。そうするとまた大きさが実感できる」

卓球「20代に使いすぎたからな。ずっとウンコウンコ言ってると、それが使命になっちゃうじゃないですか。その反動で “たんぽぽツアー” とか “ツアーパンダ” と逆方向に行っていたので、久しぶりにハンドルを逆に切ってみようと」

瀧「ウンコは使いたいけど、背負えない。ずーっと使ってたら背負わなくちゃいけないから。ウンコに対して責任が出てきちゃう。一度あえて外すことによって、ウンコを背負わないっていうポジションに。でも使ってはいくよ、と」

卓球「ウンコとは対等な関係で」

瀧「これ以上使うとうちらウンコの傘下に入っちゃうって(笑)。バンドが一時セパレートしたりするでしょ、充電期間とか言って。あれと一緒ですよ。俺たちは俺たちでやっていくし、ウンコはウンコでやりたいことやっていって。で、40すぎたらまた集まる」

──ウンコと再結成(笑)。塗糞祭ではどんなことをやろうと思っていますか?

卓球「元メンバーのCMJKとまりん(砂原良徳)と、あとスチャダラパーにも全公演に出てもらいます」

瀧「四十路の珍なおっさんがいっぱい出てきますよ」

──去年 “ツアーパンダ” の東京公演(Zepp DiverCity)にお邪魔したんですが、 “観客が3人しかいなかった。しかもひとりは瀧さんの奥さん” とSNSに書く、というお遊びに見事に応えてふざけるお客さんに感服しました。

卓球「ほんとバカですよね、あれ信じるやつ。鵜呑みにしてしまうやつがあんなにいたのがちょっと恐ろしいですよ。 “電気グルーヴクラスでさえ客が3人。これが今の音楽業界の現実なのだ” とか。何言ってんだ、んなわけねえじゃん。ちょっと考えればわかるだろって。3人って言ってる人が3人以上いるんだから。瀧の死亡説を流したときは “人の死をおもちゃにするなんて” って、こいつそっちのけで盛り上がっちゃったりして(笑)」

 

●お互いカブる部分がない。それが長続きの秘訣

 

──25年間電気グルーヴをやっていて、お二人のお付き合いはもう30年以上になりますよね。それだけ長く友人関係とビジネス的なパートナーシップを両立させている人って少ないと思うんですが、長続きの秘訣は何でしょうか?

卓球「確実に言えるのは、お互いカブる部分がないこと。バンドとかだと縄張り争い的な部分って出てくるじゃないですか。それがまったくないから続いてるんだと思います。個人の活動も全然違うしね」

──各々のソロ活動で得たものを電気に持ち帰ってくるみたいな?

卓球「俺はどっちも音楽だから違うけど……瀧はどうなの?」

瀧「別の現場で見たことから掴むものもあるでしょうね。無意識のうちに身についたものとか、細かいところはわからないけど」

卓球「ライブで『アナ雪』の曲とか歌ってるじゃん」

瀧「むしろ別の現場で抱えたストレスをこっちのステージで発散するとか」

卓球「瀧はここがいちばん素だもんな」

瀧「粗暴の粗って感じもするけど……」

卓球「俺、瀧がいろんな現場に行ったときの悪口聞くの大好き(笑)」

瀧「“ちょっと聞いてくれよー” って」

卓球「“聞いてくれよ” って言うときはだいたい面白いんですよ。“よしよしよし、なんだなんだ? どうした?” って」

──瀧さんは去年『あまちゃん』には出るわ映画賞は取るわ、俳優としての評価がうなぎのぼりですね。僕も『凶悪』を見ましたけど、本当に怖かった。

卓球「こないだ飲み屋で、ある俳優の方に会ったんですよ。初対面だったんだけど、“瀧、現場でどうでした?” って訊いたら “なんかちょうど電気グルーヴのレコーディング中だったみたいで、すごいピリピリしてて……” って言ってて。“え、何? あいつそんなミュージシャンづらしてんの!?”  って(笑)」

瀧「そうそう。ずっと五線譜睨んで」

卓球「タクトとか振って」

瀧「“後にしてくれるー?” って言って、羽根ペン持って “ジャジャジャジャーン” って」

卓球「カタカナで(笑)。でもさ、役者としておまえを知って、ライブ見てみようって来たとき、そのお客さんの目に映る俺って何なんだろうね」

瀧「“なんだろうあの人?” “お弟子さんかな?”」

卓球「ギャハハハ。“バンドさん” とか」(月刊宝島2014年12月号)

 

REVIEW

(2010/02)

『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 2010/01/27(DVD)

 お涙頂戴の演出はない。リハーサルの様子と会場で流すために作られた映像を淡々と紡いでいくメイキング的な作りが、長くマイケルの舞台監督を務めたケニー・オルテガの思いの深さを逆説的に物語る。もともと記録用とはいえ、最期の映像がこうして残されてしまうこと自体が、20世紀最後の(あるいは史上最後の)スーパースターの宿命かもしれない。

 ダンサー、バンド、裏方さん、だれひとりとして半端な関わり方をする者はいない。一流のプロが集まり、それぞれが全身全霊を傾けて最高の仕事を見せている。われわれの目に触れないところでこれだけの熱が費やされているのだ。もっとも、それはデンジャラス・ツアーでもヒストリー・ツアーでも同様だったはずだし、もっと言えばマドンナでもブリトニーやレディ・ガガでも大差ないわけで、娯楽の舞台裏を知る機会を数多くの人々に与えてくれたのはありがたいことである。

 この映画を特別なものにしているのは、ひとえに芸人マイケルの凄味だ。ダンスも歌もセーブしてはいるものの、瞬間瞬間のキレと華は目を見張るほどで、とても50歳とは思えないし、直後に亡くなるほど体調が悪いようにも見えない。5歳からキャリアを積んだ “板の上” 育ちの真骨頂。「ここは少しじらすんだ」と言ってブレイクを入れる位置を変えさせたり、背後のスクリーンを見ずに別撮り映像との同期をさらりとこなすマイケル。妥協なき取り組みと卓越した “間” の感覚こそが、才能豊かな彼の、なかでも最強の武器であった。

 見応えは充分。しかし「これだ(This is it)!」と言うことは俺にはできない。こんなにエネルギーと情熱と才能とお金を注ぎ込んで作り上げたショーが実現しなかったのだ。やらせてあげたかった。そして欲を言えば、本作を特典ディスクに追いやる極めつけのコンサート映画を見たかった。マイケルの動きとオーラが健在であればあるほど “本番” のない寂しさと無念が募る、うれしくも悲しい映画である。(CDジャーナル2010年3月号)

REVIEW

(2009/02)

『ディクシー・チックス シャラップ&シング』

ジェネオン エンタテインメント 2009/01/23(DVD)

「アメリカ大統領がテキサス出身なのが恥ずかしい」──2003年10月、ロンドン公演での “問題発言” からドキュメンタリーは始まる。よくぞ撮ってくれていた。さしもの名匠バーバラ・コップル監督も、全身がヒリヒリするような興奮を覚えたのではないだろうか。巻き起こるバッシングの嵐。賛否に分かれたファンたち。3人の不安、恐怖、緊張。それでも手をとり合って立ち向かう雄姿。お互いへの感情の深さ。妻として、母親としての安らかなひととき。3年に及ぶ徹底した密着ぶりも、それに満額回答で応える3人の堂々たる率直さも、思いきりアメリカン。清々しさに一抹の苦みが混じった後味は『イン・ベッド・ウィズ・マドンナ』や『メタリカ:真実の瞬間』に通じる。(CDジャーナル2009年3月号)

REVIEW

(2013/12)

daoko『GRAVITY』

LOW HIGH WHO? PRODUCTIONS 2013/12/11(CD、配信)

 10月に渋谷パルコ店頭で見たdaokoのライヴには唖然とした。決して本調子ではなかったが、夕刻の渋谷の街から光を吸い込み、音を遮断する巨大なエネルギーは体験したことのないものだった。僕の頭に浮かんだのは “磁力” という言葉。GRAVITYは “引力” だが感覚的には近く、初めてタイトルを耳にしたときはゾクッとした。Paranelが前作『Hyper Girl〜向こう側の女の子〜』のすぐ後に思いついた言葉だそうだが、本作のイメージが当時すでに彼らの頭の中にあったかと思うと再びゾクッとする。

 m-floを始め、ESNO、狐火、STAR GUiTARらの作品に客演し、daokoは『Hyper Girl』の印象を裏切ることなく可憐な輝きを放ってきた(例外的にダークなのがCOASARU『変身』の2曲で、これは本作の予兆とも思える)。だからこそ本作で見せる暗い情念と毒と官能性は衝撃的に快い。♪処女と少女と娼婦に淑女、なんて歌があるが、女子とはそういうもの。慈母のように男子を見つめたり(「BOY」)、自分が渦中にある青春を俯瞰したり(「ずれてる」)、背伸びしたり(「oOoOo」)、ヤケッパチになったり(「ネガティブモンスター」)、想像の世界に遊んだり(「TWINS」)、でも最後の「試験一週間前」では「全部夢でした」と言わんばかりに普通の女子高生に戻っていく。抽象度を上げたリリックはつかみどころがなく、ゆえに蠱惑的で、ジャケットの眼差しそのままに引き込まれそうなヤバい魅力に満ちている。男子ふたりが囃し立てる「メギツネ feat. PAGE, GOMESS」にホッとするほどだ。

 トラック的にはEeMuの「ISLAND」「GRAVITY」、COASARUの「ずれてる」「oOoOo」、DJ6月の「BOY」「TWINS」「浪漫非行」あたりが全体のトーンを決めている感がある。DJ6月の曲とESMEの「試験一週間前」はポップだが、どの曲も確固たるイメージを結ぶことはなく、ふわふわとした浮遊感で、表現の幅を広げたdaokoのラップと歌を彩っている。アーティストとして急速な進化を遂げ、女性としての美しさも増していくdaokoはまさしく末恐ろしい16歳。今後も見られるだけ見なくてはなるまい。(CDジャーナル2014年1月号)

REVIEW

(2014/06)

『少女は自転車にのって』

アルバトロス 2014/07/02(DVD)

 体や髪を隠すヴェールは大嫌い、西洋の音楽も聴くし男の子とも遊ぶ。大人が変なことを言えば堂々と反論する。10歳の少女ワジダは、お転婆というよりむしろ筋を重んじる賢い子だ。イスラムの戒律で女性を縛りつけるサウジアラビアの社会では “出る杭” になってしまうその個性を発揮して、ワジダは周囲の大人を出し抜き、自ら道を拓いていく。切ない展開もあるけれど、最後にはさわやかな感動が待っている。サウジ初の女性監督ハイファ・アル=マンスールによる傑作。女性だけでなく男性にも見てほしい。(CDジャーナル2014年7月号)

INTERVIEW

(2013/12)

大森靖子

 CDは聴いていたし、ライヴの噂も耳にしていたが、生で見たのは10月に渋谷のクラブWOMBで行われた「ササクレフェスティバル2013」が初めて。アコギ一本提げて現れ、「渋谷は “おまえの席ねえから” みたいな顔して、ちょっと名前が売れたら……」と軽く毒づいて “この街を歩く 才能が無かったから/あたし新宿が好き”(〈新宿〉)と歌った大森靖子は猛烈にかっこよかった。アウェイの客層に激越な弾き語りで斬り込んでいく姿は圧巻。一曲ごとにファンが増えていくのを実感した。

 12月11日に発売された素晴らしい2ndアルバム『絶対少女』で、大森は「すべての女子を肯定したいと思いました」と言う。かつて「わたしを好きな人は好き、嫌い人は嫌い」と思っていたという彼女の変化には、どんなきっかけがあったのか。

「モーニング娘。の工藤遥ちゃんにインタビューしたとき、ババアって言われてイヤだったって話したら “うちのお母さんに比べたら全然大丈夫ですよ” みたいに言ってくれて、彼女が言うならそうだって(笑)。肯定されて救われたんです。アイドルの力だと思うんですけど、だったらわたしもそれになろうと。ライヴに来てくれる女の子には目標を持って頑張っている子が多いので」

 自己肯定から他者の肯定へ。僕は素直に感動した。

「ブログの文章を面白がって雑誌連載を持たせてくれたり、アイドル好きが認められてハロー!プロジェクトと縁ができたり。ダメだと思っていたところがいいところになるんだってびっくりしました。みんなが作ってくれた感じですね」

 僕が考える大森靖子の歌の魅力のひとつが、何げなく聴いていると唐突にキャッチーな言葉が飛び出してきてドキッとさせることだ。指原莉乃の名言の引用 “エッチだってしたのにふざけんな”(〈Over The Party〉)は好例だろう。

「びっくりさせたい欲が強いんです。弾き語りなんで、言葉で引っかけるしかないんですよ(笑)。電車で聞いた言葉や女子高生の会話をメモって、週刊誌の見出しみたいに面白い言葉をいつも考えています。口に出したい言葉もありますよね。“きゃりーぱみゅぱみゅ”(〈新宿〉)とか、“ゲリラ豪雨”(〈あまい〉)とか、“デニール”(〈Over〜〉)とか」

 売れたいけれどCDを家で繰り返し聴かれるのはイヤ、と言うほど録音物を残すことに興味がない。だからこそ対照的なレコードマニアの直枝政広(カーネーション)に自らプロデュースを依頼した『絶対少女』は、バンドあり弾き語りあり、ポップあり前衛ありと、幅広いサウンドを誇る傑作になった。

「音楽の才能ないって思っていたんですけど、最近カヴァーをやるようになって、自分の曲のほうが覚えやすいっていうか、意外といいメロディ書いてるじゃんって思いました(笑)」

 芸能/音楽事務所には所属せず、CDの発売も自分のレーベルから。ひとりで道を切り開きながら大森靖子が培ってきた力が、いよいよ世界を席巻するときがきた。(月刊宝島2014年2月号)

REVIEW

(2015/02)

『パリ、ただよう花』

TCエンタテインメント 2015/03/04(DVD)

『天安門、恋人たち』のロウ・イェ監督が、パリで出会ったエリート中国人留学生のホアと粗野な建設工マチューの熱情的な愛を描く。ふたりはひたすらセックスを重ねるが、ここでのセックスは言葉を易々と裏切り、むしろずっと正直で雄弁なコミュニケーションだ。流れに身を任せているだけに見えるホアの意思が見え始めるにつれ、中国人にとっての自由とは何かというテーマが重なってくる。コリン・ヤムの柳腰とタハール・ラヒムの野性が東洋と西洋(のなかの非西洋)をあざといほどに象徴して魅力的だ。(CDジャーナル2015年3月号)

REVIEW

(2015/04)

ケンドリック・ラマー『 トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』

ユニバーサルミュージック・ジャパン 2015/05/20(CD、配信)

 現代ヒップホップ界最高の詩人ケンドリック・ラマー、待望のセカンド・アルバム。前作の成功によって生まれ育ったマッド・シティ=コンプトンを離れたグッド・キッドだが、16トラック80分にわたって展開する彼の新しい物語はさらに内省を深めている。哀しみや憂いをも湛えたそのトーンは彼の誠実さと知性の表れだと思うけれど、音楽的にはジャズ、ファンク、ブルース、スポークン・ワードと絢爛たる黒人音楽史絵巻のよう。ヒップホップの領域を拡大する傑作であることは間違いない。 その豊潤さはゲストやプロデューサーの名前だけでも十分に想像できるだろう。ジョージ・クリントン、ビラル、スヌープ・ドッグ、ロナルド・アイズリー、フライング・ロータス、ファレル・ウィリアムズ、ロバート・グラスパーなど。サンプル・ソースはアイズリー・ブラザーズからマイケル・ジャクソンもある。

「ウェスリーズ・セオリー feat. ジョージ・クリントン&サンダーキャット」ではウェズリー・スナイプスの脱税事件に材を求めて公権力による黒人男性への不公正を告発し、「キング・クンタ」ではアレックス・ヘイリーの小説『ルーツ』の主人公クンタ・キンテに自らをなぞらえて黒人史の捉え直しを訴え、「モータル・マン」ではフェラ・クティのビートをバックに故トゥパック・シャクールと架空の対話を行う。「あなたは葛藤を抱えていた」で始まる詩が繰り返し朗誦され、アルバム全体がトゥパックへの問いかけのようにも響く。自らの感情の奥の奥まで掘り進んで真実を掴もうとするケンドリックの想像力は、他者はもとより死者にも発揮される。

 アメリカ一の犯罪都市出身の27歳の若者がこんなに思慮深くて音楽性豊かなアルバムを作り上げ、あまつさえチャートを制覇するほど受け入れられているという事実は、やっぱり感動的だ。マーヴィン・ゲイ、カーティス・メイフィールド、トゥパックやビギー、ジェイZやナズといった先達の預言が重なる。変化はなかなか訪れないが、希望の種は蒔かれ続けている。(CDジャーナル2015年5月号)

REVIEW

(2011/03)

『ソウル・パワー

アップリンク 2011/03/04(DVD)

 これで熱くならなきゃ嘘だ。モハメド・アリ対ジョージ・フォアマンの伝説の一戦に先駆けること6週間、ザイール(現・コンゴ民主共和国)の首都キンシャサで3日間に亘って行われた音楽フェス “ザイール74” の記録である。JB御大を筆頭に、B・B・キング、スピナーズ、セリア・クルース、ファニア・オールスターズらが乗り込み、フランコ、タブー・レイ、ミリアム・マケバらアフリカ勢とステージを共にした、もうひとつの “キンシャサの奇蹟”。『モハメド・アリ かけがえのない日々』(1996年)と一緒に見てほしい。あまりに輝かしい瞬間が多すぎて、あと1時間、いや2時間長くしてくんねーかな……と無茶のひとつも言いたくなる。アリのラップもビル・ウィザーズの考察もマヌ・ディバンゴと子供たちのセッションもシスター・スレッジの練習風景もいいが、最高なのはアリとフィリップ・ウィンのスパーリング。ジョークのはずなのに、帝王の目が笑っていない。(CDジャーナル2011年4月号)

REVIEW

(2009/03)

『THIS IS ENGLAND』

キングレコード 2009/12/09(DVD)

※レビュー執筆は劇場公開前

 トゥーツ&ザ・メイタルズの札つきソング「54-46 ワズ・マイ・ナンバー」が鳴り響き、フォークランド紛争や数々の暴動やサッチャー&レーガンのニュース映像が流れるオープニングが、これから始まる物語のみごとなイントロになっている。『トゥエンティフォー・セブン』(1997年)、『家族のかたち』(2002年)のシェーン・メドウズ3本めの監督作は、自らの体験をもとにフォークランドで父親を亡くした11歳の少年の成長物語を描いたもの。2008年の英国アカデミー賞最優秀イギリス映画賞を受賞した。

 時は1983年、舞台はサッチャー政権の規制緩和で切り捨てられたイングランド中部。職を失った若者たちはやり場のない憤懣を抱え、極右勢力に取り込まれていった。ショーンが出会ったのも、そんなスキンヘッズたちだ。ショーンが父のイメージを重ねて慕うコンボを筆頭に、みな人情豊かで無邪気で幼い。荒くれ右翼集団と十把ひとからげにされがちなスキンズだって、当然一枚岩じゃないし、各々やむにやまれぬ事情がある。終始ちぐはぐな行動をとり続けるコンボの性格描写は、黒人音楽を愛しながら移民排斥を訴えるスキンズの矛盾を鋭くも温かく突いている。可笑しくて、やがて哀しき愚かさよ。“こう運がなくっちゃ、いいやつだって悪党になっちまう” ──エンディングに流れるザ・スミスの「プリーズ・プリーズ」のカヴァーが切なすぎる。

 学生時代に『マイ・ビューティフル・ランドレット』(1985年)を観たときは「イギリスは大変だな」と思ったけれど、いま本作をそんなのんきな気分で観ることはできない。格差社会、地方切り捨て、失業問題、外国人排斥。現在の日本と符合する点が多すぎる。おらが国がこんな状態になるのは絶対に避けなければならない。そうならないために何をするべきか。この映画が僕たちに考えさせてくれることはたくさんある。(CDジャーナル2009年4月号)

INTERVIEW

(2015/01)

MADOKA(たんこぶちん)

 佐賀県唐津市で小学校6年のとき結成し、2013年、高校3年の夏にメジャーデビューしたたんこぶちん。僕はデビューシングル〈ドレミFUN LIFE〉で知った。AKB48などの作品で知られる成瀬英樹が書いたこの曲は明るくポップだが、オリジナル曲はハードでブルージーで、そのギャップに惹かれた。何度かライヴに足を運んでいるが、見るたびに演奏も立居振舞もこなれてきて、ギャップを埋める成長ぶりを見せてくれている。

「小5のときに初めて見たバンドが1コ上の先輩のガールズバンドだったんです。担任の先生にお願いしてみんなに声をかけたら12人くらい集まって、がんばれ! Victory(後にポニーキャニオンからデビュー)とたんこぶちんができました」

 結成1カ月ほどでヤマハのコンテストにチャットモンチー〈バスロマンス〉のカヴァーで出場。「がんばれ! Victoryが優勝して九州ファイナルに行ったんです。それがすごく悔しくて、絶対ジャパンファイナル(全国大会)に行くと目標を立てて、毎年出てました」

 そして2013年の大会で念願のファイナルに進出し、優秀賞を受賞。わずか半年後に “現役女子高生バンド” としてメジャーデビューした。

「激しい曲をよく演奏していたので、明るくてポップな〈ドレミFUN LIFE〉には正直、最初は抵抗がありました。今は大好きだし、デビュー曲が〈ドレミ〉でよかったなと思ってます。お客さんが喜んでくれるのはうれしいし、自分でも明るい曲を作れるようになりましたから」

 

 新作『TANCOBUCHIN vol.2』は6曲入りのミニアルバム。〈ドレミ〉路線のポップな〈Alright!!〉で始まり、中島みゆきのカヴァー〈泣いてもいいんだよ〉までバリエーションは満点。とりわけ、MADOKA自作の切ないラブソング〈涙〉とブルージーな〈トゲササル〉は新たな貌を見せた感が強く、手応えばっちりだ。

「〈トゲササル〉は〈ドレミ〉でできたたんこぶちんのイメージをぶち壊したくて作りました。ライヴがうまくいかなかった時期に書いたので、歌詞も本音に近いですね。〈涙〉はプリンセス・プリンセスの〈M〉みたいな誰でも知ってる名曲を作りたいなと思って意識して作ってみました」

 他のアーティストのライヴを見るのがいちばん刺激になるそうだが、最大の楽しみは自分たちのライヴ。「大好きだからすごく気分を左右されます。うまくいかないと落ち込んだり」と言う。「完璧にはできないけど、だからこそ更新できる。それが楽しいんです」

 今年はライヴの回数を増やし、徹底的に鍛え抜く予定。来年の今ごろにはさらに大きく変貌しているはずで、今から楽しみだ。

「かっこよさを磨いていきたいです。“ポップでいいな” と思って入ってきてくれた人に、違う一面を見せてびっくりしてもらえるようになりたいですね」(月刊宝島2015年4月号)

REVIEW

(2014/02)

『ねえ興奮しちゃいやよ 昭和エロ歌謡全集 1928~32』

ぐらもくらぶ 2014/01/26(CD)

 “エロ・グロ・ナンセンス” の時代と言われる昭和初期、1928(昭和3)年〜32(同7)年を彩ったエロ歌謡のコンピレーションが登場だ。「エロ小唄」「キッスOK」「エロ・オン・パレード」「尖端小唄」「銀座のバッドガール」「エロエロ行進曲」……と曲名だけで心が躍る。お色気ばかりではなく女性の社会進出から左翼思想まで、モガ&モボの最 “尖端” 風俗を活写した歌の数々は、どこまでも自由闊達でユーモラス、軽佻浮薄でエネルギッシュ。二村定一も淡谷のり子も躍動している。文献を読んだだけではピンとこない、当時の東京の “気分” を味わうにはもってこい。泡沫なればこそ貴重な超一級史料を、毛利眞人氏、もとい多摩均氏の素晴らしい解説とともに味わい尽くしたい。これらの歌が流行ったわずか数年後には、五・一五&二・二六事件と軍部の台頭、日中戦争の勃発で国家総動員体制に突き進んでいったという日本の近現代史に思いを馳せながら……。(CDジャーナル2014年3月号)

REVIEW

(2013/03)

Berryz工房「アジアン セレブレイション」

ピッコロタウン 2013/03/13(CD)

 31枚めのシングルは「WANT!!」に続くK-POP調ディスコ歌謡。夏焼雅の「ハーイみなさんお元気?」の煽りでいきなり膝の後ろにガツンと食らったかと思ったら、Aメロのしゃくり上げ(歌詞との兼ね合いで歌いづらそうな人がいるのも味)に “チェッキュー” のかけ声、さらに “ちょこざい” “ちょっとシャイ” の死語混じりの押韻も加わって興奮度MAX以上! 純情ラブソング「世界で一番大切な人」、サビの3連が効いたトンチャイのカヴァー「I like a picnic」とカップリングもごきげんでもう完璧。(CDジャーナル2013年4月号)

ESSAY

(2010/06)

胸を打つメタルヘッズのメタなメタル語り

 バンドTシャツに身を包み、組んでもいない自分のバンドのロゴをノートに描いたり、友達と一緒にテレコでラジオDJごっこをしたり。話題は好きなバンド一色で、当然女の子にはモテないから、メタル的ミソジニー(女性嫌悪)で逆恨みを正当化し、多数派の美意識に背を向ける。映画や書籍に戯画化されるメタルヘッズ(ヘヴィ・メタル狂)の青春は、実にボンクラだ。しかし、その不器用さ、要領の悪さと無縁な青春を過ごした果報者がどれほどいるだろうか。方向性は違えど同レベルのボンクラだった俺にとって、メタルヘッズによるメタなメタル語りに触れることは、苦く、気持ちよく、温かい体験なのだ。

 筆頭は映画化の噂もあるChuck Klostermanの Fargo Rock City: A Heavy Metal Odyssey in Rural North Dakota (Simon & Shuster, 2001)。1972年生まれの著者は、ガンズ&ロージズやモトリー・クルーなどのグラム・メタルを愛し、皮肉と諧謔の利いた筆致でメモワールと音楽批評を往来する。賭金を設定した “好きなアルバム・リスト” が楽しい。1971年生まれの英国人、Seb Hunterの Hell Bent for Leather: Confessions of a Heavy Metal Addict (Harper Perrenial, 2004) も似ているが、バンドで小成功した経験があるせいか、クロスターマンほど拗ねていない。サム・ダン監督のドキュメンタリー『メタル ヘッドバンガーズ・ジャーニー』(2005年)も、映画の制約上の限界はあるが、当事者によるメッセージとして胸に迫る。

 メタルヘッズの語り口は、同類への共感と優しさに満ちている。俺自身もボンクラだったと先に書いたが、青春時代に “居場所のなさ” に悩んだ経験は多くの人にあるだろう。メタルヘッズは、メタルの反社会性ゆえかモテなさなゆえかは知らないが、その苦しみを尋常でなく濃密に、長期間にわたって経験したのではないか。彼らの語りの深い味わいは、逆境で育まれた知性の産物だからこそ、なのではないか。現時点での俺の仮説である。(CDジャーナル2010年7月号)

REVIEW

(2010/05)

マキタスポーツ『オトネタ』

DIWレコード 2010/04/23(CD)

 マキタ学級での2作を経て初めてのソロ・アルバム。定評のある持ち芸「作詞作曲モノマネシリーズ」のレパートリーは、ミスチル、奥田民生、B'z、佐野元春(絶品)、エレカシ、岡村靖幸、サンボマスター……アコギの弾き語りだから伴奏には頼れない。フルチン勝負の気概と高いクォリティに笑うやら涙ぐむやら。“自分の声” で歌う「0点の音楽」を聴けば、音楽マニア諸兄姉にも “ネタのできるミュージシャン” という自称通りの実力が伝わるはずである。タモリや清水ミチコにも比肩しうる至芸。文句なし。あとは売れるだけ!(CDジャーナル2010年6月号)

ESSAY

(2012/07)

マキタスポーツの「笑い」と「表現」

 本欄でマキタスポーツを取り上げるのは3度め。恐縮です。でも最高なのだからしょうがない。

 7月4日、赤坂・草月ホールで「第8回単独ライブ オトネタ4」を見てきた。今回は2年前、俺のコラムを読んで彼のCDを聴いてくれた泉麻人さんと一緒だ。

 “日本一売れかけている芸人” をキャッチフレーズとしてきたマキタだが、昨今は『HEY! HEY! HEY!』『笑っていいとも!』などお茶の間にも進出中。冴えた批評性と卓越したスキルがタモリやダウンタウンを笑わせるのを見るのは痛快だ。彼らを尊敬するマキタの感慨はいかばかりか。その勢いを駆っての当夜である。耳の早い著名人の姿も、若い女性のお客も増えた。

 長渕剛×YMOや尾崎豊×音頭のマッシュアップ、桑田佳祐、福山雅治、斉藤和義の作詞作曲ものまね、ヴィジュアル系楽曲の「十年目のプロポーズ」と同じ “J-POP解体新書” の方法論によるパロディ。尾崎豊が盗んだバイクの持ち主の視点から怒ったり、西野カナが会いたがる男の立場でビビったりする “アナザーストーリー” は、稀有な想像力が発揮された大好きなネタだ。

 ネタ卸しライヴを含めてほとんど毎回見ている俺さえ初見のネタも交え、最後は彼が当たり役をもらった山下敦弘監督の映画『苦役列車』の挿入歌「俺はわるくない」で締めた。この曲、映画より先に5月のマキタ学級ライヴで聴いたのだが、そのときと同じことを俺は思っていた。

 ロック輸入以降の “表現” という若干カッコよすぎる言葉がつきまとう大衆音楽を、身も蓋もない “芸能” として捉えて真っ裸にする視点が、マキタに俺が信頼を置く理由のひとつである。面白いのは、笑いのめしの果てに生まれるのが、彼個人の “表現” としか呼びようのないものであることだ。ミイラとりがミイラになった感がある。無論、いい意味で。

 色気がある。感動がある。客を選ぶ知的エンタテインメントの枠を超え、ベタに回収される可能性さえ孕んだ “人間性” がある。笑いと涙は同時に出てくるものだ。マキタスポーツが放つオーラは、今や “売れかけている芸人” ではなく “愛されている人間” のそれであった。(月刊てりとりぃ2012年8月号)

INTERVIEW

(2015/08)

DALLJUB STEP CLUB

 DALLJUB STEP CLUB(以下DSC)のライヴはすごい。本来ならコンピューターやサンプラーを駆使して作られるダンスミュージックのビートを、ステージ上での生演奏と機材の操作によって再現するどころかさらにダイナミックに展開する。GOTOはドラムを叩きながらリアルタイムでエフェクトをかけ、BENCH.が奏でるベースを星優太はどんどん歪めつつ自らの叫び声をループさせ、森心言はシンセでメロディを奏でながらラップでアジりまくる。4人全員が軽業師のようにマルチタスクをこなしつつ、あくまでユーモラスに、踊れる音楽を奏でるDSCは、とにかく理屈抜きにかっこいい。

 結成は2012年。当時も今もメンバーはそれぞれ別のバンドでも活躍している。中学時代から一緒にやってきたGOTOとBENCH.が当時やっていたバンドを解散し、以前から仲のよかった星に声をかけたのが始まりだ。

「震災があって、俺も死ぬんだな、やりたいことやんないとやばいな、と思って、バンドやめますって言ったんです。それで今みたいなことをしたいと思ってBENCH.さんを誘い、星くんを誘い」(GOTO)

「僕はもともと機材を触るのが好きで、アイデアをいろいろ持ってたんで、前から音の作り方とかを相談されたりしてたんです。この二人は最強だってずっと言ってたんで、誘われてうれしかったし、めっちゃ気合い入りました」(星)

 

 ベースミュージックを生演奏で──その発想には、実は音楽よりもお笑いの影響が大きいそうだ。

「藤井隆のネタで、動作を逆回しにしたりループしたりするのがあるんですよ。あれを見て面白い!って思って。音源を流せば完璧なんだけど、そうじゃなくて、その場でやってる面白さですね」(GOTO)

「とんねるずが好きなんですよ。スタッフを巻き込んで予想外なことをやるじゃないですか。ライヴではああいうことをやりたいんです」(星)

 結成翌年、Alaska Jamなどで活躍する実力派ラッパー/シンガーの森心言が加わる。「シンセ弾かない?」と誘われ、未経験だったのに「面白え!」と加入したそうだ。華のある彼の存在はバンドの雰囲気をいっそうポップにした。

「他のバンドではメッセージを大事にして歌詞を書くんですけど、DSCではただ音楽的でいたいので、バンドの基盤にあるGOTOくんのドラムと相俟ってよくなるラップを心がけています。あとユーモアは絶対に忘れないように」(森)

「最近、機材がどうとか音が凄いとかよりも、ライブパフォーマンスのことを言われることが増えてきましたね」(BENCH.)

 考えながら見る(僕みたいな)人じゃなく、素直に楽しむ観客が増えてきたのは、彼らの音楽が広がってきている証拠だろう。フィジカルに、エモーショナルに実験性を追求するDSCの身軽さは革新的。僕は彼らに日本の音楽の未来を担う可能性を見ている。(月刊宝島2015年10月号)

INTERVIEW

(2016/01)

吉澤嘉代子

 吉澤嘉代子の2枚目のフル・アルバム『東京絶景』は、前作『箒星図鑑』で少女時代を総括した彼女が「日常の中の絶景」というテーマに挑んだ意欲作だ。表題曲の “野良猫が漁るゴミ棄て場に 額縁を嵌めてみる” という一節が思い浮かぶ。

「星が見えない空とかその場限りの会話とか、何の変哲もないものが思いや記憶によってこの上なくドラマチックな景色に変わる瞬間を、“絶景” として切り取りたいと思いました。たとえ美しい眺めじゃなくても、幸せじゃなくても」

〈泣き虫ジュゴン〉や〈ぶらんこ乗り〉に匹敵する名曲で、音源化を待望していたファンも多いと思われる表題曲は、幼馴染に贈ったもの。「彼女が上京して住んでいたアパートに泊まりに行ったときに窓から見た眺めだったり、ワンルームの天井や部屋に下着が干してある感じだったり、彼女の目を通して東京を感じた気がして」書いたという。ちなみに〈ユキカ〉はその幼馴染の名前から曲名をもらっている。

 アルバム全体に魔法や魔女という言葉が頻出し、子供のころ魔女修行をしていた逸話を知る者としては彼女が魔女ならぬ人間として大人になることを引き受けたドラマを読み込んでしまう。吉澤いわくそうした曲は「個人的な思いのある曲が多い」そうで、中でも冒頭を飾る〈movie〉は12曲の中で最新、かつ特別な思いのある曲だという。

「魔女修行のお伴をしてくれていた犬のウィンディがおととし病気になって、余命1カ月って言われたんです。ウィンディが死んだら自分の中の何かが一緒に死んでしまうと思ったので、どうしても死なないでほしくて毎日お願いをしていたんですね。結果、10カ月くらい生き延びたんですけど、どんどん体が弱っていって、わたしが引き止めてしまっているって罪悪感もありました。ある日、誰もいないリビングで、ウィンディがうちに来てからのことを丁寧に順を追って話して “ウィンディ大丈夫だよ” って言ったら、その数時間後に亡くなったんです。そのとき、最初で最後の魔法っていうか、魔女修行の成果が一度だけ出たなって勝手に思って。サビの歌詞が1、2番は “新しい” なのが最後だけ “懐かしい” になっているのは、今まで見守ってくれていた誰かの眼差しが自分の眼差しに変わり、次は自分の大切なものに向けられるというつながりを書こうと思ったからです」

 歌唱も進境著しい。もともとうまい歌手だが、とりわけ彼女自身も気に入っているという〈胃〉のべとつかない情感や〈ガリ〉の飛び跳ねるような快活さは特筆もので、パフォーマーとしての成長も感じられるアルバムなのである。

「ほぼ1年前に録った〈東京絶景〉と最近録った曲では歌い方が確実に変わっていますね。具体的に言うと、艶やかな成分が抑えられて、ポッと出した声で歌っているように聞こえる。〈化粧落とし〉みたいな芝居がかった歌い方に振り切って一周回って元に戻ったようで、対極を経由しているから実は違う、みたいな。曲に関しては “このときしか作れない” というお話はあまり信じないんですけど、歌に関してはやっぱり体を使うものなので、そのときだけの歌が生まれます。以前はこういうふうに歌いたいのにできない、みたいなことがすごくあったんですけど、少しだけ “あれ? できるようになった!” って思うことが増えました。その分、できなくなったこともいっぱいあるんですけどね」(CDジャーナル2016年3月号)

REVIEW

(2017/05)

City Your City『N/S』

術ノ穴 2017/05/10(CD、配信)

 シンガーのk-overとトラックメーカーのTPSOUNDによるデュオ、1年半にわたって配信してきたシングル4曲を含む待望のアルバム。プログレッシヴでアブストラクトなトラックに、ソウルフルなハイ・トーンのヴォーカルという、ウィークエンドやミゲルやシドなどのPBR&B勢に通じる組み合わせだが、歌詞が演歌にも通じる女唄というのが天才的発明だ。新旧と和洋が入り混じった陰のメロウネスが癖になる。初めて聴いたときの衝撃が忘れられない「choice」、City Your Cityなりのポップ「shikaku」など珠玉の10曲。(CDジャーナル2017年6月号)

INTERVIEW

(2017/10)

半田健人

 1960~70年代の歌謡曲を聴く耳も、その魅力を語る口吻も抜群だが、それだけではない。前作『せんちめんたる』(2014年)で匂い立つような歌謡世界を平成の世に問い、好事家を震撼させたアーティスト半田健人が、昨年のシングル〈十年ロマンス〉から1年、いよいよメジャー・デビュー・アルバムを完成させた。

 作詞、作曲から編曲、ヴォーカル、コーラス、すべての楽器の演奏、打ち込み、ミックスまで自らこなした、全編宅録による全16曲(1曲は『仮面ライダーファイズ』主題歌のカヴァー)。趣味として録りためていたデモを聴いた担当ディレクターに口説かれ、長い説得を経て世に出ることになった『HOMEMADE』について、半田に聞いた。

「抵抗はありました。最初は抵抗しかなかったくらい(笑)。というのも、アルバムとはいついつまでに作りましょうという明確な目標を立ててそれに向けて録っていくものだ、という固定観念があったので、すでにあるものを〝使えるから入れる〟という発想はどうなんだと。それを払拭したのは、君にとっては既存曲かもしれないが、それを作っていなかったらこの企画はなかった、とディレクターに言われたことでした。そうか、作り置きと思ってるのは自分だけであって、あったからこそのこの話なんだな、というふうに、自分の中で昇華されたんですね。もちろんすべて既存曲だと芸がないので、書き下ろしたり歌を入れ直したり、ベストなものを集約して、ギリギリの統一感を目指した感じですね」

 オリジナル15曲すべてが “見事な再現度だが何を再現しているのか特定しにくい” という絶妙なラインで成立しており、そこが強烈なオリジナリティになっている。例えば東海道新幹線の車中で目にした光景をそのまま描いたという〈どすこい超特急〉のように、メロディや歌唱は昭和30年代っぽいが編曲は50年代っぽい、というような、歌謡曲の枠内での混線というか幅は、現代ならでは、後追い世代ならではの味といえる。

「僕は実はオリジナリティよりも、自分の好きなことが明確であることのほうが大事だと思ってるんです。俺はこれが好きなんだ、この師匠になりたい、という明確なものさえ持っていれば、どっちみち同じにはならないです。僕は作曲、編曲に関しては都倉俊一さんを超える人はいないと思っていますけど、都倉さんっぽい曲はそんなにない。長年勉強してきたから、これは都倉フレーズだよな、というのが不意に湧いてきたり、引き出しになったりはしてますけど。気をつけなきゃいけないのは、オリジナルと思っていたのが都倉フレーズだった、みたいな無意識パクリですね(笑)。例えば〈箱根に一泊〉は、尊敬する芹澤廣明さんみたいな曲を作ろうと思ったんですが、けっこうギリギリなフレーズも出てきます。芹澤さんがチェッカーズに曲を書いていらしたころに、チェッカーズ以外に書いた感じ。会いに行って “お願いできますか、うちの新人” “あ、ちょっと待ってね” と話をして、作ってくれるのかと思いきや譜面を出してきて “これなんかどうかな?” “あ、ありがとうございます……書き下ろしじゃないんだ” みたいな」

 圧巻の想像力、いや妄想力である。〈裁かれる者たちへ〉は「72年ぐらいの初期都倉サウンド」を目指し、「ドラム田中清司、ベース武部秀明、ギター水谷公生、パーカッションはラリー須永、鍵盤は飯吉馨」とミュージシャンも想定し、各々から彼なりに継承したスタイルで演奏したという。それを全部ひとりでやっているのが驚愕もので、職業作家が結集して作り上げた、洗練された “商品” としての歌謡曲を、ひとり多重録音でリモデルしているわけだ。これが斬新でなくて何だろう。

「そこはちょっと自負してますね。歌謡曲マニアとしては上には上がいらっしゃいますけど、知識と創作が両立している人って実はあまりいないので。僕は小学校高学年で歌謡曲を聴き始めたころから “こういうものを作れるようになりたい” とずっと思ってて、新しいレコードを買ってきて聴くにしても、いかにしてこれを自分で作れるようになるか、という聴き方しかしてこなかったんです。娯楽として成立してないんですよ。すごく頭を使う音楽っていうのかな、僕にとっては(笑)。最近ですよ、リラックスして聴けるようになったのは。誰が作ったかわからないと聴けなかった時期もありますから。今は一歩上をいって、聴けば誰かわかるので、もう気にしませんけど」

 編曲も音色も演奏も音質も、細部に至るまで “俺の好きなもの” にこだわり抜いた、昭和歌謡ならぬ “半田歌謡” だが、なんだかんだで不意に耳に飛び込んでくる歌詞がもっとも強く記憶に残ったりする。そこが正しく歌謡曲的、とは言えないだろうか。

「それを言ってもらうのはうれしいかもしれないです。僕もいろいろ講釈垂れてますけど、最終的にはメロと歌詞だと思っているので、歌謡曲というのは。それがないがしろにされたものとか、ヴォーカルがいい加減だったり魅力がないものは、望ましくないですよね。馬飼野俊一先生が仰っていたんですが、歌謡曲の編曲というのは、料亭よりも国道沿いのラーメン屋や牛丼屋のようなものじゃないといけない、入りやすさがいちばん大事で、いくらよくできていても敷居の高いものは要らないんだ、と。味つけはわかりやすく、濃いんだったら濃い、甘いんだったら甘い。洋楽志向の人には少々ダサい──って言うと語弊があるかもしれませんけど──要素が大事なんですが、結局それって歌のためなんですよね。ドラムがオカズばかり目立つのも、カッティング・ギターのヴォリュームがもったいないぐらい絞られているのも、すべては歌を生かすためであって、最終的にはメロと歌詞がよくないといけないんです」

​(ミュージック・マガジン2017年1月号)

REVIEW

(2016/10)

『プリンス フィルムズ ブルーレイ メモリアル・エディション』

ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント 2016/10/19(ブルーレイ)

 プリンスがその音楽的絶頂期とほぼ重なる1984〜1990年にワーナー・ブラザーズに残した主演映画3本が初めてブルーレイ化され、10月19日に単品と3枚組のボックス・セットでリリースされる。正直、映像や音がきれいになったからといってそう印象が変わるような映画でもない気はするけれど、あらためて見直してみると発見もあるし、実際、初見時より楽しめる部分もあった。

 

●パープル・レイン

 言うまでもなく出色なのは『パープル・レイン』だ。1984年7月に公開され、全米で6840万ドル、世界では8000万ドル超の興収を上げ、アカデミー賞(ベスト・オリジナル・ソング・スコア)も受賞した、音楽映画史に残る傑作である。

 2年前のアルバム『1999』でブレイクしたプリンスが、いよいよメインストリームに殴り込みをかけるべく構想した、自伝的要素を含む若きミュージシャンのサクセス・ストーリー。舞台はミネアポリスだし、プリンス扮するキッドが率いるザ・レヴォリューションとモーリス・デイのザ・タイムがバトルを繰り広げるクラブは実際に彼らが出演していたファースト・アヴェニュー。バンド・メンバーたちは実名で自分自身のキャラクターを演じている。

 本作が初監督作だったアルバート・マグノーリの述懐によると、当初のプロジェクトは予算100万ドルの自主製作。マネジャーがワーナーに売り込みに行くと、重役たちはキッド役にジョン・トラヴォルタを推薦したが、マグノーリは「ミネアポリスのミュージシャンたちが自身を演じることに意味がある」と断固拒否した。結局、ワーナーは彼の言い分を呑んで700万ドルを出資し、内容には口を出さなかったという。グッジョブ、アルバート。

 プリンスと監督がヴィジョンを共有し、密にコミュニケーションをとりながら作った映画であることがわかる。ストーリーの骨格は類型的な青春映画だが、肉づけがうまい。キッドと彼の機能不全家族、特にDVの父親との関係は社会性とシリアスな影を付加し、恋人アポロニアとの初デートでの「ここはミネトンカ湖じゃないよ」やモーリスとジェローム・ベントンの合言葉をめぐるやりとりなど、ユーモアも効いている。プライドが高くて無愛想だが、いたずら好きで実は熱血なキッドのキャラクターは、とてもチャーミングだ。間違いなく殿下自身の人柄を踏まえた造型のはず。現代の目には古色蒼然として見えるひどいミソジニーが気になるが、当時の標準ってこんなものだったんだろうか。

 なんといっても素晴らしいのは演奏シーン。当て振りではあるが、プリンスとバンドのパフォーマンスにはリアルなエモーションとパワーが宿っている。大ヒットした「レッツ・ゴー・クレイジー」や感動的な「パープル・レイン」、勢い満点の「アイ・ウッド・ダイ・4・U」〜「ベイビー・アイム・ア・スター」はもちろんだが、圧巻なのはキッドが恋人のアポロニアに愛を告げる「ビューティフル・ワン」。誰も気づかないのに彼女だけが歌詞の真意を察知して涙する描写がいい。本作で流れる曲は100曲以上のデモからマグノーリ監督が選んだという。

 結果的に全米ボックス・オフィスのトップに君臨し、プリンスを世界的スーパースターの座に押し上げた『パープル・レイン』だが、撮影中の彼らはそんな近未来など知るよしもなく、ひたむきに映画作りに取り組んだはずだ。プリンスも初めて、監督も初めて。「何がなんでも成功してやる」というチームの意欲が、当て振りに魂を吹き込んだ。ビギナーズ・ラックと言われればそうかもしれないが、ただのラッキー・パンチではなかったのだ。

 

●アンダー・ザ・チェリー・ムーン

 プリンス映画第2弾にして初監督作『アンダー・ザ・チェリー・ムーン』は、1986年7月というミュージシャンとしての彼の黄金期に公開されたにもかかわらず大コケ。駄作の評価も定まって久しいが、僕は嫌いじゃない。というかむしろ積極的に好きだ。松本人志の『大日本人』が好きなのと同じ意味合いで。

 プリンスの役柄は巧言令色とピアノが得意なジゴロのクリストファー。ジェローム・ベントン扮する相棒のトリッキーとともに、フランスの避暑地で金持ちの婦人を誑かして愉快な暮らしを送っていたが、財産目当てに接近したじゃじゃ馬令嬢のメアリーにマジ惚れしてしまう。身分違いの恋に燃えるふたり。だが、それは悲劇の始まりでもあった――と、お話はハーレクイン・ロマンスばりのベタベタな悲恋劇なのだが、少なくともプリンスの音楽だけでなく(伝え聞くところの)人柄を愛するファンなら間違いなく楽しめるはずだ。

 マドンナの「ボーダーライン」や「ライク・ア・ヴァージン」など多くのPVを監督したメアリー・ランバートの映画デビュー作になるはずだったが、方向性の違いで降板し、プリンスが自らメガホンを執った。脚本はこなれているし、映像はきれいだし、何よりプリンス自身が楽しそうなのがいい。クルッとターンして「鏡よ鏡、世界でいちばんセクシーなのは誰?」と言いながら髪を撫でつけたり、愛に殉じる覚悟を語ったり、銃撃されて恋人の腕の中で死んだりと、陶酔が似合う彼の個性にぴったりの愛らしいシーン満載だ。「わたしと逃げて。数時間だけ」と言われれば「永遠に」と返し、「愛してる?」と問われれば「確かめてみよう」とはぐらかす。基本的に相手の質問に正面から答えない不思議ちゃん。お風呂で被っている帽子(!)もかわいい。色っぽいぜ、クリストファー。

 ヒロインを演じたクリスティン・スコット・トーマスは、後に『フォー・ウェディング』や『イングリッシュ・ペイシェント』で映画賞を多数受賞したイギリス出身の名女優で、これがデビュー作。どうやら加齢とともに魅力を増すタイプだったらしい。プリンスは当時の恋人スザンナ・メルヴォイン(レヴォリューションのギタリスト、ウェンディの双子の姉妹)をヒロインにしようとしたそうだが、演技経験ゼロなので当然かなわなかった。

 サントラ盤『パレード』はご存じの通り大傑作なのだが、音楽が素晴らしいのに演奏シーンが少ないのも失敗の理由のひとつかもしれない。しかし、時代を特定しがたい幻想的な「むかしむかし」を舞台に現代的な音楽を配した擬古調のミュージカル映画といえば、バズ・ラーマンの『ロミオ+ジュリエット』や『ムーラン・ルージュ』にも通じる。この2本があれだけ評価されたのだから、本作も少しでいいから名誉回復させてあげてもらえないだろうか。

 

●グラフィティ・ブリッジ

 3作目にして最後のプリンス映画となった『グラフィティ・ブリッジ』は、キッドとモーリスが帰ってきた『パープル・レイン』のゆるい続編。1990年11月に公開されたが、またしても興業的にも批評的にも大コケ。プリンスも懲りたのかもしれない。日本では劇場公開されず、ソフトも2004年まで販売されなかった。

 舞台は再びミネアポリス。セヴン・コーナーズ地区を牛耳るべくカネに物を言わせて横暴を働くクラブ・オーナーのモーリスに、自分の店を守ろうと精神性で立ち向かうキッド。孤独な彼のもとにオーラという不思議な女性が現れ、ポエムと信心で力を与える。ジョージ・クリントンとメイヴィス・ステイプルズの両ベテランに、天才少年テヴィン・キャンベルも登場する。

 ミュージカル映画への回帰はいいとして、いかんせん全編を貫いてしまうチャチさは脚本や編集の厳しさに加えてセット撮影のせいもあろう。大事なキー・ヴィジュアルである「らくがき橋」のショボさ。演奏シーンはそれなりに楽しめるものの、やはり『パープル・レイン』の冴えとは比べるべくもない。ユーモアのキレも落ちている。やはり脚本くらいは(本当は監督も)他人に委ねたほうがよかったのではないか。コミュニケーションが得意ではなかったというプリンスだが、音楽においても、他者とガッチリ組んだときにこそ傑作が生まれる傾向があったと思う。

 ヒロインのオーラを演じるイングリッド・チャベスは当時のプリンスの恋人だが、いかにも地味で華がない。オーラの造型は詩人である彼女を生かしたものだが、そのポエムも……。『パープル・レイン』でも最初に出そうとしていたヴァニティにふられ、オーディションの結果アポロニアが起用されたわけだし、『アンダー・ザ・チェリー・ムーン』のスザンナの件といい、自ら主演する映画にカノジョを出したがるプリンスの “癖” は一貫している。

 もうひとつ3本の映画に一貫していることがある。それは、物質的豊かさに対する精神の優位性(カネより真心)、自由、独立、自律を訴えるメッセージだ。プリンスはこの点ではいかなる活動においても終生ブレなかった。大資本相手であろうと一歩も引かず、媚びることなく個人の尊厳を貫き、筋を通そうとする。そんな彼の価値観への共鳴がベースにあるから、それが音楽と同じく明確に感じ取れるかぎり、出来にデコボコはあっても僕はプリンス映画を嫌いにはなれない。映画もまたプリンスという人間の正直な創造物なのだ。​(レコード・コレクターズ2016年11月号)

REVIEW

(2018/04)

大森洋平『強烈なハッピーエンド』
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Kamuy Record 2018/04/11(CD、配信)

 1996年にデビューしたシンガー・ソングライター、6年ぶりのアルバム。詞も曲もよく練られ、歌は力強く、編曲の幅とバランスも絶妙。オーソドックスだが、あらゆる構成要素に力を感じる。さすが20年選手だ。19歳の少年は41歳の中年になり、体力は落ち白髪も増えたろうが、“何処にもいけやしないよ なによりも大事なもの 置き去りにしたままじゃ”(「ONE」)の一節には重みを、“さぁ駆けぬけようぜ 光差す方へ”(「あなたを連れていく」)には切実さを手に入れた。最高傑作の自負は伊達じゃない。(CDジャーナル2018年5月号)

REVIEW

(2018/05)

鈴木愛理『Do me a favor』
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zetima 2018/06/06(CD、配信)

 実力者揃いの℃-uteにあっても圧倒的な主役感を放っていた彼女の初ソロ・アルバム。“DANCEサイド” と “バンドサイド” に分けた構成で、℃-uteとBuono!の路線を折衷し発展させるコンセプトだったのだろうが、誤解を恐れずに言えばいい意味でハロプロ離れしている。井上慎二郎やAKIRASTARらBuono!流れの作家陣が手堅い仕事を見せる一方、今井了介(「DISTANCE」)、Glory faceとThe Channels(「Good Night」)、Jazzin' Park(「Moment」)、AKIRAにD&H(「perfect timing」)などの曲が要所で耳に残り、R&B~K-POP的な印象も。SCANDALや赤い公園とのコラボもいいし、大学のパイセン山崎あおいによる切ない片思いソング「君の好きなひと」がとにかく素晴らしい。聴きごたえは十分だが、あえて欲を言えば歌いぶりが生まじめなのでアソビとしてインタールード的なトラックがあってもよかったかも。日本には少なくなった、アイドルともシンガー・ソングライターとも違う大人のソング&ダンス・アーティストの鮮烈なデビューだ。(CDジャーナル2018年7月号)

REVIEW

(2018/07)

ZOMBIE-CHANG『PETIT PETIT PETIT』
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Roman Label / BAYON PRODUCTION 2018/07/04(CD、配信)

 6年前にギター弾き語りでデビューし、2年前に改名+エレクトロ転換。現名義での3枚目はnever young beachから巽啓伍(ベース)と鈴木健人(ドラムス)、D.A.N.から市川仁也(ベース)を迎えたバンド・サウンド。パンク好きだったというメイリンの歌心がこれまでで一番ストレートに形になった感じ。「LEMONADE」が「レモネード」とカタカナで再演されているのは象徴的だ。シンプルなメロディと力みのないまっすぐな歌声がドンと迫ってきて、思わず笑顔になる。資料にあるESGに加えて僕はCSSを連想した。(CDジャーナル2018年8月号)

INTERVIEW

(2017/01)

YONCE (Suchmos)
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 兄弟、幼なじみ、同級生といった “仲間” 6人が地元・湘南で結成したバンド・Suchmos。ロック、ジャズ、ファンク、ヒップホップなどメンバー個々が受けてきた影響を昇華させたサウンドは洗練を極め、一部で「和製ジャミロクワイ」と形容されている。’15年のデビュー以来じわじわと注目を集めてきたが、’16年から楽曲「STAY TUNE」がCMに起用されたことで飛躍的に知名度を上げ、今や大ブレイク前夜といった様相。そんな彼らの胸中を、バンドの看板で、アディダスのジャージがトレードマークのボーカル・YONCEに尋ねた。

 

──新作『THE KIDS』は、歪んだギターが吠えるリード曲「A.G.I.T.」をはじめ、Suchmosへの「おしゃれなバンド」という世評を快く裏切る硬派な出来ですね。

YONCE そもそも結成した時点でそういう下心みたいなものは一切なかったんです。だからオシャレって言われていることに関しても「あ、そうなんだ」って感じですね。俺らはまったくそう思ってないけど、まぁこんなに定義が曖昧な言葉もないんで、好きなように言ってくださいっていうのが本音です。「あざす!」みたいな(笑)。

──追う側じゃなくて追われる側というか、新作からは「新しい形を作ろう」という意欲を感じました。

YONCE 過去の作品もそうなんですけど、今作は一番顕著ですね。6人が個性をぶつけ合って混ぜ合わせてでき上がるのがバンドの理想形だと俺は思うんですけど、それがごく自然に成り立ったのが今作かなと。6人になって最初のアルバム『THE BAY』から1年半の時を経て、分担が完全に6分の1ずつになり、その態勢で制作に臨んだ最初のアルバムなので、自ずと個性が爆発するし、それが一体になってバンドの筆跡ができたと思います。ただ、もともと「こういうアルバムを作ろう」ってスタンスではなくて、「とにかくかっこいい曲を作ろう」ってことを目標にやってきた結果なんです。がむしゃらにやっていたら、スゲーものができてしまったという。

 

●Suchmosというバンドは存在自体がカウンター

 

──ロック色が強く出ているのも今作の特徴ですよね。それは「Suchmos=シティポップの旗手」というイメージを覆そうという意図で?

YONCE いや、そこは「でっかいステージでぶちかますならロックだろ」っていうシンプルな発想なんですよ。だからネオ・シティポップみたいな文脈へのカウンターの意図はまったくないというか、カウンターっていうならサチモスの存在自体があらゆるものに対するカウンターだと、俺たちは捉えているので。カウンターっていっても誰かへの悪意じゃなくて「腹の中には一物あるぞ」っていうことなんですけどね。

──「TOBACCO」や「SEAWEED」など、いろんな曲で世の中への怒りや違和感を歌詞で表明していますね。

YONCE そうですね。不満を抱いたり「それ、大丈夫?」って案じるみたいな。あとは「こうありたいね」という自分たちの理想とか。日常生活のなかで見たり聞いたり感じたことに対して、俺やHSU(ベース)なりの言葉を素直に歌詞にしているだけなんですよ。

──「STAY TUNE」もよく聴くと「金曜日の東京はゾンビみたいなヤツばかり」みたいなことを歌っていて、目線はシニカルです。

YONCE 酔っぱらって道でゲロ吐いている人ばかりでそう見えたんです(笑)。2年前に『THE BAY』が出たときも、横浜のことを歌った「YMM」がセンター街で流れていたんですよ。一切渋谷はレペゼンしていないのに(笑)。でもそれはある意味、俺たちのすそ野が広がり続けている結果なのかなって。そこから汲み取る人は汲み取るだろうし、汲み取らない人はオシャレで聴きやすい音楽として聴いてもらえばそれでいい。でも、何度も聴いているうちに「あ、これってこういうことじゃん」みたいな気づきが絶対訪れると思うし、俺はそれが大事だと思うんですよね。音楽というか、表現全般ってコミュニケーションだと俺は思っていて。

──なるほど。

YONCE それをやるうえでウソをつくのは俺的にはナシっていうか、許されないことだと思っているんです。ウソは必ずバレるから。脚色したりごまかしたりしないで、とにかく素直に「100%真実の言葉」で歌うのがフロントマンの務めだと思うんですよ。自分が思ういい方向に物事や人を導いたり、啓蒙したりしたいのに、ウソをつくと、ウソの世界になっていっちゃうじゃないですか。今、俺はウソの世界に住んでいると思うんです。音楽は特に。それでも俺は誠実に自分の言葉で歌いたいし、聴いてほしい。信じてもらうためにはウソをつかないって絶対条件じゃないですか。そういう思いをアルバムに込めることができたと思います。

──バンドとしてもYONCEさん個人も、去年で自信がついてきた?

YONCE 自信もそうですけど、去年、フェスででかいステージに立つ経験を通して思ったことなんです。1万人を超える人の前でやる機会が3、4回あったので。1万人の前でウソをつくって、けっこうヤバいじゃないですか(笑)。しかもいい音楽に乗せて。それを想像したとき寒気がして、そんなことやっちゃったら俺恥ずかしくて生きていけないわって。信用してもらうには素直でいるしかないんですよね。

──僕は「MINT」がすごく好きなんです。《周波数を合わせて 調子はどうだい? 兄弟、徘徊しないかい?》というサビは、仲間の大切さを歌いつつ、同時に「君も仲間になれるんだよ」と提示しているし。

YONCE 俺もあれはお気に入りです。最近、あらゆる表現のなかで、音楽ほど多くの人にいろんな気持ちとか、風景や思い出とかさまざまなものを喚起したり気づかせたりするものってないと思うようになっているんです。ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズも、ビートルズも、ローリング・ストーンズも、多くの人たちをポジティブな方向に導いたと思うんですよね。希望とか、個性の解放とか、弾圧との戦いについてすごく素直に歌っていて、影響を受けた人たちの暮らしを明るくしたと思うんです。音楽はポジティブに世の中を変えてきた。だから俺たちもそれに加担する一味になりたい。

──やるなら影響力を手にして、いい方向に行使したいですよね。

YONCE Suchmosを聴いてバンドを始めるキッズが増えてほしいんです。俺が中2のときニルヴァーナにくらった瞬間を、今作で起こせる気がしていて。今はバンドよりもアイドルとかラッパーが憧れの的になったりする時代ですよね。でも俺の考えでは、新しいものは常にバンドが生み出してきて、それを一般向けに希釈したものがポップスって呼ばれているんです。トレンドセッターは常にバンド。だから俺たちはまず日本のトレンドセッターになることを目標にするべきかなって。憧れられないバンドはバンドとは言えない。「かっけー!」「やべー!」って思って服装とか髪型、たたずまいもマネしたくなっちゃう、そういうとこまで含めてバンドだし、俺たちもそうあるべきだって。

 

●ウソのない音楽なら年代も性別も超える

 

──一方でSuchmosにはおじさん世代のファンも多いんですが、ご本人たち的にはどんな気分ですか?

YONCE ニヤリって感じ(笑)。「ですよね!」って。やっぱり長く生きているぶんいろんな音楽を聴いていると思うし、俺らは上の世代の音楽を消化して新しい形に作り直しているという側面もあるので。

──YONCEさんの世代だと’60~’90年代のロックは「昔の音楽でしょ」と思う人も多そうですが、どうして詳しくなったんですか?

YONCE 音楽好きの叔父の影響が強いんです。「アコギをやりたい」って相談しに行ったら、エリック・クラプトンとストーンズを渡されて(笑)。最初わかんなくて「音スカスカでつまんねー」とか言っていたら「ならこれを聴け」ってニルヴァーナを渡されて、聴いたらガツンときた。そこから遡って、中高生のころはロックを聴きまくっていました。その後も「次はブラックミュージックだ」とかどんどん貸してくれるんですよ。加えてメンバー同士の刺激もあって、6人それぞれのルーツを共有し合ってきたし、今もいいものを見つけたら聴かせ合っています。

──古今東西を問わない音楽全般への敬愛ですね。ベースのHSUさんは大学でジャズを専攻していたり、ドラムのOKさんはヒップホップへの造詣が深かったり。だからSuchmosの楽曲は、音楽好きな人に年齢関係なくハマるのかも。

YONCE 音楽が一番素敵だと思うのって、基本的にジェンダーレスでエイジレスなところなんです。年代も性別も関係なく快楽を感じられる。そうじゃないものはイビツだと思うんですよ。俺はそれを「ウソをついている」と解釈するんですけど。ウソをつかないことは、すべての人に信じてもらえる唯一の方法だと思います。誠実にやればSPA!読者の世代の人たちにも支持してもらえるし、キッズにも新鮮さを感じてもらえると思う。’90年代にイギリスでオアシスが現れたとき、ファンの親たちはビートルズ世代だから「ビートルズの焼き直しみたいのが出てきたな」「いや、オアシスのほうがやべーから」みたいな感じで、親子の会話のきっかけになったと思うんですよ。そういうバンドが今いない。オアシスがやったことの現代版みたいな形で、まずは俺らがやることを世の中に浸透させて、もっと自由に音楽を楽しめるきっかけの一つになれればいいなって思います。

(週刊SPA! 2017年2/14・21合併号)

INTERVIEW

(2018/06)

星屑スキャット

 ミッツ・マングローブ、ギャランティーク和恵、メイリー・ムーの3人による女装歌謡ユニットが、デビューから6年目にしてついにファースト・アルバム『化粧室』を産み落とした。ずっと組んできた作編曲の中塚武を含めた「4人のアルバム」(ミッツ)は、13曲中5曲が既発表シングルだが寄せ集め感は皆無。リリー・フランキーにプレゼントされたという「新宿シャンソン」(本誌が出るころには白石和彌監督/蒼井優主演のMVが公開されているはず)一曲だけ収録したCDとの2枚組で、歌、音はもちろんパッケージの隅々まで3人の美意識とこだわりが詰まっている。

 

――ファーストにしてベスト・アルバムみたいですね。

ミッツ「“ベスト盤で” っていう話も最初はあったんです。でも、わたしのなかでベスト盤っていうのは、売れたアーティスト、もしくは死んだアーティストだけが出す権利があるもの。売れてもないグループがいきなりグレイテスト・ヒッツはありえない、ちゃんとアルバムの体をなすものじゃないとイヤだ、ってゴネて、オリジナルを2~3曲、録り下ろしたんです。プラス〈新宿シャンソン〉も別のCDで入れて、結果的には思い通りにやらせてもらいました」

――シングル曲はミックスをし直していたり、曲の並べ方にもこだわり抜いた形跡を感じます。

ミッツ「アルバムとして一本筋をちゃんと通したかったんです。6年経つと声も変わりますし、アレンジ面でも整合性がとれない部分がどうしても出てくるので、録り直せるものは録り直したし、曲順も何パターンも作って、何回も何回も通して聴いて、徹底的に考えました。A面とB面の切れ目を作りたいから、と〈降水確率〉の後を少し開けたりとかね」

――特にこだわったポイントはどのへんですか?

ミッツ「アルバムって、そのアーティストのナウな部分を1、2曲めにフックとして置くじゃないですか。シングルじゃなかったとしても、いちばん自分たちが推したい曲とか雰囲気みたいなものを。そこから新曲が続いて、過去のシングル曲を6~7曲めに入れて、最後は自我丸出しの壮大な曲で終わる、と。ミリオン・セラーを作るごっこですね(笑)」

和恵「曲を作ったり詞を書いたりして、星屑スキャットの方向性を先陣を切って考えてるのはやっぱりミッツさんなんです。一応提案してくれるんですけど、考えてる量が全然違うので、わたしたちは “やります!” って」

ミッツ「その手法で今までやってきたんで、ここで一回その集大成みたいな形でちゃんとパッケージにしておこうと。ここから先は、また別のやり方が思い浮かんだらそれを試してみてもいいと思うしね」

――アルバムのイメージの下敷きになったのは?

ミッツ「若いころ毎回新譜を楽しみにしてたアーティストは、例えばユーミンだったら毎年冬にアルバムが出て、クルマのCMとかに使われる曲が1、2曲目に入って、プラスもう一曲ぐらいタイアップがつくような風物詩的な表題曲があって、中盤に2~3年するとファンの間でライヴの定番曲みたいになる曲があるじゃないですか。あと、本人はすごく思い入れがあるけど、ライヴでもあんまりコスられずに、なんとなくフェイド・アウトしていっちゃう曲とか(笑)。そのへんのバランスが頭にありました。あとサザンとか、山下達郎さん、竹内まりやさんとかも。ブックレットをめっちゃ見て “あー、new mixって表記するんだ” とか思いながら」

――〈ANIMALIZER〉にはものすごくメロディを詰め込んでいますよね。聴き終わって少し疲れるくらい。その曲が終わって〈半蔵門シェリ〉のWinkみたいなシンセが流れてくる瞬間が、うまいなぁと思いました。

ミッツ「そこはわたしがいちばん迷ったところですね。〈ANIMALIZER〉は、シングルをインディーズで出すことが決まっていたので、ある種やりたい放題やった曲なんですよ」

和恵「たしかにアタマ3曲が緊張感の高い感じで続きますからね」

――そこでいい感じに力が抜けて、ちょっとテンポが落ちる新曲2曲にスムーズに入っていける。とにかく今どき珍しいくらいアルバムとして聴かせることにこだわった作りだと感じました。〈ご乱心 2018 extended mix〉をボーナス・トラック扱いにしたのは?

ミッツ「本当は隠しトラックにしたかったんです。〈HANA-MICHI〉が終わったら3分くらい空白が続いて始まるみたいな(笑)。“それだとファンがかわいそうじゃない?” って言われて断念しましたけど。唯一、別の方が作ってくださった曲で(森雪之丞作詞/石川恵樹作曲/中土智博編曲)、当時は複雑な気持ちもあったんですけど、すごく人気のある曲だし、どうすればいちばんいい聴かせ方ができるか考えました。この曲の “澄まして駆け込んだ化粧室の鏡” っていうフレーズからアルバム・タイトルをつけたこともあって、ちゃんと〈ご乱心〉用の部屋を作りたかったんです」

――音楽的には意外とモロ歌謡曲ではないですよね。

ミッツ「そうすると、よりにじみ出るでしょ。隠しきれない感じで。個性ってそういうものかなってわたしは思うんです。型にはめた上で、それでも香り立っちゃうもの。今風にカッコつけても出てきてしまう歌謡曲感、みたいなものをより強く感じ取ってもらうために、こういうアプローチがむしろ有効なのかなって思うところもあります。逆に、ここまでやっちゃえば次は振り切って真っ正面からやるのも面白いかなって思えるし。そういう部分は〈新宿シャンソン〉にも出てますし」

――歌謡曲で8分もある曲ってあんまりないですよね(笑)。

ミッツ「〈ヨイトマケの唄〉〈トイレの神様〉に続く〈新宿シャンソン〉で『紅白』の歴史を塗り替えたいなと」

メイリー「ぜひフル・ヴァージョンで出場したいですね(笑)」

ミッツ「ライヴで3~4年歌って育ててきた曲なんです。お客さんの中でも育っちゃった曲だから、あらためて盤にする難しさはありましたけど、レコーディングをした後のライヴが全然その前と違って、めっちゃリラックスして歌えるんですよ。ひとさまの曲になったっていうか、お客さんたちに歌わせてもらってる感じなんですよね。それが大衆音楽の育ち方なんだなと」

――余談ですが、〈HANA-MICHI〉を聴いて僕はモーニング娘。'14の〈時空を超え 宇宙を超え〉を思い出しました。

ミッツ「まさに! ご名答です(笑)。大好きな曲で、中塚さんには “泣ける曲を作ってください” ってお願いしたんですけど、そのときに参考として聴いてもらいました。いわゆる一般人が歌番組で見た後、ツイッターに “この曲泣けるよね” とか書きそうなメロディを作ってほしい、と」

――難しそうなリクエストですが、見事な阿吽の呼吸ですね。

ミッツ「中塚さんはわたしたちが使う偏った言語をちゃんと音に翻訳してくれるんです。“これ?” “違う” “これ?” “違う” “じゃあこれ?” “あ、それ!” みたいな」

――本当にすばらしいアルバムだと思います。

ミッツ「ねぇ。それをどうやって世の中に伝えていくかですよね。“いい音楽だ” とか “すごい” とか思わなくっても、買いたくなるものにしないと」

――その意味ではパッケージ・デザインは大事ですよね。

和恵「メイリーさん、ミッツさんのアイデアをもらいながら、わたしが最終的に形にしました。女装家がヒゲを剃るっていうアイデアにインパクトがありすぎて、ヴィジュアルがパッと浮かんで」

ミッツ「自分は天才だなと思いました。思いつくなり “ヒゲ剃り おかま” とか “ヒゲ剃り ドラァグクイーン” で画像検索して、同じことをやってる人がいないことを確認して(笑)。デザインの詰めが大変だったよね。“化粧室” の文字間を5パターンぐらい出力したり、写真もちょっとした角度とかトリミングの違いで、全部カラー・プリントして、床じゅうに並べて」

和恵「わたしだけの判断でGOサインは出せないので、夜中の3時とか4時にLINEで送って “とりあえず答だけほしいです” みたいな」

ミッツ「メイリーにも訊くんだけど、この人は既読にもなんないんですよ」

――そう、メイリーさんは何を担当されていたのかなと思って……。

メイリー「わたしはただの美人担当です(笑)」

――ヴォーカルもすごくきれいに録られていると思います。

ミッツ「自分たちで代わりばんこにディレクションしながら好き勝手に歌って、何十パターンも録るんですよ。で、全部キープさせるんです。ハーモニーがいちばん分厚いところで5声か6声あるんですけど、これとこれをつなげて、ここの前半はこの人の声を使って後半はこの人で……とか、全部ひとりのエンジニアがやるんです。誰よりも彼が苦労したと思いますね」

――まず型にはめ込んで、それでも滲み出てしまうものが個性だ、というお話は面白いですね。

ミッツ「大人が伸ばしてあげなきゃいけない個性なんて個性じゃないじゃん、って思うんです。わたしは親から “普通のことをやりなさい” ってずっと言われて育ったから。それでも出てきちゃうんだったらしょうがない、それこそが個性だよね、って」

メイリー「わたしは音楽をやるよりも前からドラァグクイーンとして活動してたので、制約が多ければ多いほど自由になれるっていう感覚はそこで身についたと思います。女装ってそれこそ制約だらけじゃないですか」

ミッツ「わたし、説明書通りにプラモデル作ってできたためしがないんですよ。唯一できたのがクラシックのピアノで、あれはちゃんと譜面通りに弾くとその曲になるんですよね。わたしのなかでは、女装や化粧と音楽ってつながってる気がするんですよ」(CDジャーナル2018年7月号)

INTERVIEW

(2018/07)

杏沙子
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「今日は『ミュージック・マガジン』のインタヴューだって聞いて “わー!” ってなりました。大学の卒論で松本隆さんについて書いたんですけど、特集(2015年7月号)を参考文献にさせていただいたので」

 そう言って担当編集者を喜ばせた杏沙子は1994年生まれ、鳥取県出身。7月11日にミニ・アルバム『花火の魔法』でデビューしたばかりのシンガーである。

 母親が音楽好きで、外出時には自ら選曲したMDを車内でかけながら熱唱していたという。それを聴きながら育った杏沙子は、好きなアーティストとして松田聖子、DREAMS COME TRUE、槇原敬之、aiko、大塚愛などの名を挙げてくれた。

「小学校のクラスで手話をしながら歌をうたう出し物みたいなのがあって、初めて人前で歌ったんです。そのときみんながほめてくれたのがうれしくて、それから “歌う人” になりたいって思うようになりました」

 夢は日に日に育っていくが、「何をしても、他の人がみんなほめてくれても、決して認めてくれない」厳しい母に打ち明けることはなかった。「鳥取を出たい。関東に行かないと夢が叶えられない」と猛勉強し、横浜の大学に進学。アカペラ・サークルでライヴハウスに出演するようになり、2年生のときに作った初めての曲〈道〉をきっかけにひとりで歌い始めた。「母が〈道〉を聴いて初めて “あんた、曲書けるのね” って言ってくれたんです。ほめ言葉ではないですけど」と笑うが、お母さんにとっては最高級の賛辞だったろう。

 歌手の夢を母に告げたのは、活動開始から約1年後のこと。「もう就活が始まるし、さすがに言わないと……と思って、お正月に実家に帰ったときに。なかなか切り出せなくて、最後、空港で言い逃げしたんです(笑)。“わかってたよ” って言ってました」

 インディーズで活動し、CDも2枚リリース。そのうちの1枚、『マイダーリン』(2016年7月)に収録した〈アップルティー〉がYouTubeで400万回近く再生されるなど評価を高めて、めでたくメジャー・デビューの運びとなった。

『花火の魔法』には表題曲など自作の3曲と、新鋭ソングライター幕須介人(才人!)が提供した2曲を収録。彼女の曲は、自分の思いを歌うのではなく、背景や主人公を設定した物語を描き演じて聴き手の想像力を刺激する “ひとり歌謡曲” 的な色彩が強い。松本隆を尊敬しているという話にも納得だ。

「小説みたいな曲を書きたいって自然に思って、自然に書いてたんですけど、無意識のうちに影響されてたことにあとあと気づきました。松本さんの歌詞って風景が見えるし、聴く人を縛らないじゃないですか。それぞれが自分の風景や思いや色や人物を重ねられる。あと言葉が楽しそうというか、生きてるなって思うんですよね。歌詞だけ読んでも成立するけど、歌われるために生まれた言葉たちだなって。包容力があって強い歌詞ですよね。わたしの曲も、それぞれ好きなイメージと合わせて聴いてもらいたいなと思います」

 もうひとつの魅力はきれいな声と歌唱力。曲ごとに歌い方を変えながら、楽しげに歌っているのが聴きどころだ。そもそもの出発点が「歌う人になりたい」という思いだった彼女ならではの個性と言えるだろう。

「松本隆さんの歌詞に惹かれたきっかけは松田聖子さんなんです。車の中で聴いてて、大学時代まで映像を見たことがなかったので、アイドルってイメージが全然なくて、幼心に “この人はいくつ声を持ってるんだろう” って思ってました。完全に演じてらっしゃるじゃないですか。そこに憧れてました。わたしも曲に合う声を探っていくのが楽しいので、ひとの曲を歌うのは自分の曲を作るのと同じくらい好きだし、これからもどんどんやっていきたいですね」​(ミュージック・マガジン2018年8月号)

INTERVIEW

(2021/12)

ニイマリコ
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 2005年に結成したHOMMヨ(20年から活動休止中)をはじめ、ワニウエイブとのGhostleg、羽賀和貴とのduMoなどのユニットでも活動してきたニイマリコが、初めてのソロ・アルバム『The Parallax View』を発表した。
 パララックス(視差)とは、ひとつのものを異なる2地点から見たときの方向の差のこと。ニイは21年8月からGarageBandで制作した曲をbandcampでリリースしてきたが、アルバムにまとめる際に、数々のバンドやソロで縦横無尽に活躍するベーシスト/トラック・メイカーの剤電にプロデュースを依頼。剤電がアレンジをガラリと変え、ニイもそれに呼応して歌詞を書き換えたり歌を入れ直したりしながら完成させていったという。ニイと剤電の二人に聞いた。

ニイ ロック・バンドの一部になりたい、みたいな動機で音楽をやってたので、HOMMヨが活動休止してから3か月ぐらい記憶がないんですけど(笑)、コロナが来てからモヤモヤすることが増えて、それを整理できるのはやっぱり音楽を作ることだって思ったんです。曲作りってどうすればいいんだっけ?ぐらいまで退行してたんですけど、そうだ、パソコン持ってるんだしGarageBandがあるじゃん、と思って。デモ作りとかでしか使ってなかったんですけど、とにかくやらないとモヤモヤの整理がつかないから、なんとか曲を作ってbandcampに1曲ずつ上げ始めました。剤電くんはそれに巻き込まれてしまったんです(笑)。
剤電 最初に話したときは、イメージとしてダークとかゴシックって形容詞が出てました。HOMMヨのイメージがあったので、アコースティック・ギターの弾き語りみたいなデモが来るのかと思ってたら打ち込みだったので、どうしようかなと(笑)。
ニイ 9曲できた時点でアルバムにしようっていう構想はあったんですけど、コンピレーションみたいにはしたくなかったので、ひとりの人に全部プロデュースしてもらえれば統一感が勝手に出るだろうと思って頼みました。面識はありましたけど、どんな人なのかとか、どんなことやってるのかとか全然知らなかったので、記憶喪失になってたからできたのかもしれないです(笑)。
──序盤はそれこそダークな雰囲気ですが、だんだん明るくなっていく流れがありますね。
剤電 最初はダークって話でしたけど、僕はそのときから最終的に救いというか光というか、ポジティヴな方向に持っていく構成にしたいって思ってました。
──相談しながら作っていった?
ニイ 音源のやりとりだけです。音楽で会話をする的な。それができなきゃダメっていうか、感じたことを感じたまんま出せるのが音楽のいいところだと思うので。アレンジがすばらしすぎて、わたしは主に椅子から転げ落ちて泣いてたんですけど(笑)。
──なんて幸せな制作過程!
ニイ 今回は「楽器を弾かない」というのをひとつ決めごとにしてました。以前はギターをどっかーんと弾ければそれでよし、歌なんかうたいたくない、みたいな感覚だったんです。HOMMヨのときは喉をわざと潰したこともあるんですけど、意外と「特徴がある」とか「いい声だ」とほめられたりして、だったら自覚してしっかり歌わないともったいないな、って思い直して、今回はなるべく録り直さずに3回ぐらいで終わらせる、っていう気持ちでやりました。それも剤電くんのおかげですね。アレンジに呼応して歌を変えていった部分もありますし。
──音は案外ポップな印象を受けました。
剤電 そう感じてもらえるならよかったです。ミドルとローに特徴のある声なので、全体のトーンは自然と低めになるんですよ。録音とミキシングをやってくれた君島結さんとも話し合って、「だったら音はキラキラした感じのほうが面白いんじゃない?」ってことになったので、キーボードは全部、カシオのおもちゃみたいなやつを使ってます。音色がチープだから抜けがよくて、ニイさんの歌と相性がいいんですよ。
──ポップといえば「A.N.G.E.L feat. 川本真琴」にホイットニー・ヒューストンの "I Wanna Dance With Somebody" の歌詞を引いていますね。
ニイ 3歳ぐらいのときにマイケル・ジャクソンとホイットニー・ヒューストンが二大ヒーローだったんです。キラキラしててきれいでかっこよくて、憧れてたんですけど、成長するにつれて人種差別とか家族の問題とか、悲しみに彩られた一生だったこともわかってきて。ソロを作ることがあったらホイットニーが大好きっていう曲を入れよう、届かないディーヴァみたいな人とデュエットしたい、って実は前から妄想してたんです。もう川本真琴さんしか思い浮かばなくて、ダメもとで突っ込んだら「いいよ~」って明るく引き受けてくださいました。
──その後にザ・スミスの "There Is A Light That Never Goes Out" の一節も出てきます。
ニイ ホイットニーとスミスってわたしのなかでは共存してるんですよね。 "I Wanna Dance With Somebody" はすごく明るい曲調だけど歌詞は暗かったりして、やっぱりブラックの人たちが歌うポップスって常に根底にブルースがあるというか、悲しいニュアンスが引き継がれてるじゃないですか。そういうところがすごく好きなんだと思うんです。わかりやすくダークっていうよりも、自分のイメージはそっちなのかもしれないって思いました。

 光あっての影。二人の “パララックス・ヴュー が交差して、当初のイメージ以上に深みのあるダークさを獲得できたと言えるだろう。二人とも音楽通で、剤電は本誌先月号について編集者に逆質問していた。アルバムの稀有な味わいは豊富なリスナー体験が支えている部分もあるのかもしれない。​(ミュージック・マガジン2022年1月号)

INTERVIEW

(2015/04)

水曜日のカンパネラ

 3月29日、恵比寿リキッドルームに1000人超の観客を集め、初ワンマンライヴ「鬼ヶ島の逆襲」を成功させた水曜日のカンパネラ。さぞやご満悦と思いきや、コムアイは「最悪でした」と振り返る。

 いつもどおり、ステージ上は彼女ひとり。それで2時間やるために考えすぎたのが原因だという。

「いつも何も考えずにやってるのに、あらためてやんなきゃって思うと気が重くなっちゃって」。スタッフワークの齟齬もあり、フロア後方の観客まで楽しませることができなかった。「わたしのスキルがまだまだだから。隙をなくすつもりはないけど、決めるべきところはもっと決められるようになりたいです」と、ライヴ後に話すたび反省の弁しか出てこない彼女の向上心にまた感心させられた。

 

 4月15日に発売した新作『トライアスロン』は天晴れな “攻め” の一枚だ。ケンモチヒデフミによる〈ディアブロ〉はいっそう尖り、サウンドクリエイターチームTokyo RecordingsのOBKR & 酒本信太が手がけたR&B的な〈ナポレオン〉、奈良の怪人オオルタイチのプリミティヴな〈ユタ〉と、収録3曲は歌手コムアイの成長を感じさせる清新な出来。取材した発売前の段階では「ほんと楽しみ、出るのが」とワクワクした表情を浮かべていた。

「『私を鬼ヶ島に連れてって』のときは絶対に気に入ってもらえると思ったし、どういう風に受けるかも完璧にわかったんですよね。だけど今回は、これが気に入られなかったらけっこう絶望するみたいな怖さもありますし、ジャケットとかも含めてとんでもないことができたっていうのは初めてですね。自信作です」

 

 とりわけ感慨深いのが、コムアイの言葉や態度に自然な自信が感じられること。名前が売れてきたこともあるだろうし、山田孝之、斎藤工、きゃりーぱみゅぱみゅといった売れっ子たちの人間性や才能を身近に感じる機会が増えてきたこともあるかもしれない。

「曲を作ってないから、前は好きだって言ってくれても別にわたしのことじゃないって思ってたんですけど、だんだんとそれだけじゃないかもなって思えてきた。会いたいって言ってくれる人たちは、曲を聴いてわたしのことをちゃんと聴いてくれてる気がするんです」

 ふわふわしているように見えて、実は真摯な人だ。「死にそうな人を見ると、死なないでって思う」といった発言に控えめに表現されるアーティスト/エンタテイナー適性の高さに、しかし僕も以前は気づかなかった。本人も「わたしは “持ってない” と思ってた」と不思議そうだが、少しずつその気になっている様子。大きな仕事をしてくれそうな予感が半端ない。

「こんなところじゃダメなんですよ、絶対。もっともっと大きい影響を与える人にならないと。どういうところで何をするかはまだ全然わからないけど、世の中に出る価値があるというか、そういう気がしてきた」(月刊宝島2015年6月号)

REVIEW

(2014/04)

不可思議/wonderboy『不可思議奇譚』

LOW HIGH WHO? PRODUCTIONS 2014/05/04(CD)

 僕が不可思議/wonderboyを知ったとき、彼はすでにこの世にいなかった。急逝からまもなく4年。限定販売のデモEPやアルバムの特典などでしか入手できなかった楽曲をコンパイルしたCDが全国流通で登場した。寄せ集めと言われればそうだが、冒頭の「所信表明演説」にグイッと引き込まれ、一気に聴けてしまう。

 とにかくこの朗読はすごい。唾が飛んでくるような気迫でダサいラッパーを斬りまくり、返す刀で自らも斬る。無伴奏だが強烈なビートがあり、むしろ代表作と言いたいくらい。「talk about spoken words」と「暗闇が欲しい」はオーソドックスなフロウのラップらしいラップ。前者の “フライヤーに名前も載らないような 俺たちがやばかったらどうする” の啖呵にしびれる。父と子の物語「この海の向こうに」ともうひとつのアカペラ「続・素顔同盟」ではストーリーテリングの才が圧倒的。2曲のリミックスと「偽物の町」のセッションも聴き応え十分だ。(CDジャーナル2014年5月号)

INTERVIEW

(2014/01)

壇蜜

●知恵か体で稼ぐなら、わたしは体で稼ぐ人

 

──3本目の主演映画『地球防衛未亡人』が2月8日から公開。“バカ映画の巨匠” 河崎実監督ならではの強烈なSFコメディですね。

「監督ご自身 “俺はどこへ出しても恥ずかしい監督だ” って仰ってますけど、ただ人を揶揄するのではなく自らバカに身を投じていらっしゃって、わたしは好きです。未亡人という役柄は、今までグラビアだけで表現してきた世界観が映画のなかでも求められたということですよね。自分のイメージが少しでも監督の作品づくりの力になれたのであればうれしいです」

──他人のインスピレーションを刺激するのは喜びですか?

「それでしか生きられないところがありますよね。いかに個性や自己主張を消しながら自分らしく生きていくか──矛盾してますけど、それがこの世界で生きる人の宿命だと思ってます。出すぎちゃいけないし、引っ込みすぎてもいけない。あくまで他人様(ひとさま)のイマジネーションや妄想のなかで、それを作り上げる道具のひとつとして生きることが大事だなと考えます」

──最新刊『はじしらず』を読んでも、他人の求めに応えて生きていく、という考え方は一貫してますね。自分のやりたいこととの間に軋轢はありませんか?

「わたしはその軋轢が生まれにくい性質だと思います。やりたいことがあんまりないんですよ。軋轢を生むか生まないかは、環境や考え方、性別や年齢で変わってくるので、今この時代にこの年齢でこの性別でいられたことはラッキーでしかないですね」

──アンラッキーと感じる人もいると思うんですが、どうしてラッキーと思うようになったんですか?

「アンラッキーを経験しましたから。わたしの世代はとにかく自己実現が大事だと言われて育ったんですけど、それをよしとする生き方自体、わたしにとってはアンラッキーだったんです。消去法で “他人様のために” という生き方を見つけて、やってみたら心地よかった。望んでつかんだものじゃないけど、他人のために生きることをやめて自己実現を目指したいとは、今はまったく思いません」

──大学卒業後に調理師の専門学校に通ったり、銀座のクラブや葬儀会社で働いたり、といったグラビア以前の経験は……。

「間違いだったとは思いませんけど、力及ばず失敗して、今の世の中は自分に向いてないな、わたしはどうしたらいいんだろう……と常に考えてました。女の人が身ひとつで生きていくっていったら、誰かに取り入るか、性を売り物にするかしかないと思ってましたから。わたし、教育は受けさせてもらいましたけど、個性とか能力を消して “女の人” として体ひとつで仕事をすることが、イヤじゃなかったんです。生まれつき自分のどこかが腐っていたか、覚悟があったか……」

──何かきっかけがあってそうなったわけじゃなく?

「特にないんですよね……大きなきっかけがあったら分析できたんでしょうけど。ただ15~16歳のとき、学校で社会の先生が “人類最古の仕事は先生と娼婦” って言ったときに、そうか、知恵か体でしかお金はもらえないんだ、と思いました。どっちかしかないのなら、自分は体で稼ぐ人なのかなって。知恵を放棄したんでしょうね、そこで」

 

●羨望と蔑みが共存する夢の世界に生きて

 

──本を読んだときも思いましたけど、諦念というか、割り切りというか、夢のなさというか……。

「夢はないですね。夢を見ることを諦めて、他人の夢に入る仕事を選んだんでしょうね。夢を売る仕事ともとうてい言いたくないんですけど、他人の夢の一部になる仕事は大事だと思っているし、それが自分の食いつなぐ道でもあるんだろうなって思います」

──『はじしらず』に “コンビニへ行き自分の名前と卑猥な言葉が同居している雑誌を眺め、今週も生きることを許された気持ちになる” って書いてあって、僕は共感しましたけど、なかなか重い言葉ですよね。

「あははは。この世界にしがみつけないのは、わたしが要らなくなる、つまり許されなくなる日が来るということがわかってるからなんだと思います」

──切ないこと言いますね。

「こう言うと、世間は “じゃあ2014年はやめるんですね?” とか乱暴なことを言うんですよ。いつって言えるほど考えがまとまっていないだけなのに、どうしてそう焦るのかが不思議です。それだけこの世界が、羨望と蔑みの両方の感情を持たれてるんだなってよくわかりました。バランスよく好かれて嫌われていないといけない仕事なんですね、悲しいかな。とにかく、わたしはファンと自分の間がクリアであればそれでいいんです。ファンの落とすゼニで生きてますから」

──壇さんは物事を深く考える方だと思うんですが、思考のベースが常に相手本位ですよね。

「相手を慮ることや迷惑をかけない言い回しは心がけてますけど、そうしてると答えをすぐほしがる世の中に合わなくなりますね。明日から彼氏と仲よくなりたい、今日から夫婦関係を改善したい、という人ばっかりじゃないですか。そんな時代に、わたしの話し方は “回りくどい” とか “結局普通のこと言ってる” とかって言われちゃうんですよ。“じゃあ普通のこと言える?” って思いますけど(笑)、時代に悪口を言われるのは仕方ないと思います。この時代に生きることを許されてはいますけど、この時代にはまった考え方は一生できないでしょうね」

 

●男のやさしさとは爪先のマジック

 

──最近は女優としての活躍が目立ちますね。『はじしらず』に “私は壇蜜という着ぐるみを着て仕事をしています” とありますが、本名の齋藤支靜加が演じる壇蜜が、役を演じる、みたいな感覚ですか?

「その二つは、根っこは一緒なんですよ。よく “釘の刺さった着ぐるみ” って言うんです。完全には脱げなくて、つながってる。『エルフを狩るモノたち』(矢上裕)っていうマンガにあった表現なんですけど」

──最後に、年上好きの壇さんの好きなおじさん、嫌いなおじさんを教えていただけますか?

「爪を切ってる人がいいですね。切ってない人は一緒にいてつらいです。その人とはこの先、発展しない気がして。爪がきれいに整っているのは、相手を傷つけないという意思表示だと思うんです。女性はどんなに頑張っても男性にはかなわないじゃないですか。だからこそ敬意を払って、傷つけないと表現してくれるとうれしいし、その姿勢は指先に出る気がします」

──モテたいおじさんは爪をまめに切ってね、と。

「はい。読者プレゼントでぜひ爪やすりを!(笑)」(月刊宝島2014年3月号)

INTERVIEW

(2013/10)

吉澤嘉代子

 〈化粧落とし〉の歌い出しには何度聴いてもクスッと笑ってしまう。“電話がとだえたのはきっと 会うまえに餃子を食べたせい” と歌い、吉澤嘉代子は “はぁ~” と吐息を洩らす。本当に餃子の匂いがしてきそうな迫真の歌唱だ。

 耳から嗅覚を刺激されるという稀有な体験をさせてくれる彼女は、3年前にヤマハ主催のコンテストでグランプリを受賞、今年6月にインディーズファーストミニアルバム『魔女図鑑』をリリースしたシンガーソングライター。“わたし あなたが す、す、す、” と吃音がキュートな〈未成年の主張〉や、電話のベル音をもじりまくった〈らりるれりん〉など、どの歌もユーモアとアイデア満載。一曲一曲に短編小説のような物語性があり、変幻自在の歌唱法も鮮烈だ。

「曲を作るとき、等身大の自分じゃなくて、主人公の世界を100パーセント描き切りたいっていつも思っているんです。歌うときも主人公になり切ったり、想像しながら歌ったり。曲ごとに主人公が違うので、自然と歌い方も変わります」

 往年のフォークや歌謡曲に通じるアプローチ。井上陽水のものまねが得意な父親の影響が大きいそうだが、パフォーマーの才能もお父さん譲りかもしれない。

 

 キャッチフレーズは “ただいま魔女修行中。” 目を惹く “魔女” というキーワードにも背景がある。

「小さいころ魔女にさらわれる夢を見たのが忘れられなくて、学校に行けなかった小学校高学年のころに魔女修行をしてたんです。おばあちゃんにもらった黒い服を着て、家がやっていた工場の屋上で、ペットのウサギや犬と話そうとしたり、おやつを食べたり。修行といってもそんなものですけど、絶対に魔女になれると信じてました。いま思えば、そう思い込まないと生きていけなかったんでしょうね」

 中学3年の終わりにサンボマスターと出会い、進学したらバンドを組もうと決心。高校では軽音楽部に入り、音楽を心の支えに通学した。ギターを手にして作曲を始め、先述したのとは別のコンテストに応募したとき、現在のディレクターに見出される。以来じっくりと力を蓄えて発表したのが『魔女図鑑』なのだ。

「家から出ることもできなかったのに、よく今こんなことしてるなって思います。魔女にはなれなかったけど、要は自分じゃないものになりたかったんですよね。曲のなかでそれを実現できて、暗い歴史だった魔女修行期間が大事なものだったって思えるようになりました。だから最初に世に出す音源は、魔女にまつわるタイトルにしたかったんです」

 今は11月23日の初ワンマンショウに向けて張り切る毎日。ライヴじゃなく“ショウ”なのがミソだ。

「ただ歌うだけじゃなくて、ちょっとした踊りやお芝居も盛り込んで、ストーリー性のあるものをやりたくて。だからショウなんです。新曲もいっぱいやります。早くお見せしたいです!」(月刊宝島2013年12月号)

ESSAY

(2016/01)

若者もおじさんもSuchmosに注目!

 昨年は紅白を見られなかった。カウントダウン・ジャパン・フェスを見に幕張メッセに行っていたからだ。今回はそのCDJで素晴らしいライブを見せつけたバンド、Suchmos(サチモス)について書こう。

 湘南育ちの6人組。パイオニアになりたいとの思いを込め、バンド名はルイ・アームストロングの愛称「サッチモ」にあやかっている。別々に音楽活動をしていたが、普段から価値観を共有し合った仲間で2年前に結成した。みるみる頭角を現し、昨年デビュー。アルバム『THE BAY』は高く評価された。

 CDを聴き、ライブを見れば魅力は一発で伝わる。とにかくかっこいいのだ。ファンク、ジャズ、ヒップホップ、ロックなど、新旧のポップミュージックを消化したグルーヴは平均年齢23歳という若さと不釣り合いなほど練れていて、跳ねるようなイキのよさもある。音数が少なくて抜けのいいバンドサウンドが、J-POPを席巻する高音圧打ち込みサウンドに疲れた耳を癒し、想像力を快く刺激してくれる。

 洋楽を参照したバンドは他にもいる。Suchmosが独特なのは、まず彼ら言うところの「世界の音楽の家系図」を意識しているところだ。ヴォーカルのYONCEは趣味人の叔父さんに古今東西の名盤を聴かされて育ち、他のメンバーと情報を共有し刺激を与え合っているという。毎晩、誰かの家に集まってレコードを聴いたりYouTubeを見て過ごした、その日々をまんま反映した音は、中高年には懐かしく、若者には新鮮に響く。

 もうひとつの魅力はズバリ見た目だ。飾らない雰囲気なのに華があり、6人がステージに並んだ姿が実にかっこいい。特にYONCEは背が高くて手足が長く、色白できれいな顔立ちにオールバックの髪、薄い唇が昭和の二枚目俳優のよう。現代の主流から少し外れた美しさは、スター性の高さを感じさせる。

 CDJではいきなりミディアムの「Pacific」でスタート。徐々に熱を上げていくステージングでフェスの大観衆を掌に乗せた。何度か会って話したが、自信満々かつまじめで好感度も高い。僕は「2016年にブレイクするのはSuchmosとベッド・イン」と公言している。(月刊てりとりぃ2016年2月号)

REVIEW

(2016/02)

エンヤサン『ドアノブ』

術ノ穴 2015/12/23(CD、配信)

 2014年にミニ・アルバム『新宿駅出れない』でデビューした兄弟デュオの初フルは文句なしの傑作となった。性愛志向の強い(簡単に言えば助平な)歌が多いのだが、「もっかいHOO」や「エル・トポを観よう」(漱石の「月が綺麗ですね」の系譜か)の鮮やかな表現はどうだ。それだけで兄Y-クルーズ・エンヤの歌心は保証できるし、弟Jr. TEAが作るトラックもおしゃれポップスとして流通できかねないクォリティの高さ。隅っこを極めてド真ん中へ。日本は早くエンヤサンの魅力に気づくべきだ。​(CDジャーナル2016年3月号)

REVIEW

(2016/01)

あっこゴリラ『TOKYO BANANA』

KAMIKAZE RECORDS 2016/01/20(CD、配信)

 元HAPPY BIRTHDAYのドラマーがラッパーとしてCDデビュー。以前からYouTubeでラップ作品を発表し、解散後は精力的にライヴをこなし、MCバトルにも参戦している。コミカルかつアツい芸風とラップやトラック作りの確かな実力の塩梅が素晴らしい。表題曲や「KAMIKAZE」の自己言及、「ビューティフル・ウーマン」「お兄ちゃん」の家族言及、向井秀徳に捧げた「向井さん」、一休さんDISソング「ハゲ」など名曲揃いであっという間の29分。お兄ちゃんの成熟をせつなく言祝ぐ「脱オタ」には泣いた。(CDジャーナル2016年2月号)

REVIEW

(2013/08)

SKY-HI「愛ブルーム / RULE」

エイベックス・トラックス 2013/08/07(CD、配信)

 AAAで活躍しながら現場で切磋琢磨し、今や大物たちからも一目置かれるヒップホップMCに成長したSKI-HIのメジャー・デビュー・シングル。先日たまたまライヴを見る機会があり、水面を跳ねる魚のような美しき躍動とひたむきな姿勢に惚れたが、印象は音だけでも変わらない。軽快な「愛ブルーム」もヘヴィな「RULE」もしなやかに乗りこなす、抜群のリズム感覚と声のよさ。“踊る人” ならではの色気と華と土性っ骨。言い訳する気など微塵もない歌である。ずっと見続けていきたい新人がまたひとり誕生した。(CDジャーナル2013年9月号)

INTERVIEW

(2013/12)

山崎あおい

 笑顔がチャーミングな20歳の現役大学生。山崎あおいの『アオイロ』は、タイトルどおり彼女の “色” がいっぱいに詰め込まれた1stアルバムだ。その色はこれもタイトルどおり “ブルー” のバリエーション。ボーイッシュな服装がよく似合う明朗快活なルックスで、清涼感のある歌声が伸びやかな旋律に乗せて歌うのは、ひたすら陰々滅々とした感情である。そんなアンビバレンスが実に切なく、懐かしい。

「暗いねと言われるとうれしい」と言いつつ、ジャケットに象徴されるポップな明るさもまた彼女の一部であることを否定はしない。「まわりには明るく見えていたいんです。 “わたしは暗い” と言ってしまえば楽だし、助けてくれる人もいると思うんですけど、そうできないからみんな苦しんでいるんだし、わたしもそうありたい。そういうアルバムにできたんじゃないかと思っています」

 そもそも彼女はポップス好きだ。物心ついたころから母親に聴かされて育ったスピッツ、ギターを手にするきっかけになったYUI、握手会に参加するほど大好きなAKB48……だから目標は大きい。夢は「大きなステージで、わたしだけを見に来るお客さんを何千人も集めること」だと言う。

「性格的にそういうところが向いているかどうかわからないんですけど、わたしの作る曲はそうなっていくべきというか、たくさんの人に聴かれてなんぼだと思うんです。一部の音楽ファンに崇拝されるようなものではなくて、たくさんの人が口ずさんでくれて、次の世代へ受け継がれていくのがきっといちばん幸せな形だと思うので、そういう曲を書いていきたいです」

 2012年のインディーズアルバム『ツナガル』は中学・高校時代に書いた曲の集大成だったが、『アオイロ』は上京後の作品が大部分。故郷との間にできていく距離を見つめた〈東京〉、知らない人と食事をした実体験に基づく〈カランコロン〉などのヒリヒリするほど率直な心情吐露は、少女から大人への成長途上にある20歳の女性の “たった今” のリアリティをたたえている。

「いま自分が歌うべきなのはどういう曲か、とかは常に考えているかもしれませんね。5年後とか10年後に聴き返したらきっと青臭いなって思うんでしょうけど、いま感じていることをここに残しておかなきゃ、みたいな意識があります」

 自らを俯瞰する視点も彼女の持ち味。その目は他者にも向けられる。

「目にしたものに影響を受けて曲を書くことが多いですね。携帯で泣きながら話している女の子とか、たまに見るじゃないですか。胸がギュッとなって、何があったのか訊きたくなるんですけど、その気持ちをグッとこらえて(笑)、曲にするんです。その子が泣いている姿をよりきれいに見せるにはどんなBGMがあればいいだろう、みたいなことを考えながら」

 それは心の痛みを分かち合おうとする彼女の優しさだと思う。自らの感情を歌う一方で、他者の感情に寄り添う。その両方を追求しながら、山崎あおいが大きなステージに立つ日を楽しみに待ちたい。(月刊宝島2014年3月号)

INTERVIEW

(2014/08)

横山剣(クレイジーケンバンド)

●前に進んでいるからこそ後ろを見ることもできる

 

──新作『Spark Plug』のテーマは、空間だけじゃなく時間も含めた “移動” じゃないかと思ったんですが、いかがでしょうか?

「まさに仰るとおりです。移動しながら生まれた曲ばっかりですね。運転中は特に発生率が高いです。ゼロからスタジオで “さぁ作るぞ!” って言って、できたためしがないんですね。充電期間なんかもらっても全然ダメ。放電するだけです(笑)。移動してるときとか、すっごく忙しいときに出てきますね、メロディもアイデアも」

──〈ドライヴ! ドライヴ! ドライヴ!〉で始まって〈血の色のスパイダー〉〈2CV〉〈モータータウン・スイート〉とクルマ関連の曲が多く、最後の〈スパークだ!〉は時間の旅。こういう感覚はどこから生まれてくるんですか?

「香港なんかに行くとね、狭いところに箱庭状に全部あるじゃないですか。香港島の中環(セントラル)とか銅鑼灣(コーズウェイベイ)とか灣仔(ワンチャイ)の雑踏を出て、ひとつ山を越えれば淺水灣(レパルスベイ)とか赤柱(スタンレー)みたいな高級リゾート地があって。横浜も同じで、山手とドヤ街が至近距離にあったりしますよね。そういうちょっとしたワープ感みたいなのが僕は好きなのかもしれないです。土地の磁場みたいなものを感じて押し出されてくるものもあるし。あと匂い。ツアー先で街を歩いたりしてるとき、カレーの匂いがして包丁で何かを切ってる音が聞こえたりすると、一瞬にして気分が子供時代にワープしちゃって、現実に戻ってきたときに、ちょっと感謝じゃないけど、なんとも胸がいっぱいになるんですね。“よし!” みたいな。過去を振り返るなとか、後ろを向くなとかよく言うけど、前に進んでるからこそ後ろを見ることもできるんであって、前向きだけじゃなくて、後ろ向きもいいぞ!ってね」

──〈スパークだ!〉はまさにそういう曲ですよね。“なりたい自分になれなくても 悩んだあの日を愛せる今が嬉しい” というくだりがとてもすてきです。

「自分で決めつけることで失うものがいっぱいあって、それはもったいないと思ったんですね。人によって引き出されることは意外にいろいろあるので。僕は子供のころ作曲家になりたくて、人前に出るのは予定外だったんですけど、作曲家って決めつけてたら何も成就しなかったと思います。表に出たからこそ、SMAPや和田アキ子さんやキョンキョンに曲を書けた。“俺ってこうだからさ” なんて自分で決めないで、どういうルートであれ、予感のするほうへ駒を進めるのがいいのかなと。まぁ10代だとそうもいかないというか、自分も “俺はロックンローラーだから” ってリーゼントを崩さなかったりしたし、そういう時期も大事なんだけど。ある時期を過ぎると、第何次成長じゃないけど、勝手に自分の中で更新されていきますね」

──そう思うようになったのはいつごろですか?

「やっぱりCKBが始まってからかな。クールスにいたときは絶対に許容できなかったですね。バート・バカラックとかフランシス・レイとかミシェル・ルグランとか、大好きだったけど、人前では “エルヴィス・プレスリーだぜ!” って言ってました(笑)。イメージが散漫になりますからね。ところがクールスにはジェームス藤木さんという天才がいたんです。彼はフィリーソウルやジェームス・ブラウンが好きで、お互いピンポン感染しながら刺激し合ってました」

──CKBを始めてから思考が柔軟になっていったことには、ご自身の成熟に加えて、メンバーからのインプットもあった?

「とってもあると思います。僕が始めたバンドだし、最年長で咎める人もいないから、もうフルチンで行こうと。カーペンターズもA&Mも最高!って堂々と言えるようになったから。メンバーがまたさらに上を行ってて、例えば小野瀬(雅生、ギター)さんが僕が聴いてなかったフランク・ザッパを聴かせてくれて、僕はPファンクを教えてあげて……なんてしてるうちにどんどん混ざり合ってグチャグチャになって、今はもう全部あるみたいな感じ」

──それで “東洋一のサウンドマシーン” が完成したわけですね。

「完成してるのか、まだ細胞分裂してるのか、よくわかんないんですけどね。常に “まだ始まってない感” がありまして。(仮)みたいな感じでずっとやってるというか」

 

●もうなくなる、じゃなく、あるうちにスパークだ

 

──〈血の色のスパイダー〉のブレイクで咳が使われていますけど……。

「咳ってスタイリッシュだなぁと思ったんですね。セルジュ・ゲンスブールがゲップや咳やおならの音を入れてる曲があったじゃないですか(〈ボニー&クライド〉〈エフゲニー・ソコロフのガス・マスク〉など)。あれって自由だなぁと」

──咳やため息など、人間の出す非楽音の魅力に剣さんは敏感ですね。

「例えば勝新太郎さんの、言葉と言葉の間の “う~~ん” “む~~~ん”(絶品ものまね)にイイ湯加減があるわけですね。勝新浴って言ってるんですが(笑)。すごく幸せになるというか、元気になるというか、満たされるんです。話の内容はだんだん何言ってるかわかんなくなってくるんだけど、声を聞いてれば安心するという。〈ごめんね坊や〉のカヴァーは念願でした。CKB流に料理するとかじゃなくて、とにかくやりたいっていう一心なので、あまりいじらないようにね。僕が9歳のころの空気感がまんまパッケージ化されてて、それを念写しようという気分でやりました」

── “血の色” “ 機内音楽” “プレイボーイ” “半透明” といった、よそではまず耳にしないけどCKBの歌には再三出てくる言葉が、強固な世界を形作っているのも素晴らしいです。

「ボキャブラリーが少ないんで(笑)。メロディと一緒に “プレイボーイ” って出ちゃったら、別の言葉に置き換えてみても言霊的に弱いんですね。だったら意味はどうあれ、これを使おうと。で、その部分を生かすために前後の埋まってない部分を考える。♪血のい~ろのスパイダ~、なんかも一緒に出てきたんで」

──〈血の色のスパイダー〉で “愛してくれ 愛してくれるなら まだまだリタイアしない” と歌っていますが、“この僕にちょっと似てる” というくだりがあるせいか、老いを見つめたような印象を受けました。

「スパイダーって60年代のクルマなんです。僕も60年生まれで、大御所っていう年齢でもないし、“巨人、大鵬、卵焼き” 的な問答無用のヒーローもいないし、僕らの世代で時代を作った人間もあんまりいない。そういう悪く言えば中途半端な、つぶしの利かない世代が、ミッレミリア(クラシックカーの大会)に出るには新しすぎるスパイダーに重なったわけです。放っときゃ鉄くずになるけど、恋とかすればまだまだ走れるみたいな」

──もう若者ではないけど、おじいちゃんにはまだ遠い。CKBは息子や娘の世代に囲まれて現役で勝負しているわけで、その姿に頼もしさを感じている40代、50代がたくさんいるんじゃないかと思います。

「もういっぱいいっぱいですけど、やるならレッドゾーンに突っ込んでボーンとやりたいなと。アルバムタイトルになってるスパークプラグも、電気自動車の時代になったらガラパゴスになってしまう。CDも、音楽が配信だけで流通するようになったらガラパゴスになる。けど、まだレコード会社もレコードショップもあるし、スパークプラグも需要はありますね。あるうちにしゃぶり尽くして、爆発させるのが重要かなと。残すことが大事だとか、次につながるとか考えると小さくなっちゃうから。今日だけなんとかなればいいやって思うと、意外と明日があったりしますね。もっと若いころは先のことも考えてたけど、今は下の世代の人たちの無事を祈りながらも、自分はどうなったっていいやとヤケクソになれる感もあって。どうせもう死んじゃうんだから、みたいな(笑)」

 

●身軽になるのが大事。そうすれば何でもできる

 

──出てきたものの辻褄を合わせて形にしていく作業は難しくないですか?

「スラスラ出てくるときはいいけど、止まっちゃうときはいったんやめて、クルマで海に行ったりしますね。そうするとまた何かの拍子にスルッと出てきて “そう、この言葉を使いたかったんだ” ということになる。〈もうねぇ〉では、全然意味はないんだけど “ゆで玉子” って力いっぱい歌いたかったんです(笑)。♪トーストォにホットコーヒー、ィ野菜にィゆで玉子ォ、ってどうしても言いたかったんで、ここでいいねって。ゆで玉子ってなんかグッとくるんですね。若いとき喫茶店に行ったらモーニングでゆで玉子つきっていうのがあって興奮したりとか、ラーメン屋のオヤジと口論になったとき仲直りしたあとでゆで玉子を1個入れてくれたりとか。寿命が延びるという箱根の黒たまごとかね」

──前にお会いしたときに「俺の歌詞は俺より頭がいい」と仰ってましたよね。

「そうですね。思ってる以上のことを言ってくれます」

──意識から無意識に糸を垂らして……。

「釣れた!ってね(笑)」

──釣るには何かコツってあるんでしょうか?

「どうでしょうねぇ……空っぽにしとくことかな。事前に机上の空論があるとキャパがなくなるけど、スッカラカンにしとけば何か入ってくるんでね」

──50代の今も毎年のように20曲前後収録したアルバムを出し続ける、衰え知らずのバイタリティも “空っぽ” ゆえでしょうか?

「何も考えてないのがいいのかもしれないですね。作為があると本来のモードと違うところへ行っちゃって座りが悪くなるんだけど、放っとくとちゃんとモードが出るんで。無意識に出たものが正しいというかね、方向性は作品が決めてくれると。僕はとにかく作品の言うことを聞く。CKBはメンバーでも僕でもなく、楽曲様がいちばん偉い、と設定してあるので、作品のためにどうすればいいか、みたいな話をしてると、あっという間に1年が過ぎるんですよね。あと年に1回のクラシックカーの大会の準備とかしてたら “あれ、もう4回目か” みたいな」

──(編集部・野口)空っぽにすること自体、なかなか難しいと思うんですけど、どうしたら大胆になれるんでしょうか?

「家の大掃除のときに、2年使ってないものはもう使わないから断捨離するみたいな感じで、手にいっぱい持ってると掴めないから置いてっちゃえと。縁があればまた戻ってきたりしますからね。横浜の本牧にムーンアイズってクルマ屋さんがあるんだけど、そこの社長さんは大学時代に乗ったクルマにまた乗ってるんですよ。2台も。どこに行ったかわかんないようなクルマだったのに。そういうこともあるから、身軽になるのが大事ですね。そうすれば何でもできますから」

──(野口)ある意味、旅と同じなんですね。

「そう。事前にガイドブックを見ないで、行ってから考えるみたいな。先入観で面白いものを見落としてしまうのはもったいないですよね。そんな感じですかね。わかりにくい?(笑)」(月刊宝島2014年10月号)

ESSAY

(2013/06)

歌手・藤井隆の魅力

 2000年3月、藤井隆が「ナンダカンダ」で歌手デビューしたときは、正直「ふーん」という感じで、何の印象も持たなかった。ダンスが得意なのは知っていたが、どんな歌手が好きかみたいな話も聞いたことがなかったし、音楽との関わりがまだ見えなかったのだ。続く「アイモカワラズ」も含めて、作品の良し悪しはともかく、この時点では昔ながらの “人気お笑い芸人の歌” 以上でも以下でもなかったと思う。藤井自身もよくわからないまま歌っていたのではないだろうか。

 僕がオオッと身を乗り出したのは、3枚めのシングル「絶望グッドバイ」を聴いたときである。松本隆&筒美京平のレジェンド級タッグによる哀愁の歌謡メロディをエレクトロニックに処理したアレンジャー本間昭光の仕事は、彼が前年に手がけたポルノグラフィティの名曲「サウダージ」を思わせた。

 松本の言葉を通して聞こえてきた歌手・藤井隆の “声” は猛烈に魅力的だった。そこから日本歌謡史に残る名盤『ロミオ道行』までは一直線だ。“お笑い芸人の” とか “人気者の” といったアングルを必要としないし、作り手もハナからあてにしていない。いわゆる “フツーに” 傑作。いま聴いても、いつ聴いても素晴らしい。中川翔子の「綺麗ア・ラ・モード」が初めて聴いたときから今までずっと素晴らしいのと同じである。

 

 水道橋博士の名言「自意識が二枚目」じゃないけれど、藤井は非常に優れた、面白いコメディアンでありながら、例えば「未確認飛行体」「素肌にセーター」の夢のようなハンサム世界や「わたしの青い空」の無愛想なリリシズムがすんなり似合ってしまう。声のよさと、おそらくは人柄も関係があるはずだ。ちょっと野口五郎やC-C-Bの笠浩二、KinKi Kidsなどを連想させる貴公子的な愛らしさ、傷つきやすそうな甘みを備えつつ、うますぎないことが誠実さや品のよさにつながっている。洗練を愛する豊中っ子の北摂シャイネス。微熱少年とはそもそも相性抜群だったのかもしれない。

『ロミオ道行』で松本隆の歌世界を自らの “スタンダード” として確立させた藤井。セカンド・アルバム『オール バイ マイセルフ』も素晴らしかったし、Tommy februrary6と組んだ「OH MY JULIET!」も、テレビありきとはいえ『上海大腕』シリーズや『大草原の小さなマシュー』もよかった。活動は断続的だが音楽的嗜好も志向もしっかり伝わった。吉本という芸能界のド真ん中で長年活躍していながら驚異的なほどの無垢さ、初々しさは新作「She is my new town / I just want to hold you」でも健在。彼の歌声に好感を抱かない人がいるだろうか。とにかくもっともっと歌ってほしい人である。(CDジャーナル2014年7月号)

INTERVIEW

(2015/07)

佐野元春

●“自分に似た誰か”に向かって歌いかける

 

──最近のアルバムはどれも大好きなんですが、新作『BLOOD MOON』には特に優しさを感じました。

「年齢ですかね(笑)」

──例えば “君” に語りかける〈紅い月〉。これはアルバム全体を象徴する曲に聞こえます。

「ひとつの象徴ですね。アルバムに収録したのは1年半くらい前から半年かけて集中して書いた曲で、どの曲にも現在の自分の心情が出ています。でも、アルバムタイトルにもなった〈紅い月〉、この曲は早い段階で出てきたもので、たぶんこの詞の心情はアルバム全体を指し示すだろうな、という予感のようなものは、書いていてありました」

──この “君” はどんな人を指すのでしょうか。

「“君” という単語を使う場合、たいていは特定の誰かを指すわけではない。あえて言えば聴いてくれた人、ということですよね。聴いてくれた人がその曲を自分のものにしてくれたらいいなという。そうしたささやかな願いを込めて詞や曲を書いています。男性であっても女性であっても、自分の物語として楽しんでくれると嬉しいですね。ただ正確に言うと、自分に似た誰かをイメージして、その人に語りかけるように書くことはあります。ソングライティングというのは自分とは何なのかを探る作業でもありますからね。自分が書いた詞から “あぁ、俺は今、こんなことを考えているんだ” と知らされることもよくある。なので、自分に似た誰かに向けて書くということは、すなわち自分に書いているとも言えるかもしれない。もちろん具体的な誰かに向けて書くこともありますけれど、ほぼ自分に似た誰かに歌いかけている気がします。主人公がいいやつであれ、悪いやつであれ」

──悪いやつもですか?

「僕の中にもいろいろなのがいますから(笑)。いちばん大事なのは聴いてくれた人が自分の物語として受け取ってくれることですから、そこはソングライティング上の技術を使います。やはりこれまで詞を書いてきた経験を使って、一般的な歌になるように工夫はしています。自分に似た誰かの歌といっても、そのへんのブログ日記みたいな詞を書いても誰も聴いてくれない(笑)」

 

●音楽作りの過程全体をひとつながりで届けたい

 

──アルバムのインターヴァルも短かったですね。前作の『ZOOEY』(2013年)と前々作『COYOTE』(2007年)が6年開いたことを思うと。

「10年前にザ・コヨーテ・バンドを結成してから、スタジオ・アルバムがこれで3枚、バンドとの全国ツアーも5回くらいやっていますから、ペースとしては悪くないかなと思っています。前回の『ZOOEY』がとても好評だったんです。古いファンも新しいファンもいいと言ってくれて、すごく自信につながりました。なので、今回の『BLOOD MOON』アルバムは『ZOOEY』で試したソングライティングをさらに発展させた形で作りました。今のソングライティング、これは振り返ってみると『COYOTE』から始まっているのかなと思うんですね。コヨーテ・バンドとのコラボレーションが始まったときから、新しい文脈作りをしてきた気がします。

 その前がザ・ホーボー・キング・バンドとの最後のスタジオ・セッション『THE SUN』(2004年)。あれを作り終えたとき、それまで積み上げてきた自分の作詞・作曲のスタイルがひとつ完結した気がしたんです。その先どうしようかなと思っていたんだけれど、世代が若いコヨーテ・バンドを結成した。彼らのおかげもあったと思いますね。彼らの演奏のトーン・マナー。それに合わせて自分のソングライティングをもう一度打ち立ててみようと。だから『COYOTE』、それに続く『ZOOEY』、そして『BLOOD MOON』。この3枚はまさに自分にとっては “コヨーテ3部作” と言っていい、ひとくくりのものだと思っています」

──僕らはどうしても詞に反応しがちですが、佐野さんはアレンジャー、プロデューサーとしても常に質の高いサウンドを作り上げてこられましたね。

「そこにもっと注目してほしいというのはありますね。詞の内容に着目されるのもすごく嬉しいんです。ただ、その詞を支えているのがビートであり、サウンドのデザインであり、演奏である。僕の場合、レコードや音楽を作る作業の一連を全部ひとりで賄っているんです。詞を書き、メロディを紡ぎ、バンドを集め、サウンドをデザインしていく。そしてエンジニアリングからマスタリングを経て、パッケージのアートワークまで。そのすべてを僕が主体となってやっている。そこで思うのは、詞、曲、演奏、ミクシング、デザイニング、その境界線をなくしたいということです。継ぎ目を感じさせない、ひとつながりの表現としてファンに届けたい。ステージのパフォーマンスも含めてね」

 

●自分の書いた曲に時代が近づいてくる

 

──先ほどソングライティングが変わったと仰いましたが、そのインスピレーションはバンドである場合が多いんでしょうか?

「それも重要ですが、やっぱり日々の生活かな。日々の生活のなかで啓示を受けて新曲を書く。正直に言えばそうですね。自分の生き方、人生と僕の曲は直結している。かといって、曲の主人公は僕自身ではない。少し複雑な言い方になってしまうんですが。やっぱり、よきストーリーテラー(語り部)でいたい、という思いは80年代からずっとあります。よい聴き手はたぶん誰かのぼやきを聴きたいのではなくて、よいストーリーを求めているんじゃないかといつも思うんですよね。昨今のように、あまりにも理不尽なメッセージが権力者たちの側から投げつけられると、それが日常的になって、我々は何も感じない状態になってしまう。考えなくていいんだよと誰かに言われているような気になって、疑問を持たず惰性で生きがちですよね。そうすることで、我々ひとりひとりが生まれ持った素晴らしい感受性を損ねてしまっている。アートはそこに気づいてもらう起爆剤にもなりうるし、気つけ薬にもなるし、ときには催眠薬にもなる。そういうものを作るのが僕の仕事です。

 よく炭坑のカナリアを例に出して話すんです。坑内にガスが充満してきたら、籠の中のカナリアは羽をばたつかせてそのことを坑内員たちに知らせるという話がありますね。アーティストはまさにそれだと思います。もちろん警告のためだけに存在しているわけじゃないけれど、正直にものを作るという作業を続けていくと、どうしても勘づくことがある。人々に聞こえないものが聞こえ、人々に見えないものが見えてくる。それに言葉や音やビジュアルを与えていくのがアーティストなんじゃないかと僕は思っています。本能ではないかと思うんですね。僕のことで言えば、自分の書いた曲に時代が少しずつ近づいてくるという感覚。この35年間、そうした経験は幾度となくありました」

──ずっとインディペンデンスを志向してこられて、レーベルや事務所を立ち上げるなど、創作活動だけしていればいいという立場ではいられないことも多かったと思います。そのなかでもクリエイティヴィティを保ち続けられた理由は何だと思われますか?

「ロックンロール・バカ?(笑)。音楽が大好きだから、当然、愛情が深くなるよね。それを守るためなら命も差し出せるくらいのロックンロール・バカ、と言ったらいいんでしょうか。死んでも守りたいものがあるだけでも、なんて幸せ者なんだろうと。表現することによってまともでいられる。もし音楽で表現することができなかったら、とんでもない人間になっていたかもしれない。自分は何に対しても、いいと思ったものに対しては過剰なくらい愛情を注いじゃう性格。どこかバカなんですね(笑)」

 

●ロックでしかできない表現を追い求めて

 

──息苦しい世の中で、ポップ・ミュージックあるいはアートはどういう役割を果たしていけばいいとお考えですか?

「さっきの炭坑のカナリアの話にも関係してくると思うんですが、権力者が怖がるのは、真に自由な人々。アーティストというのは真に自由な人々です。だから彼らが大いに怖がる存在でいいんじゃないかなと思っています。そもそも表現とはそのようなものだと思うし、表現の自由が保障されているのは、僕らにとってはありがたいことですね。しかしそんな保障ははかないもので、いつなんどき検閲が入るかわからない。そうなると自分にとっては死活問題です。死を意識しなければならないということになりますから、非常に表現が切実になってきます。『BLOOD MOON』はファシズムや全体主義に対する警告の音楽だ。聴いてくれた人々が何か感じてくれれば、役割を果たしたと言える」

──権力者が表現を規制しようとしている世の中は恐ろしいです。どうやらそれを支持する人がけっこういるらしいことも。

「支持する人がいるかどうかは、僕は疑わしいと思っている。実体のないものですから。むしろ支持していると思われる人々が、どういう人生を送っているのかというところが、作家としての僕の興味です。どんな不満を持ち、生きることの本質をどう感じているのか。圧力的な言動に向かうのはなぜか。その “なぜ” に関心が向かうときに曲ができる。単一的な視点の曲は絶対に作れないし、作らない」

──なるほど。現在をどういうふうに捉えていらっしゃいますか?

「AからBへと変容していく途中というふうに捉えています。これまでの価値基準がなし崩し的に崩れて、まったく違うものに変容していく渦中にいるという感覚。変容というのは、言ってみれば昆虫が蛹から成虫になるようなものです。そこには悪いとかいいとかいうモラルは介在しない。そこを通過している、という感覚。この感覚をロック音楽でしかできないやり方で表現したいと思っている。ロック音楽の表現の訴求力はそうとう強い。他のどのアートにも負けない強さがあり、いまだにコンテンポラリーなアート・フォーマットだと思う。だから僕は35年もこのフォーマットを使って表現し続けている」

──ロックンロール・バカであり続けていると。

「そうです(笑)」(月刊宝島2015年9月号)

REVIEW

(2015/04)

泉まくら『愛ならば知っている

術ノ穴 2015/04/22(CD、配信)

 『マイルーム・マイステージ』から1年半ぶりの3枚目。前作から連投となったnagaco(「YOU」「幻」)とYAV(「pinky」はMADSOMAのカヴァー)に加え、DJ Mitsu the Beats(「baby」)、Olive Oil(「Love」「Circus」)、食品まつり(「Lullaby」)、LIBRO(「明日を待っている」)と著名なトラックメーカーが新規参入し、それぞれの持ち味を発揮したビートで彼女一流のやるせな女子世界をさらに拡張しつつ、いちばん強く印象に残るのがア・カペラの「愛ならば知っている」(破調韻文の朗誦)というのが恐ろしい。タイトルもリリックもいっそう単刀直入になり、リラックスしたヴォーカルにはたくましさも備わって、胸騒ぎの性質が変わってきた。“菜箸でつつく 煮崩れた後の汁”(「明日を待っている」)の歌い出しで伝わる情報の多さよ。ラップだの歌だの、形容はもうどうでもいい。いまや泉まくらのエッセンシャルな構成要素とも思える大島智子のアートワークは今回もmore than 完璧。眺めながら聴けば感情が暴れ出す。これほどCDで聴きたいアルバムもない。(CDジャーナル2015年5月号)

REVIEW

(2008/11)

『DISCO ディスコ』

ハピネット 2009/04/24(DVD)

※レビュー執筆は劇場公開前

 若き日にディスコを沸かせたサエない四十男が、離婚した妻とともに外国に住む息子にバカンスをプレゼントしようと一念発起、栄光よもう一度とばかりにディスコ・ダンス・コンテストに挑む。『フル・モンティ』ほど風刺を効かせてはいないし、『フォーエバー・フィーバー』ほど悲哀に満ちてもいない。恋あり、挫折あり、人情あり、クスクス笑ってちょっとハラハラして、劇場を後にするときには心がほっこり温かくなっていること間違いなしの、大衆路線ド真ん中の “オヤジの青春映画” なのである。

 主人公のディディエ・トラボルタ(!)を演じるフランク・デュボスクはフランスの人気コメディアン。あとさき考えない行動に終始するド天然のカッコマンが、ただの非常識なバカではなく愛すべきオヤジに見えるのは、彼のはにかんだような人懐っこい笑顔の魅力ゆえだ。ダンスの先生役のエマニュエル・ベアールも、通常より可愛らしさ3割増。クラブ・オーナーのジェラール・ドパルデューはもちろん、ディディエの仲間のサミュエル・ル・ビアンとアベス・ザーマニも最高にイイ表情で笑い、泣き、怒っている。ファビエン・オンテニエンテ、知らない監督だったが、力のある人のようだ。

 BGMはもちろん往年のディスコ・クラシックの雨あられ。「吼えよドラゴン」「セプテンバー」「ブギー・ワンダーランド」「ダディ・クール」「さよならは言わないで」……流れた瞬間に、全身が心地よい高揚感に包まれる。その理由は、本作でもさんざんパロられている『サタデー・ナイト・フィーバー』に活写されたような “持たざる者” たちの本気の粋がりに、全力でエールを贈る音楽だったからだ。作る側は商売だったかもしれないが、聴き手/踊り手の情と念が、音楽に生命を吹き込んだのである。そんなディスコ・ミュージックならではの味わいもバッチリ“わかってる”映画だと思う。(CDジャーナル2008年12月号)

INTERVIEW

(2014/06)

稲川淳二

●母親譲りの“怪談力”で55歳のとき勝負をかける

 

──1993年に始まった “稲川淳二の怪談ナイト” がこの夏22年目を迎えます。

「ありがたいですね。最初の2年は川崎のクラブチッタで、3年目からツアーが始まったんですけど、こんなに続くとは思ってなかったなー。だいたい怪談が仕事になると思ってなかったですから。カセットテープを出させてくださいとレコード会社が来て、お世話になったディレクターへの恩返しのつもりでやったんだけど、これが32万本も売れてヒット賞とっちゃって。それがきっかけで挑戦させてもらってね、10年経ったときに思うところがあったんですね。わたしテレビの世界ですごい量の仕事をしてましたけど、ファンレター1通ももらったことなかったんです。ところがツアーを始めてからは、お便りはいただくし、喜んでもらえるし、わざわざ遠くから来てくださる人はいる。あちこちでお話しする機会もいただける。それでわたし思ったの。こっちでひとつ頑張ってみたいなと。いつまでできるかわからない。疲れきってから始めるんじゃ悪い、55歳ならまだ元気だからって。テレビがイヤで出なくなったわけじゃないし、そのおかげで生活もできていたから、不安もあったけど、同時に妙な自信があったし、自分の好きなことで勝負したいっていう気持ちもあったんですね」

──もともと怪談はお得意だったんですか?

「好きではありましたね。子供のころから近所の子供に怪談してましたから。勉強はできなかったけど、絵を描くのと怪談とバカ話が得意だったの。決して喋りがうまいわけじゃなかったんだけどね。ルーツはおふくろなんです。うちの母親がね、話をするのが得意で、いろんな話を聞かせてくれてね。別に教養があったわけじゃないけど、おふくろから教わったこと多かったなとあらためて思うもん。だって稲村ケ崎の新田義貞なんて名前は小学校のときすでに知ってましたから。鎌倉はどういうところで何があって……って話も全部教えてくれました。またおふくろがね、全部自分が見てきたように話すんですよ。擬音をいっぱい入れてね。いまわたしもやりますけど、あれもおふくろなんです。そうやって話すとね、みんな喜んでくれてね。だからわたしにとって怪談はごく当たり前のようにそばにあったものだったんですね。

 27歳のとき『オールナイトニッポン』の2部をやらせてもらったんだけど、夜中の3時から始まるもんだから時間があって、当時は出入りも自由だったんで仲間がみんな来てましてね、せがまれて怪談を聞かせてたんです。それが評判になってアーティストやマネージャーが時間つぶしに来るようになって、プロデューサーの耳に入ってね。“なあ淳ちゃん、怪談いいんじゃない?” って。“やっていいんですか?” って言ったらいいって言うんで、やったらたくさんお便りが来ちゃって。怪談も来るから、じゃあ何を紹介しようかってやってたときに、ひとつすごく怖い話があったんですよ。それが『赤い半纏』(稲川怪談のなかでも定評のある名作)でしたからね。もう何十年も経ってから『赤い半纏』が気になって調べていって、どういうものなのかわかって、ああそうだったんだと。去年は知覧の特攻平和会館に行ってきましたよ」

──取材を通して裏をとり、情報の穴を埋めていく。ジャーナリストのようですね。お話にはすべて元があるんですか?

「わたしは元を探してやろうと思ってるんですよ。人の話なんかね、まったく荒唐無稽でもいいと思うんです。作った話なんだもん。納得できればそれでいいじゃないですか。よく “これは実話だ” とか言いますけど、あれはやめてくれと。先にそれ言って怖がらせるのは汚いよね(笑)。怪談は事件と違うんだから、イメージがわけばいいんです。“これはどこどこであった話でもって、誰々であって、名前も何々さんという人でもって、この人はどうでこうで……” って詳細に語るのは怪談じゃないですよ。やっぱり話そのものの怖さっていうかな、浮かんでくる怖さね。聞いてるうちに “ちょっと怖いなこれは” ってくるのがいいんですね。自分の心の中の闇ですから。“このあいださ、あんたの話思い出しちゃって怖かったよ” なんて言われたら、もうグーですよね」

 

● “気配” から生まれる日本ならではの怖さ

 

──想像力を刺激するテクニックとかコツみたいなものはありますか?

「唯一あるとすればね、わたしはストーリーで覚えてないんですよ。紙芝居みたいに絵で覚えてるのを喋ってるんですよね。例えば文章で書くと “どこどこの暗い道を歩いて” っていうけど、その暗い道を実際に歩くのが大事なんです。例えば5メートルなら5メートル、暗い通路を自分で歩くんです。下駄なら下駄を履いて “カン、コン、カン、コン、カン、コン……” と5メートル、歩くスピードと距離感を計算してやってますね」

──今の “カン、コン” だけでちょっと怖かったです(笑)。

「ありがとうございます。ちょっとわかるでしょ? こういうのは活字でも伝わらないから。わたしね、頭はいいほうじゃないけど、たぶん怖いものに対する嗅覚みたいなのはあるんじゃないかなと思うんですよね。それは好きだからなんですよ、やっぱり。たまに一人でいたりするとね、怖くなるときがあるんですよ。でも不思議なのは、“いま怖いよな、俺絶対いま怖いよね、これ怖いな~この状況” って思うんだけど、次の瞬間に自己分析して、だんだん冷静になって怖くなくなっちゃうんです(笑)。最近ね、歳のせいかもしれないけど、怖くなくなってきちゃったの。だから困ってるんですよ。怖くなきゃダメなんですよ、怖いものを語る人間は。わたし8月に67歳になるんですけどね、このくらいになるとたぶん死を意識してるんですよね。いろんなことを死の時点から逆算して考えてる。だから無意識のうちに自分の死を受け入れてる部分があって、怖さが薄れてるのかもしれないですよね」

── “怖い” は “若い” ってことなんでしょうか。

「絶対そうですよ。体を使う人、健康な人は怖さがわかる。逆に感じ方がうまくないのは、物事を決めつけていく人だね。自分が知ってる怪談のパターンを当てはめて勝手に話を進めちゃうもんだから “なんか話が違うなー” なんて思ってね、ついてこれないわけです。いまはね、これが怖いんだろうと思ってたら違って “えっ!” となって “いったい本当に怖いのは何なんだ?” っていう構造の話なんてたくさんあるでしょ。わたし一度ね、再生医療の学会に呼ばれて話したことがあるんです。世界的な先生が4人いて、5人目がわたし(笑)。お医者さんには怪談が好きな人が多いんです。面白いのが “あれはどうなったんですか?” って訊かれるんですね。怪談はいちばんいいとこで終わるんですよ。あとは想像すればいい。“うー怖い……するとアレか? アレってこうだったのかな? いやもしかしたらこうだったのか?” ってのが楽しいわけですよね。そうじゃなくてね、最後まで知りたいの」

──楽しい楽しくないなんて、お医者さんは言ってられませんからね(笑)。

「ジェットコースターと同じっていつも言うんだけど、あれ、何が怖いって過程が怖いわけですよね。よく短い怪談なんかでもって “それはお前だ!” “うわー” ってあるけど、それじゃ怖くないんです。ジェットコースターみたいに、カンカンカンカン……(頂点に向かって登るときの音)っていうのがあって “ああ、落ちるんだ、落ちるんだ” って思うから面白いんじゃないですか。それだと思うんですよ、怪談も」

──趣とか余韻とか……。

「そうそう。日本は気配の国ですから。春が近くなって、明け方に風がぴゅーっと吹いたりすると “風が強いな。そろそろ春だな” とかね、雨音がぴたっと止むと “雪に変わったな” とか、繊細に感じ取りますよね。ある偉い人が言ってたんだけど、日本の住居は “間の戸” だと。大きな座敷でもって、襖を開けていくと、何個もあった部屋がひとつの大きな部屋になる。閉めていくとまた小さく分かれていく。障子を隔てて年寄りや病人が寝てれば、耳を傾けて “まだ寝てるな。後にしようか” ってできるし、お客さんが来てるときに、お茶を淹れに入っていいものかが話し声や障子の影でわかりますよね。気配の業ですよ。そこから怪談が生まれるわけです」

 

●自分を追い詰めちゃダメ。イヤならやめればいい

 

──世の中にはわからないことがあって当然で、曖昧なままで受け入れていこう、というような考え方をなさるほうですか?

「人間にはね、人間のキャパみたいなものがあると思うんですよ。例えばサプリのCMでね、人間が一日に必要な栄養素はこれくらいで、野菜だとこんなにいっぱいで食べれません、でもこれならたった2粒で……なんて言うでしょ。わたしはそれ、おかしいと思うんです。人間ってそういうふうにできてないもの。一日に食べれる量だけ食べて生きていけるんですよ。無理に補うってのはおかしいんじゃないかなー。それは怪談にも通じる話であって、自分の器以上のことは受け入れられないんだから、わかんないことはわかんないでいいと思うんですよ。謎があるから面白いんであって、全部知ってしまったら寂しいかもしれないし、知りたくないことだったりするかもしれないし。真実を探るのも楽しいけど、ある程度のところで止めておいたほうがロマンがあっていいかなと思ってね」

──いまの世の中、つらいことが多くて生きにくい人が多いと思います。こうしたら元気になるんじゃないか、というお考えがありましたら教えてください。

「まず大事なのは生きがいを見つけることだと思うんですよ。つまんないことでもいいんです。コイン集めでも散歩でもいい。それを持ってると楽しみになるんですよね。

 わたしもね、取材やロケで体も疲れるし神経もやられるし、ドラマの撮影なんかあると朝から夜まで拘束されてね。苦しくて逃げたくてしょうがなかったですよ。それで何をしたかというと、楽しみを考えたんです。車が好きでね、それも古い車を買って、あっちこっち直して乗るのが好きだったんです。“これが終わったらどこどこに行こう” と思って、磨いたりハンドル握ったり。実際には大して遠くに行ってないんですけど、楽しみがあると頑張れるんですよね。行こうと思ったら行ける、やろうと思ったらできるようにしておくことが大事だと思いますね。

 わたしは芸能界入ったときに思いましたよ。飽きたらやめる。イヤだったらやめればいいんです。明日やめると思えればイヤなことでも頑張れますから。人間、そんなに簡単に死にやしないし、自分を変えよう、人生を変えようと思ったら、何歳でもできますよ。55歳のときテレビに出るのをやめたわたしが言うんだから(笑)。宮本武蔵が『五輪書』でもってね、自分の好きなことで生きなさい、勝負しなさいって教えてるんですよ。自分の好きなことで勝負するとね、頑張れるんですよ、人間。好きなことのためなら我慢もできる。自分を追い詰めちゃいかんです、絶対に。で、最終的には “やめりゃいいじゃない”。やめなかったらそれでいいんですから」(月刊宝島2014年9月号)

REVIEW

(2010/11)

井上陽水『魔力』

フォーライフミュージックエンタテインメント 2010/11/17(CD、配信)

 ピアノ一本の伴奏で歌われる「覚めない夢」が素晴らしい。あなたを好きになれば、あなたと夢を見れば、あなたとお別れして、幸せになれるかしら──ことごとく “おそらく なれない” でオトされて、哀感に心が震える。「お」も「そ」も「ら」も「く」も、一音一音が無限のニュアンスを帯び、閉じていた感情の蓋を否応なく開いていく。聴き始めたら最後、そのままラストまで一気に聴かされてしまうのだ。過去に何度となく思ったことを、また思う。なんて気持ちのいい声なんだ。

 ボリス・ヴィアンに倣って「電話帳を読み上げても感動的」と口を滑らせたくなる唯一無二の歌声は、発声、発音そのものに凄絶なイメージ喚起力を宿し、もはや意味を必要としない。彼一流のナンセンス作詞術は冴えわたり、“世界はラブストーリー 愛のガンダーラ”(「世界はミステリー」)のトートロジー、“三日月だらけ ナポリタン”(「G-ROCK」)のコンビの妙、“たそがれMAP” “ひまわりUP”(「MAP」)の脚韻、“Just to be ANO Saturday alone”(「BLACK SISTER」)のチャンポンにとどまらず “メガレロン”(「BLACK SISTER」)や “デストーザさん”(「G-ROCK」)など新語も開発している。

 前作『LOVE COMPLEX』から4年ぶりのアルバム。レコード会社の資料にはミュージシャンやアレンジャーのクレジットがないが(楽曲と歌声があれば充分でしょ、と言われているかのよう)、基本的にはバンド・サウンドである。「BLACK SISTER」「69 (SIXTY NINE)」「Love Rainbow」での女声コーラスとの掛け合いや「G-ROCK」のホーンズ、誰が聴いてもわかる「ドント・ゲット・ミー・ロング」(プリテンダーズ)風の「Love Rainbow」など、70年代ロックっぽいファンキーなビートが目立ち、先述の「覚めない夢」や「赤い目のクラウン」「MAP」の抑えたスロー/ミディアムも際立っている。

 不粋とは知りつつも、脳裡に “なぜ?の嵐” が吹き荒れる。そんな詩心なき野暮天を “嫌いな言葉は WHY”(「G-ROCK」)の一節が襲う。頭を空っぽにして楽しめる、なんてベタな代物ではない。耳の奥で論理脳が溶けてゆく音が聞こえるような、被虐的な快楽である。まいりました。(CDジャーナル2010年12月号)

ESSAY

(2015/07)

荒っぽく緻密なアサミサエに夢中

 アサミサエというシンガーソングライターのライブに熱心に足を運んでいる。と言ってもご存じない方が多いだろう。“鍵盤をかき鳴らしながら歌うアーティスト” という自称どおり、愛機KROSS(KORG)をぶっ叩くように激しく演奏し、往年の川本真琴を思わせるおてんば感満点のハイトーンで歌う。昨秋の「シブカル祭。2014」でたまたま見て魅了され、11月の自主企画イベントでデモCD「フラストレーション」(販売はライブ会場のみ)を購入、何度聴いたかわからないほど愛聴している。彼女の歌とピアノをベースとドラムがサポートするこの3曲には、僕の好きな要素がパンパンに詰まっているのだ。

 色気のあるメロディと、少しフラットするヴォーカル。荒々しさと緻密さが同居したケレン味のある演奏。飛躍が多くて意味はとりにくいが気分はこれ以上なく明快に伝える歌詞。“たららら” とか “うっうー” とか “はっ” といった言葉未満の音の響きのよさとエモーション。文句のつけようがない。

 ライブはベースとドラムを従えたバンドスタイルがいちばん多く、ときどき弾き語り、最近はドラムと二人の編成も。少し前まではもっぱら弾き語りで演奏していて、そのころはもっとしっとりした曲を歌っていたらしい。もともと弾き語りSSWのシーンには不案内なのだが、オーディションの仕事をしてからちょくちょく聴きに行くようになって思うのは、僕はヴォーカルと楽器の関係が対等というか “歌と伴奏” っぽくない人に惹かれる傾向が強いらしい、ということ。アサミサエはその典型でもある。

 軽く立ち話はするが、まだインタビューしたことはない。バンドでライブをするようになったのはいつごろなのか、もともとやりたかったのはどっちなのか、どんな音楽に影響を受けたのか、情報がなくていろいろ想像しながらワクワクしているこの時期は、未知の音楽との出会いのいちばん楽しい部分かもしれない。

 今は無名だが、おそらく今後1~2年の間にちょっとした人になっているはず。名前を覚えておいて損はない。覚えやすいし。(月刊てりとりぃ2015年6月号)

ESSAY

(2013/09)

セルフ・プレジャーと音楽── “B自慰M” 探究の旅

 面白い人と知り合った。水谷茉莉さん、26歳。美しい女性である。都内の中小メーカーに勤める彼女、実はそうとうな自慰(以下G)マニアなのだ。それも音楽──言わば “B自慰M” ──を使っての。

 自社製品の宣伝のため僕が出入りしている雑誌の編集部を訪れたとき、昔は音楽誌(本誌)の編集部にいたんですよ〜と話したら「6月にスタジオ・コーストでジェイムズ・ブレイクを見ました」と話し始め、「私、Gにはどんな音楽がいいか研究していて、ジェイムズがいちばんイケるんです」と藪から棒に告白された。

 17歳のとき、イギリス留学中に友達とアダルト・ショップを訪れ、シャレでローター(振動式の大人のおもちゃ)を購入したのを契機にGに目覚めた彼女。現在はスウェーデン製の1万円以上する高級品を含めて複数所有している。美大生時代に弟と同居していたので、ローターの音を聞かせてはいけないと音楽をかけてセルフ・プレジャーに勤しむうち、もともと旺盛な探究心が頭をもたげてきた。そして、ハウス、ブラジル音楽、エレクトロニカなどを経由して辿り着いたのがジェイムズ・ブレイクだったというわけだ。

 ストレッチをして緊張を解き、部屋を暗くし、AVを見て気分を盛り上げ『ジェイムズ・ブレイク』をかける。特に「アンラック」と「ザ・ウィルヘルム・スクリーム」(最初の2曲)をよく聴くが、「だいたいその2曲でイッちゃうので、以後の曲はちゃんと聴けてないだけかも」と笑う。「アンラック」で言うと、簡素に始まって徐々に音数が増え、オルガンっぽいシンセの音色で盛り上がっていく、という構成を繰り返すのが好きだそうだ。

 人の声と低音は必須。メロディや歌詞が曖昧なこと(明確だと知性や感情が立ち上がってしまう)、クリアではなくくぐもった音が重なっていること、導入からクライマックスまである程度の長さがあること、盛り上がりに高低差があることなど、「後付けですけど」と言いながら条件を挙げてくれた。

 性的な妄想を介在させる必要もなく、音楽が直接自分に入ってくる感覚なのだという。「性格的にオープン・マインドなところがあるので、知的な回路を通さず音楽に感覚がそのまま同期するっていうか、たぶん一種のトランス状態なんでしょうね。何も考えてないし、性的なことをしてるって感覚すらなく、音楽に包まれてるみたいな気分になって、皮膚の内側と外側の境界線が消えていくんです」。面白いことに、片方に耳栓をするなどして聞こえ方を変えるとより感じるという。「両耳だと入って抜けていくんですけど、片方を塞ぐと私の中でグルグル回る感じになるから」。へー。感覚的な話なので当然100%得心できるものではないが、だからこそ興味は尽きない。

 自我の軛から解放されてトランスし、自他の境界線が消える──話を聞くだに気持ちよさそうだが、これはあくまでGの話。相手のいるセックスはまったく別ものだという。

「やっぱり相手の視線や評価は気になりますからね。音楽ってある意味、無機物だし、何をしても何を言っても傷つかないじゃないですか。自由に使えるものとして揺るぎないんです。だから安心できるんだと思います」

 かなりやり込んだGだが、普通のセックスができなくなっちゃうよ、と友達に脅されたこともあり、最近は控えているそう。ドエロな女という印象はまったくない。口調はいたってまじめだし、普通に恋(今のところ片想いだけど)もしている。“B自慰M” の探究は美大卒の彼女にとってはひとつのアートなのだろう。

 男性読者諸兄はGに音楽を使ったことはありますか? 僕は一度もない。ただ「エロいな」と感じる音楽はある。もしかすると、その先には広大な未開拓地が広がっているのかもしれない。(ミュージック・マガジン2013年10月号)

REVIEW

(2009/02)

チャットモンチー『告白』

キューンレコード 2009/03/04(CD、配信)

 ここ4枚のシングルの充実ぶりから楽しみにしていたサード・アルバムだが、期待を上回る傑作だと思う。歌詞は3人全員が書くからこその幅が「バンドの人柄」を形成し、それを受けて綴られるメロディはやっぱり個性的。変態なギター、ステディなベース、歌いまくるドラムのコンビネーションも飛躍的に熟してきた。そんな調子でいちいち挙げればきりがない美点の中でも特筆したいのは、芯が強くなった橋本の歌声である。「8cmのピンヒール」「海から出た魚」「Last Love Letter」あたりのパワー・ナンバーで見せつける “押し” のたくましさが、フォークっぽい「CAT WALK」「あいまいな感情」「LOVE is SOUP」の “引き” を際立たせる。「染まるよ」のサビ♪プーカ、プーカ……の “ー” に宿る哀感は半端じゃない。ファンキーな「長い目で見て」では3人のリレー歌唱も披露。懐が深くなったな。おなじみのいしわたり淳治と新規参画の亀田誠治に加え、バンド自身もサウンド・プロデュースを手がけているが、その2曲(「あいまいな〜」「Last〜」)の強さとやさしさに “大人の証明” を見た気がする。ウェルカム・トゥ・アダルトフッド。(CDジャーナル2009年3月号)

REVIEW

(2009/05)

宇多田ヒカル『点 -Ten-』『線 -Sen-』

EMIミュージックジャパン / U3music Inc. 2009/03/19(単行本)

 点と線って松本清張か、とオヤジ臭いツッコミを禁じえないデビュー10周年記念出版の2冊。『点』は松浦靖恵による “オフィシャル・インタビュー”(変な言葉)を年代順に並べ、後半は写真満載の名言集。書き下ろしの半生記「はじめに」が素晴らしい。抽象思考をよくする彼女らしい内容だが、実直で骨太な文体が圧巻である。一方の『線』はウェブ日記を初回から2008年12月9日分まで誤字脱字もそのままに網羅。当時は “事件” だったヒカル流修辞法を一望できる。

 合計1000ページを超える量は圧倒的だが、タメにする発言はまず見当たらない。想像を絶するプレッシャーの中で生きる彼女がこうも正直な言葉を発してきたことは驚くべきことである。誤解曲解には誠実に対応しつつこだわりはしない、という態度も清々しい。失言放言に責任とらない偉い人たちにプレゼントしたいし、文科省には学校教科書に採択してもらいたい。本当にそう思う。

 最後に名言集から印象的なものをいくつか挙げておく。「闇鍋みたいなもんですよ、人生。何入ってるかわかんないけど、何かつまんで食べるしかないみたいな」には素直に共感。「ミュージシャンは、普通の人が麻痺していいことや麻痺したほうが健康なことを、麻痺せずに感じ続けなくちゃいけないことが仕事なんじゃないのかな」は合掌したくなる有難味。「自分がわからなくなったら、外を見たほうがいい」はウチの母の教えと同じで笑った。(CDジャーナル2009年6月号)

INTERVIEW

(2015/08)

MOP of HEAD

 MOP of HEADはダンスミュージックとロックの両方の要素を持つ4人組のインスト(歌なし)バンド。リーダーのGeorgeはDJとしても活動している。

 昨年末、久々に見た彼らのライヴはガラリと変わっていた。かつては終始うつむいて機材を操作していたGeorgeは積極的に観客を煽り、ギターのKikuchi、ドラムのSatoshiもユーモアを発揮。ベースのHitomiは可憐な歌声も披露する。以前のストイックさも魅力的だったが、開放的になって観客との距離が縮まり、音楽もエモーショナルな熱を増した感触があった。

「ずっと同じスタイルでやり続けて、あんまり広がりが見えなかったというか。もっと多くの人に刺していくためには変化が必要だと思って、まずMCからやってみようかと」(Kikuchi)

「ライヴ中にお客さんとコミュニケーションをとる必要あるの? って思ってたんですよね。もともとそういうとこで育ってるんで。それを払拭していくとこから始まりました」(George)

 実際、「若い子が増えた」(Hitomi)、「他のライヴ会場でも声をかけられるようになった」(Kikuchi)と効果は覿面。2年ぶりのアルバム『Vitalize』も開放的かつ祝祭ムード溢れる力作になったが、それは一度どん底を見たからこその変化だった。

 

 一昨年、以前の所属事務所のスタッフがバンドの運営資金を持って逃亡。一文なしで放り出されてしまったのだという。

「ツアーに誘われても、ガソリン代どうする? みたいな(笑)」(Kikuchi)

「僕のクレジットカードと、速攻でETC作って、繰り越し繰り越しで。バンドは続けたかったし、新しいのを出したい願望もあったけど、とにかく維持するのに必死でした」(George)

 そんなときに現在の事務所から誘われ、「今までとは角度が違うやる気」でアルバム作りに取り組む。Satoshiのデモをアレンジした〈Feeling〉や、George以外の3人がスタジオで作ったループをもとにした〈Stars〉など、新しい曲作りも試している。HitomiとSatoshiのヴォーカルを入れたのもそうした試みの一環だ。

「タイトルが『Vitalize』(活性化する、生命力を与える)ですけど、この2年間いろんなことがありすぎて、こうも短期間にいろんなことが起こるんだな、生命って面白いな、と思って。生々しい言葉になっちゃいましたけど、死にもの狂い感は出てると思います(笑)」(George)

 そんな一種の無常観と、「前はかっこいいことやってかっこいい人たちがかっこいいって言ってくれるのがベストだって思ってましたけど、今は誰と一緒にやってもいいし、誰にでも受け入れられたい」(George)という開き直りから生まれた本作は、いわば結成10年目の再デビュー作。海外進出を見据えた活動再開を喜び、4人の思いを受け止めつつ聴きたい。(月刊宝島2015年9月号)

INTERVIEW

(2016/12)

あっこゴリラ

 日本一黄色が似合う女、あっこゴリラ。ラッパーだがフィーメイルMCの系譜からは少し外れていて、ヒップホップからアイドルまであらゆる現場に登場し、アウェイでも構わずロックしまくる。12月に発売したミニ・アルバム『Back to the Jungle』は最高にかっこよく、アフリカへゴリラに会いに行ったことも話題になった。「3回死にかけた」そうだが、“お前はやるのかやれないのか? ジャッジ迫られるたび日和ったら 食うか食われるかの瀬戸際(中略)アフリカ食事が口に合わん 腹壊したまま吐きながら笑ってやらぁ おもろい人生いっちょ上がり” という表題曲のリリックにもある通り、あえてリスキーな道を選び続け、ギリギリで生きる、極度に誠実な人なのだと思う。

「日本にいると “死ぬ気で頑張る” みたいな感覚があるかもしれないけど、向こうで体験したのは “頑張らないと死ぬ”。帰ってきたら日本はすごく平和だし、資本主義だし、だから数字が大事だし、数字で価値が決まるし、数字が下がると死にたくなるし。その構造もわかって、視野は広がりましたね。あと “あっこゴリラ、間違いないじゃん!” って思った。本来、超弱い自分が強くなりたくて無茶するっていうわたしの生き方ともピッタリ合うし、ラップをやっていくなかでグルーヴとかリズムにこだわるようになっていったことともつながるし、アフリカに行ってゴリラがリズムで会話してるのを見て、いろんなことがリンクしたんです」

 アフリカでの体験は天啓だったのだろう。HAPPY BIRTHDAYのドラマーとして2011年にメジャー・デビュー、活動休止中にバンドを支えるべく2014年に始めたラップ(それまで興味がなかったそうだ)が図らずもウケてオファーが殺到し、現在に至るわけだが「昔っからですね。体張って、何でもやってみるのは」と言う。

「そのときは “人生は実験” って思ってて、男の名前で小説を書いたり、風俗で働こうと思って面接に行ったこともある。“練習で俺のチ●コ舐めて” って言われて “すいません、帰ります” っつって、“わたしマジクソだわ、ヘタレだわ” とか思いながら帰って。とりあえずやってみて、ウワ〜! ダメだった! みたいな。それって、自己分析するとムツゴロウイズムなんですよ。ムツゴロウ(畑正憲)さんは、自分がゴキブリ扱いされたときに生きた心地がするって言ってて、マジいかれてんなって思うんだけど、最低最悪マジ絶望、どうしようもないって気持ちのときに、すごく “生きてる” と思うって感覚は、わかるんですよね。で、こないだムツゴロウさんに手紙を書きました」

 自暴自棄とは違うと思う。僕なりの推察では、彼女は生を100パーセント実感し切りたいのだ。死ぬためじゃなく、生きるための無茶。「日本には合わない」と言うが、だからこそ、日本が窮屈になればなるほど輝きは増すはずだ。2017年はあっこゴリラの年になるかもしれないし、なってほしい。体には気をつけてほしいけど。

「わたしにとってのゴールは両方あるんですよ。こういうスタイルでガンガンのし上がったらクッソ面白いなって思うし、まったく売れなくてズタボロでもいい。伝説に残るズタボロになれたら、それはそれでロマンがあるから。本当に期待してる、あっこゴリラには。両方に期待してる(笑)。どっちも似合うから」(CDジャーナル2017年2月号)

INTERVIEW

(2015/06)

西城秀樹

●“もう一度だけなら 立てる気がした”と歌う

 

──今剛(ギター)、小島良喜(キーボード)、松原秀樹(ベース)、山木秀夫(ドラムス)といった超一流ミュージシャンとともに作り上げた『心響- KODOU-』、聴かせていただきました。セルフカヴァーも新曲も素晴らしくて、感動しました。

「日本一のミュージシャンたちですからね。いいアイデアをいただけました。今さんはすごいですよね。デビュー曲(〈恋する季節〉)をアコースティックにしちゃうんだから」

──カントリーブルースみたいなあのアレンジで、秀樹さんのヴォーカルの魅力も再認識しました。

「シンプルなのがいいんですよね」

──制作にはかなり時間がかかったそうですね。

「1年ぐらいかかったんじゃないかな。アレンジに時間がかかりました。ああでもない、こうでもないって、みんなの意見をいただいていたから」

──往年の秀樹さんが甦るようなパワフルさがありつつ、その一方で……。

「けっこう泣けるでしょ、バラードなんか」

──そうなんです。若いころじゃなくて今でないと歌えない歌だな、とつくづく思いました。

「気がついたら60歳。還暦のアルバムだなぁって感じがしましたね」

──8年ぶりの新曲〈蜃気楼〉にはやっぱりどうしたって感動してしまいます。

「詞がいいですよね。もともとアルバムをプロデュースしてくれたkoさん(元classの岡崎公聡氏)のバンド “Battle Cry” の曲で、“カヴァーしたいな” ってよく言っていたんですけど、病気をしてから聴いたときに “もう一度だけなら 立てる気がした” というフレーズが自分の状況とリンクして、“これは俺のためにある歌なんじゃないか” と思ったんです。だから前からコンサートでは歌っていて、今回も最初は還暦記念に〈蜃気楼〉だけをレコーディングして出そうっていう話だったんです。“もう一度だけなら~” というフレーズを還暦の再スタートに引っかけたかったんでしょうね。男だったらもう一度やってやるって気持ちがあるじゃないですか。そのうちkoさんが “僕が全部プロデュースするから、もっといろいろ歌いましょう” と言ってくれて、どんどん増えていきました。バックも主にBattle Cryのメンバーたちです」

──あの力強い歌声を聴けば納得がいきます。

「たとえば〈ブーツを脱いで朝食を〉は3連にアレンジしているので、それに合わせてハネて歌ったりとか、いろんな工夫をしているんですよ。そういうのが大変でした」

──秀樹さんはそういう場合、どんどんご意見を口にされるんですか?

「僕はそうです。もともとミュージシャンだから」

──そうだ。10代のころはドラムをやっていらしたんですもんね。

「“ここはもっとコーラスをなくしてシンプルにしたほうがいいね” “そうだね、そうしよう” “じゃあ歌がんばらなきゃ” “あんまりエコーをかけないほうがいいね” と話し合ってね」

 

●還暦とは “感歴”、感謝の歴史なのかも

──アルバムは60歳のお誕生日の発売でした。還暦バースデーライヴも敢行され、“ヒデキ、カンレキ” と話題になりましたが、感慨はいかがですか?

「よし、再スタートだな。ここからまたやるぞ、と。その第1弾ですね、このアルバムは」

──2度も病に倒れて、一時は歌手を引退しようかと思ったこともあったそうですね。

「あんまり迷惑をかけたくないなという意味でね。引き止めてくれたのは女房でした。もっと気長に治していこうよ、って」

──歌うことは治療に効果がありますか?

「ありますね、やっぱり。リハビリになります。不自由はないですよ。しゃべるのとは全然違って、音符があって音をのばせるから、(言葉が)詰まることがないんです。毎日練習しています」

──4月に行われた還暦記念バースデーライヴ、僕はテレビでしか拝見できなかったんですが、いかがでしたか?

「いやー、うれしかったですね。(河村)隆一くんとか(松岡)充くんとかぐっさん(山口智充)とか、後輩たちが集まってくれて、ほんとに愛されてるんだなって感じました。それとファンのみなさんのパワーがすごくて、感謝の気持ちでいっぱいでした。還暦ってひょっとして “感歴”、感謝の歴史なんじゃないかって。それがみなさんに贈る言葉ですね」

──サプライズで野口五郎さんがいらしていましたね。

「本当に知らなかったんですよ。呆然と立ち尽くしているでしょ、僕。“なんで五郎が来てるんだよ” って思って(笑)。でもやっぱりうれしかったですね」

──五郎さんが “秀樹、抱いてもいいか” って言って抱擁するシーンはすごく感動的でした。

「あはは。変だよね、あいつ。五郎は面白いんですよ。いきなり布団を送ってきて、なんだろうって思って電話したら “あ、届いた? ゴメンね” って(笑)。冗談ばっかり言っているけど、すごく優しい、いいやつなんです」

 

●ジャニス、JB、ロッド、ジョー・コッカーが好き

──むかしロックミュージシャンが集まってトリビュートアルバムを作っていましたね(『西城秀樹ROCKトリビュート KIDS' WANNA ROCK!』1997年)。歌謡曲じゃなくてロック畑の人たちに影響を与えているのは秀樹さんならではだと思います。もともと洋楽好きだったそうですけど、どんなアーティストがお好きでしたか?

「ジャニス・ジョプリン、ジェームズ・ブラウン、ロッド・スチュアート、ジョー・コッカーあたりですね」

──どういうところに惹かれましたか?

「やっぱりハスキーな声とパワーですよね。特にジャニスはすごいですね」

──その4人はみんな秀樹さんに通じるものがありますね。もともとドラマーだったのが、歌手になりたいと思ったきっかけは尾崎紀世彦さんだったとか。

「そうです。 “ポップスをやってみようと思うんだ” って言ったら、当時組んでいたバンドのメンバーにバカにされてね(笑)。やっぱりみんな洋楽小僧だから、 “おまえ、邦楽なんかやるの?” って言われて。それでもやってみようと思ったわけです」

──ご自分の声の個性とか魅力は……。

「それはわからなかったけど、ジョー・コッカーは好きでした。自分の声がハスキーだな、とは思っていたから。やっぱり類は友を呼ぶってね」

 

●みんなに支えられて僕が作られた

──43年も歌い続けるなんて、当時は想像もなさらなかったと思うんですが、俺は歌い続けていくんだなっていうイメージはいつごろからありましたか?

「いつごろっていうのはないけど、なんとなく、歌うことは使命だな、とは感じていました」

──声質もハスキーでしたし、シャウトする歌手が当時はあまりいなくて、とにかくグルーヴィでかっこよかったです。ライヴで洋楽のカヴァーもたくさんされていますけど、やっぱり海外のものをいろいろ聴いていらしたんですか?

「ずいぶんフィルムを見ていました。『ウッドストック』の影響が大で、それが映画『ブロウアップ ヒデキ』になったんです。1975年に富士の裾野でやった野外コンサートのドキュメンタリーなんですけど、いま見ると『ウッドストック』とよく似ていてね」

──若いころのご自分を見てどう思われましたか?

「やっぱり、みんなに支えられているんだな、と思いました。それが僕を作ったんでしょうね。ひとりではできないことです」

 

●ありのままを見せて勇気を与えられたら

──ご病気でいちばん苦しかったのはどんなことですか?

「後遺症がひどかったこと。今もつらいです。リハビリには行けるときは毎日行っています。それから毎朝、家の近くの公園を歩いています。1時間半かけて4周。そのあとは話し方のリハビリのために30分くらい本を音読しています。全部で2時間、それが日課です」

──音読で特に心に響いた言葉は何ですか?

「たくさんありますよ。松下幸之助の “今日気にかかることは明日は気にかからない” とか。くよくよしてもしょうがない、前向きにどんどん行こうと」

──2012年に著書『ありのままに 「三度目の人生」を生きる』を上梓されていますが、ありのままの姿を見せることによってファンの方たちに伝えたいことは何でしょうか?

「んー、どう言ったらいいかな……すべて、ですね。僕がステージで歌っている姿を見てパワーをもらってくれれば、僕ももらえますし。相身互いでね」

──スターの秀樹さんですから、後遺症に苦しむ姿をありのままに見せることには、並大抵じゃない勇気が要ったでしょう。

「要ります。やっぱり見せるのは大変ですよ。でも、あえてそうすることを選んだんです。たとえ脚が動かなくても、動こうとする姿をありのままに見せることによって、勇気づけられる人がいるんじゃないかと。それができるのはいま僕しかいない、と。実際、勇気をもらったという声はたくさんいただいています。病気した方もいるし、ご家族にいるという方も」

──アルバムを出してコンサートができるところまで回復されたのは想像もつかないほどすごいことで、心から尊敬します。その原動力は何ですか?

「やっぱりみなさんですね。一所懸命応援してくださるから、がんばろうという気になれるんです」

──ご病気される前と後でいちばん変わったのはどんなことですか?

「人に優しくなりましたね。仕事で言えば、聞く耳を持つようになった」

──最後に読者へのメッセージをお願いします。

「はい。歌で言うなら、音を楽しんでください。それから、生活にリズムがあるとすれば、そのリズムを楽しんでください」

(月刊宝島2015年8月号)

REVIEW

(2017/12)

エミネム『リバイバル』

ユニバーサルミュージック・ジャパン 2017/12/17(CD、配信)

 4年ぶり9枚目のアルバムは、自信を失った “ラップ・ゴッド”  の独白で幕を開ける。高すぎる期待、過去の偉業の呪い。自らの弱みと苦しみを率直な筆致で晒け出す姿はエミネムの真骨頂でもあるが、最後には “おまえと一緒にするな/ビッチ、俺は「スタン」を書いたんだ” と啖呵を切り、「ビリーヴ」「クロラセプティック」ではトラップ風のビートに乗せて攻撃性を剥き出しにしていく。

 アルバム・タイトルは『リバイバル』──再生である。『リラプス(再発)』『リカバリー(回復)』といった過去作を思い出させるが、同じ "Re-" がつく言葉でも力強さはケタ違いだ。

 エネルギー源のすべてではないにせよ確実に一角をなすのは、政治的不公正への怒りである。「アンタッチャブル」では黒人差別の問題を掘り下げ、「ライク・ホーム」では昨年10月に話題を集めた「ザ・ストーム」(BETアウォードで発表したフリースタイル)の内容をさらに一歩進めてトランプ大統領をヒトラーに擬えてみせる。これらの曲に対してはシニカルな見方もあるが、自らの最大のファン層であるプア・ホワイトたち(大統領の支持層と重なる)の心証を害することを恐れず、はっきりと発言した勇気は称賛に値するだろう。

 エミネムも45歳、立派な中年だ。「バッド・ハズバンド」「キャッスル」「アロウズ」で前妻のキムや娘のヘイリーに語りかける言葉の生々しさは、この年齢だからこそ綴り得たものだと思う。わけても娘への手紙という形で綴られるラスト2曲では、2007年にメタドン(鎮痛剤)の過剰摂取で死にかけた経験を再現し、過去のあやまちを書き直したいと告白する。最後に聞こえるのは薬をトイレに流す音。“再生” の始まりだ。

 エミネムが求めてやまないのは、“王者” であり続けることである。13秒に94語(!)を詰め込んだ「オフェンデッド」の超早口ラップから「ビリーヴ」の “ミーゴス・フロウ” まで要所でスキルを誇示しまくり、「ノーホエア・ファスト」ではまだまだ降りる気はないと果敢に歌い上げる。イタいと言うなかれ。そう簡単に隠居なんかできるもんじゃない。(CDジャーナル2018年2月号)

REVIEW

(2018/03)

YAMA-KAN「Take me Follow me/記憶にございません/手をつなぎたいんだ」

TOWER RECORDS 2018/03/21(CD+DVD、配信)

 山崎まさよし+KAN=YAMA-KAN。人を食ったネーミングだ(寺岡呼人+奥田民生=寺田を思い出す)。“とっくにやってそうで実は一度もやってなかった” と資料にあるが、46歳と55歳、いぶし銀の最強タッグは意外なようで相性バッチリ。冒頭の「Take me Follow me」のブラジリアン・フュージョンみたいなイントロが流れてきた瞬間のワクワク感。全楽器をふたりで演奏し、歌は山崎主導。「記憶にございません」のハモり、「手をつなぎたいんだ」のビートルズ心、ことごとく最高すぎるのでユニット続行希望。(CDジャーナル2018年4月号)

INTERVIEW

(2018/05)

CHAI
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 2018年も “NEOかわいい” は止まらない。“わがまま” ってネガティヴな意味で使われるけど、“我がまま” = “ありのままの自分” ってことじゃない? と、ユーモアたっぷりに価値観の転覆を謀るCHAIの新EP『わがまマニア』は、「わたしはわたし! そのままでいいんだよ!」という4人ならではのポジティヴなメッセージが前作『PINK』以上に明快に伝わり、“◯◯だからこうしなきゃ/しちゃダメ” といった社会的な呪縛から聴き手を解放してくれる気持ちのいいEPだ。意気上がる4人に話を聞いた。

 

──3月に2度目のアメリカ西海岸ツアーに行ってきたんですよね。どうでしたか?

ユウキ「楽しかった!」

カナ「帰りたくなかったもん」

ユウキ「泣いたよね、帰りたくなーい!って」

ユウナ「そうそう。全員で大号泣」

カナ「今回はBurger Records(2月に『PINK』を発売したカリフォルニア州フラートンのインディー・レーベル)の人たちと関わることになったんだけど、もう、愛がすごくて。お客さんの愛も」

ユウキ「CHAIがイチバン、って日本語で言ってくれるの。すごいでしょ!」

マナ「なかなか言えないよね、イチバンって」

カナ「そんなこと言われたら泣くしかないよね」

ユウキ「ねー。ハグだよハグ」

マナ「やりながら何回も泣きそうになって、最後のライヴとかやばかった」

ユウナ「声震えてたよね(笑)」

マナ「震えて、ステージ降りた瞬間に大泣きだもん」

──『わがまマニア』の曲もやりました?

ユウキ「ちょっとやった。〈フューチャー〉と〈アイム・ミー〉」

──英語の歌詞が増えたのは海外のお客さんを意識して?

ユウキ「そういうわけじゃない。英語のほうがハマる曲が多かったの。インプットするのが全部洋楽だから、これまでもそうだったんだけど。日本語はカクカクしちゃうじゃん? 流れが。でも絶対に日本語は入れたいし、全部フィーリングで」

──アメリカの人も共感してくれたりする?

ユウキ「どうなんやろ? でも “NEOかわいい” の簡単な説明みたいのをマナがMCでさ……」

マナ「やった。ネタとして。めっちゃわかってくれた。たぶんそこ以外は何も理解しないでノッてくれてたと思う」

ユウキ「でもすごく反応がいいんだよね」

カナ「歌ってくれる人もいた。日本語で」

マナ「リリースするとやっぱ違うんだなって思ったよね」

──前回はやたら “Awesome!” って言われたそうですけど、今回は?

マナ「“Fu*kin' awesome!” って言われた(笑)」

ユウキ「聞いたら最上級にawesomeなんだって。“クッソ最高!” って意味だよね。すごくない?」

──すごい。『わがまマニア』の5曲はすべて書き下ろし?

マナ「全部新しい曲。CHAIはストックが一個もないの」

ユウキ「捨てるからね(笑)」

──CHAIはどんなふうに曲作りしていくんですか?

マナ「わたしがなんとなくメロディを作って、カナがコードをつけてくれて、みんなでアレンジして、最後に歌詞」

ユウナ「アレンジはカナがちゅうちんじんぶつ……噛んじゃった(笑)」

カナ「一応わたしが仕切ることが多くて、みんなで意見を言い合って “それ、いいね” ってなった方向に進んでいくの」

ユウキ「とにかくいっぱいしゃべる!」

カナ「すべてがニュアンスだけで進むんだよね(笑)」

──ふだんからよくしゃべっているから伝わるわけですね。

マナ「そそ、わかるの。“あのマルーン5みたいな感じ!” とか」

ユウキ「“なんか紫色!” とか(笑)」

マナ「“バンパイアがさー” とか言うと “あぁ、バンパイアね” って言って叩いてくれるの。他の人とは絶対できない(笑)」

カナ「好きな曲が4人一緒。だから通じ合えるんだよね」

ユウキ「かっこいいポイントが一緒なんだよね。“このダサさがいい” って言うときも一緒だし “このダサさは嫌い” って言うのも一緒。すごいよね」

──歌詞もそんな感じ?

マナ「歌詞はユウキが中心だけど……」

ユウキ「けっこう迷うから、そういうときはみんなにも訊く。“どういうこと思ってる?” とか “最近のコンプレックスは何?” とか。それで言ったのを “それ、いいね” って入れてく」

──ユウキさんはあくまでまとめ役であって、みんなの言葉なんですね。

ユウキ「そう。CHAIの言葉」

──〈フューチャー〉のMVが公開されたとき、小山さん(マネージャー)から朝の5時ぐらいにメールをもらって、見て泣きました。

一同「わー! うれしい!」

マナ「歌詞いいよねー。むちゃくちゃ伝わる」

ユウキ「最近ライヴでもさ、男性が泣いてくれるの。すっごい感動しちゃって。女性の発信するもので男性が感動するって珍しいじゃん」

マナ「ねぇ、どういう感情で泣いてくれるの?」

──僕の場合は、自分というよりはCHAIと同世代くらいの若い人が聴いたときに「わたしもいける」「俺も大丈夫」って気持ちになれそう、って想像してウルウルするんです(笑)。近くで優しく歌ってくれてるような。

マナ「あ~、すてき!」

ユウキ「うれしい! よかった」

──〈アイム・ミー〉では “Everybody's special guys” と歌っていて、男の子も照準に入っていますよね。

マナ「気づくね~(笑)」

ユウキ「男は男で、みんなすてきなんだよって思うから。全人類に届け! っていつも思ってる。CHAIは地球の音楽でありたいの」

──「地球の音楽でありたい」、いいですね! そのために必要なことは?

ユウキ「ポジティヴであること?」

カナ「あと、圧倒的個性」

ユウキ「すべての人はひとりしかいないじゃん? そしたら自分である時点で個性だって思う。だから “ありのまま” をずっと守り続けることが大事な気がする。刺激にいちいち右往左往してたら、みんな平坦になっちゃう。そうじゃなくて “わたしだよ” って」

──マナさんの歌声もますますかわいいですが、小さな子供みたいな感じで歌ってるのはわざと?

マナ「幼くありたい。子供である自分がいちばんかわいいって思うから」

ユウキ「好きなことをやるときは子供に戻ると思わん? やりたい、好き、楽しい、わー!みたいな。それって超大事っていうか、いくつになってもずっと持ってたいし、みんなにも持っててほしい」

──食べたいものを我慢せず “身を守るため吸収” と歌う〈FAT-MOTTO〉は、やせなきゃって苦しんでいる女の子たちに聴いてほしいです。

ユウキ「“かわいい” の象徴が今はやせてる人になっちゃうから、太ってると “わたしはかわいくない” って思っちゃうのかな。その気持ちはわかる」

マナ「でも、それだとみんなおんなじになっちゃうよね。やせた顔ってみんな一緒じゃない。だいたい真ん中に寄るから(笑)」

ユウキ「細い子は細い子でかわいいけど、細くなくったってかわいいからさ。いろいろあって違うからかわいいんだよね」

──それが “NEOかわいい” ですもんね。僕もNEOかわいいですか?

ユウキ「もちろんだよー!」

マナ「笑顔がかわいい!」

ユウナ「口元がかわいい! 見ちゃう」

──(照笑)恥ずかしいけどうれしい! かわいいって何なんでしょう?

ユウキ「愛嬌? 夢中になってるときに出てきちゃうもの」

カナ「チャーミングさみたいな。その人らしさ?」

ユウナ「ナチュラルな魅力」

マナ「わたしたち自身も憧れてきた言葉だけど、実は遠くにあるものじゃなくて、すごく近い存在なんだよって気づいてほしいよね」

──先日『ミュージックステーション』に出演しましたが、どうでしたか?

マナ「めっちゃ楽しかった!」

カナ「タモさんすっごいいい人だった」

ユウキ「名古屋弁が上手で、近所のおじいちゃんみたいだった」

ユウナ「コメダにいそうだもんね(笑)」

カナ「癒されたよね~」

マナ「めっちゃほめてくれたの。“おみゃ~さんたち気をつけて帰り~” って。“おみゃ~さん” って今もう誰も言わないよ(笑)」

──今やCHAI語みたいになっている “だもんで” は?

マナ「めっちゃ言う。みんな勘違いして語尾につけるけど、違うんだよ(笑)。接続語だから」

ユウキ「CHAIは接続語で終わることが多いから(笑)」

マナ「わたしたちの使い方が間違っとるんだけどね」

──どんどん流行らせてほしいです。

カナ「流行語大賞にならないかな」

ユウキ「“だもんで” と “NEOかわいい” がね」

​(CDジャーナル2018年7月号)

REVIEW

(2019/03)

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ビクターエンタテインメント 2019/03/20(CD、配信)

 アンジュルム卒業後、本田美奈子.が在籍したビーエムアイに移籍し、ミュージカル女優と歌手のダブル・キャリアを順調に築きつつあるめいめいの初ミニ・アルバム。深田太郎と父・阿久悠が共作した秘蔵曲「カガミよカガミ」を除いてすべて書き下ろし。末満健一&和田俊輔の「無形有形」と「歌が咲く」が彼女の歌唱力とアクの強いパフォーマンスを十全に引き出して圧巻。遠藤響子の「First Flash」「1, 2, 3, Go!!」も同様だ。ミュージカル色の濃い演劇的な曲ほど輝く貴重な歌い手。将来が嘱望されすぎる。(CDジャーナル2019年4月号)

INTERVIEW

(2018/12)

太田ひな
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 太田ひなは1996年生まれ、大学4年生のシンガー・ソングライター。幼少時からピアノに触れ、高校時代に曲を作り始めて、大学入学後にライヴ活動をスタート。天窓、ジージ、ストロボカフェといった首都圏の アコ箱” に多く出演し、弾き語り女性SSWのシーンで頭角を現わしてきた。

 僕はたまたま知り合いのSSWの主催イヴェントで彼女を見たことがあるのだが、初めてのアルバム『Between The Sheets』には少し驚いた。かつてAureoleを率い、現在はkilk recordsを主宰しつつ複数のライヴハウスを経営する森大地がプロデュースしたサウンドは、歌の “太さ はそのままに、アコースティックからエレクトロニックまで多様な音色を大胆に導入(ピアノの音が入っていない曲もある)。弾き語りのイメージを快く裏切ってきた本作について話を聞いた。

「弾き語り女性SSWのシーンにずっと違和感があって、早くここを出たい出たいと思いつつもどうすればいいかわからず、右往左往していたところに森さんが声をかけてくださったんです。アレンジ的にも、こういうふうにしたいけどどうすれば…と思っていたので、森さんにやっていただいてフィーリングが合ったというか」

──森さんとはいつから?

「初めて出たライヴハウスが、森さんが経営されているヒソミネ(さいたま市)だったんです。以来ずっとつながりがあって、神楽音(神楽坂)に出たときに見に来てくれて〈愛すべきぼくら〉っていう曲をリミックスみたいな感じでアレンジしたいって言ってくれたのが始まりですね。作っていくうちに、いいね、いいねってどんどん曲が増えていって、アルバムになった感じです」

──アレンジの作業はどのように?

「基本的には森さんが作業してるスタジオに同席して、いろいろ意見を言いながら作りました。9曲中6曲は前からライヴでやっていたんですけど、〈ロマンス〉〈Lush〉〈甘いミルク〉は一緒にゼロから作りました。ざっくりしたものを私が作るんですけど、メロディにも森さんが大幅に手を加えたり、歌詞もまず英語詞をあてて、響きを考えながら日本語に置き換えていったり。言葉の響きと意味の化学変化ですごく良く聴こえる、みたいな効果を意図的に作り出す試みは初めてで、手こずりましたけど、めちゃめちゃ勉強になりました」

──抽象的な歌詞の短い歌を繰り返す背景でアンサンブルが変化する〈Lush〉は中でも新鮮です。

「森さんが “ダンサブルな曲にしたい” みたいな話をしてて、わたしはけっこう不安だったんですけど、聴いてみたら全然アルバムの中で浮いてないし気に入ってる曲です。〈Lush〉はいちばん勉強になったかもしれないですね。歌詞の意味だけでなく響きもかなり意識した曲でした。ただ、〈愛すべきぼくら〉でも “ぽたりぽたり とか “めぐりめぐる とか同じ言葉を繰り返したりしてて、歌詞の響きはもともと大切にはしていたんです。それが極端になっただけで、歌詞に対するわたしの考え方が広がった感じですね」

──〈愛すべきぼくら〉は主人公が男女どちらかわからないというか、女性的だけどその中に男性性があるような印象を受けました。

「そうですね。1番の歌詞はわたしという女性としての目線で書きましたが、“いや、おまえだけじゃないぞ と思って、2番からは男女問わず、いろいろな人々の生活を想像しながら書き上げていったのでそうなったのかもしれません。“わたしの生活” というより、普通の人々の日常をわたしなりに思い浮かべて書き綴ったような曲ですね。歌詞に限らず、音楽も私生活も女性的な中に、ある種の男性的とも言えるような強さを持っていたいと思っていて。たぶんわたしは女性という性を売り物にしたくないんだと思います。例えば見た目がタイプという理由だけでお客さんを集めたいとは思いませんし、そういうシーンには属していたくないんです(笑)」

──『Between The Sheets』のアルバム・タイトルでアイズリー・ブラザーズを思い出したんですが、それが由来なんでしょうか。あるいは〈渦中〉に “片付けられない布団の中 という一節がありますが、こっちのイメージ?

「アイズリー・ブラザーズから由来してますが、〈渦中〉の歌詞にも通じますし、何よりアルバム全体の雰囲気にピッタリだと思ったんです。ポップだけど核の部分は湿度が高くてじんわりした感じがあるなと思っていたときに、その言葉を見つけたんです」

──15歳で曲を作り始めたとか。

「何かきっかけがあったわけではないんですけど、ピアノで遊んでいたら曲ができて、何か思ったり感じたりするたび、日記を書くみたいにポコポコ作ってました。〈黄昏〉と〈渦中〉はそのころに近い作り方をした曲ですね」

──語彙や言葉遣いが少し古風で、読書家っぽいですね。

「本はめちゃめちゃ好きです。西加奈子さん、江國香織さん、川上弘美さん、林真理子さん…女性作家が多いですね。〈渦中〉のじんわりした生活感とか、明らかに何かが起こってそうだけど具体的なことを書いてない感じは、そのあたりから影響を受けてるかもしれないです」

──音楽はどんな人が好きですか。

「アマンダ・ロジャース、マギー・ロジャース、サブモーション・オーケストラ、サブリナ・クラウディオ……こっちも女性が多いですね。日本人だと宇多田ヒカルさんはずっと好きで、〈愛すべきぼくら〉は〈二時間だけのバカンスfeat. 椎名林檎〉にインスピレーションを受けて作りました。全然違う曲になっちゃいましたけど(笑)」

──アルバムを聴いてくれる人に伝えたいことはありますか。

「弾き語りを聴いてくれていたお客さんにこそ聴いてほしいです。雰囲気は全然違うけど、やりたいことが変わったわけではまったくないので。〈渦中〉は弾き語りでしっとりやりつつも、ずっと濁流のようなイメージがあったし、“そこにあれど逆らえず って歌詞にしても本来すごく怒ってる曲なんですよ(笑)。フィットしたアレンジをしてもらえて、よかったなと思ってます」

​(ミュージック・マガジン2019年2月号)

REVIEW

(2019/06)

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トイズファクトリー 2019/05/07(CD、配信)

 ちちゃんのメジャー・デビュー作はボーナス・トラック含め18曲入りの(いつも通り)大盤振る舞い。ライヴのすごさばかりが取り沙汰されがちだが──実際すごいのだが──とにかく曲がよくて歌がうまい、そもそも音楽家としての力量が半端ない人だと思うので、きちんとそこに焦点を当てた作りに納得する。メロディと歌声がなにしろ気持ちいいし、トラックや歌詞には意外性や飛躍が満載だから、ふと気がつくとリピートしてしまっている。現代最高級に自然な肯定ソング「大丈夫」や、のどちんこが見えるような絶唱を聴かせる「おじさん」はもちろんパワフル至極だが、《こんな赤ちゃんはいつまでだろう》(「ピッコロ虫」)、《こんな幸せな日がいつまでも続きますように》(「代々木公園」)といった一節に漂う無常観にハッとする。つい天才、異才扱いしたくなる気持ちはわかるがほどほどにしたい。フレディ・マーキュリーを思い出したけど、《アイ・アム・the クイーン》(「Queeeeeeeeeen」)と歌っているし、彼女自身通じるものを感じているのかな。(CDジャーナル2019年夏号)

REVIEW

(2019/10)

スピッツ『見っけ』
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ユニバーサルミュージック・ジャパン 2019/10/09(CD、配信)

 3年ぶり通算16枚目のアルバムは、キラキラしたシンセのシークェンスに豪快に歪んだギターが絡む表題曲(「日なたの窓に憧れて」を思い出す)で幕を開ける。歌は低域で慎ましく始まり、サビのファルセットへと一気に駆けのぼっていく。とても簡潔な構成で、尺も短く、エンディングもあっさりしている。歌詞に出てくる《ランディ》はランディ・ローズのことだろうか。

 この曲がアルバム全体のムードを決定づけている。近年のスピッツは曲名も歌詞もどんどん言葉を減らして、演奏面でも変幻自在というよりはあえての隙間でリッチな印象を与えるようになって、シンプルさを追求している感が強い。スローで静かなのは「ブービー」くらいで、「ラジオデイズ」「快速」「はぐれ狼」「ヤマブキ」などリズム隊のパワーが印象に残るロックンロールが並び、ベテランの貫禄と若々しいラフネスの同居ぶりが頼もしい。

 一本調子なわけではもちろんない。カントリー調の「優しいあの子」や「初夏の日」はアコースティックな音色が効いていて、「ありがとさん」は90年代のオルタナティヴ・ロックを思わせる重いミディアムだし、「花と虫」や「YM71D」は随所にファンキーなニュアンスを忍ばせてある。とりわけ新鮮なのは「まがった僕のしっぽ」だ。6/8拍子で速い8ビートをサンドイッチしたテンポ・チェンジは、僕の知る限りスピッツ史上初。フルートの音色とあいまってプログレっぽさもある(尺は5分もないけど)。

 かようにバリエーションもありチャレンジもしているのだが、アルバム全体としても楽曲単体でも、第一印象も最終結論も、“スピッツ節” というまことに非・音楽評論的なフレーズに落ち着いてしまう。もちろん僕の力不足だが、スピッツがいかに強力で盤石な “型” を持っているかの証明でもあるのではないか。草野マサムネの紡ぐメロディと言葉、そして彼の歌がどっしりと中心にある。今も変わらず青くみずみずしい彼の歌が鳴り響いた瞬間、場の空気が完全に塗り替わってしまう。草野はかつて《人によってはラモーンズみたいな印象を持たれるかもしれません》(本誌2010年11月号)と言っていたが、《陳腐とけなされても 突き破っていけ よじ登っていけ 崖の上まで》(「ヤマブキ」)の一節は、そんなスピッツの矜持の控えめな表明にも聞こえる。

 表題曲がアルバムのムードを決定づけていると先に書いたが、代表曲をひとつ選ぶなら「ありがとさん」だろう。曲名に表われた韜晦、含羞もまた実に “スピッツ節” だ。《いつか常識的な形を失ったら/そん時は化けてでも届けよう ありがとさん》の説得力は、知命を超えた4人ならでは。60~70年代の筒美京平っぽいメロディも興趣に富んでいる。

 青くみずみずしいのは当然ながら歌だけではなく、バンド・アンサンブルも同様だ。かつてと違うのはもはや脆さ、危うさがないこと。情報を極限まで間引き、そのぶん一音一音のニュアンスを研ぎ澄ました歌と演奏の色気は、ちょっと空恐ろしいほど。こんなロック・バンドは世界にも珍しい。(ミュージック・マガジン2019年11月号)

REVIEW

(2020/09)

chelmico『MAZE』
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ワーナーミュージック・ジャパン 2020/08/20(CD、配信)

 1月にアニメ『映像研には手を出すな!』の主題歌「Easy Breezy」を聴いたとき、ryo takahashiとPistachio Studioの尋常でないトラックの冴えと、それに拮抗するラップのキレ(MVがまたすばらしい)に、チームchelmicoのネクスト・レベルを感じたものだ。その曲から作り始めたというワーナーでの3作め(トータル4作め)は、抱かせた期待を裏切らないばかりか、アルバム中盤、Aalko aka Akiko Kiyamaプロデュースの「いるよ」と長谷川白紙の個性が弾けた「ごはんだよ」で予想外の方向へと深化を見せる。音楽的な冒険とともにドープなノスタルジアともいうべき未踏の境地に踏み込んだリリックにも感服。やるせなさと表裏一体のポップさという持ち味をさらに推し進めた「Terminal 着、即 Dance」「Premium・夏mansion」「milk」、コロナ禍克服への祈りに満ちたクラブ賛歌「Disco (Bad dance doesn't matter)」、バディ同士のラブソング「GREEN」と、印象はあくまでイージーだが安易に聞き流せない濃密さ。RachelとMamikoのアーティストとしてのスケールはこちらの想像を大きく上回っているようだ。二人の自己申告通り、現時点での最高傑作だろう。(CDジャーナル2020年秋号)

REVIEW

(2022/09)

七尾旅人『Long Voyage』
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Felicity 2022/09/14(CD、配信)

 パンデミック下の2年半の経験と見聞から、七尾旅人は600年に及ぶ人類の必ずしもBonではないLongなVoyageを自分自身と家族の歴史を重ねながらたどり直す。ストレイ・バンドをはじめとする仲間たちとともに、主旋律にハーモニーを足すように言葉を多義的に響かせ(「Wonderful Life」)、ときには物理的に他者と声を重ねながら(大比良瑞希を迎えた「ドンセイグッバイ」)。ジャズ、アメリカーナに通じる音像でBLMからアメリカ黒人史はもとよりわが国の移民文化にも思いを馳せる「ソウルフードを君と」や、アルバムのテーマを体現してあまりある「Long Voyage『停泊』」など長尺の曲が多く、だからこそ終盤にそっと置かれた小品「미파(ミファ)」に泣けた。CD2枚にわたり、真摯であたたかな心から生まれたことがはっきりとわかる歌が詰まっている。音楽や音楽家に失望することも増えてきた昨今だが、もう少しだけ信じていよう。そんな気持ちにさせてくれる、2022年を代表する作品。(CDジャーナル2022年秋号)

REVIEW

(2006/07)

『ビースティ・ボーイズ 撮られっぱなし天国』

角川エンタテインメント 2007/01/02(DVD)

​※レビュー執筆は劇場公開前

 2004年10月9日、ニューヨークはマディソン・スクエア・ガーデン。ビースティ・ボーイズの凱旋公演に集まった観客から50人が選ばれ、1台ずつビデオ・カメラを渡された。指示は至ってシンプル──「最後までカメラを回し続けろ」。こうして撮られた50本(+オフィシャル数本)をナサニエル・ホーンブロウワー監督ことMCAが1年かけて編集し作り上げたのが、この『撮られっぱなし天国』である。ボン・ジョヴィの「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」のPVを思い出したアナタ、MTV世代ですねえ。
 観客が手にしたHi-8がキックの音に揺れながらとらえたのは、単なる “動くビースティ・ボーイズ” だけじゃない。ステージの遠景、ビールを手に盛り上がる観客、トイレの便器、ステージ裏に入ろうとする客と警備員のやりとり、客席で騒ぐベン・スティラー──要するに50通りの “生のコンサート体験” である。これを再構成した本作は、見る者に1本のショーを追体験させつつ、ライヴ・フィルムのクリシェに批評を加えてもいる。同業者には大いに刺戟になるだろう。
 粗い映像が合計6,732カット、エフェクトもフル回転。決して “見やすい” ものではない。しかし、ラフネスがもたらすドキュメンタリー性とカット&ペーストという時間・空間の分節法は、美学的側面から見たヒップホップの粋。そのマナーで90分を押し切ったホーンブロウワー監督の手つきに、ヒップホッパーとしてのこだわりと矜持がのぞく。
 オープニングの「トリプル・トラブル」からアンコールの「サボタージュ」まで全22曲、新旧のレパートリーが縦横に飛び出し、音楽面ではオヤジも小僧もお楽しみ満載。ダグ・E・フレッシュのヒューマン・ビートボックスと、マニー・マーク(キーボード)&アルフレード・オルティース(パーカッション)を従えてファンキーにキメるバンド・コーナーが、ボク的にはハイライトだった。(CDジャーナル2006年8月号)

REVIEW

(2023/03)

プリンス『サイン・オブ・ザ・タイムス』
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ワードレコーズ 2021/07/30(ブルーレイ)

 1987年、プリンス絶頂期の珠玉の演奏を余すところなく伝える、彼の映像作品では『パープル・レイン』を凌ぐ最高傑作。欧州ツアーで2公演を撮影したがクォリティに問題があり、ペイズリー・パークで撮り直したという。

 全編見どころしかない。中盤の「アイ・クッド・ネヴァー・テイク・ザ・プレイス・オヴ・ユア・マン」からシーラ・Eのドラム・ソロまでの熱すぎる流れと、ラストの「ザ・クロス」の荘厳さの対照にはいま見ても涙ぐんでしまう。「U・ガット・ザ・ルック」はPVだし、曲間に小芝居も挿入されるが、フィクショナルなシーンがある意味で彼の内面をドキュメントしているようにも見えるのが、プリンスというアーティストの奥深さといえる。

 興行収入はさんざんだったそうだが、87年11月にニューヨーク42番街の劇場で、叫び歌い踊り指笛を吹くアフリカン・アメリカンの観客に囲まれて見たのはいい思い出だ。(ミュージック・マガジン2023年4月号)

REVIEW

(2022/12)

スカート『SONGS』
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ポニーキャニオン 2022/11/30(CD、配信)

 数年前に吉祥寺の駅前で澤部渡を見かけたことがある。ご存じの通りの巨躯にギター・ケースを背負い、狭めの歩幅でえっちらおっちらと歩く様子には、なんとも言えない愛嬌を感じた。音は人なり、と安易に言うつもりはないが、メジャーでは4作目、通算では9作目の本作でも、スカートの音楽はいたってキュートだ。例えば「ODDTAXI feat. PUNPEE」や「背を撃つ風」で高音を張り上げるときのひしゃげたような発声にはいなたくユーモラスな響きがあり、それは「Aを弾け」や「海岸線再訪」の弾むようなビートとも呼応している。「標識の影・鉄塔の影」のサビの “遮音壁の向こうで〜” のインパクトも、柔らかで温かいオーラに包まれている。13曲中10曲がタイアップつきは壮観だが、彼らが奏でるマイペースなインディー・ポップの福々しさに、きっと映画や演劇やCMの側があやかりたくなるのだろう。洒落てはいるが厭味のない、博愛の調べ。カラフルなジャケット・アートもすばらしい。(CDジャーナル 2023年冬号)

INTERVIEW

(2015/11)

電気グルーヴ
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――(『DENKI GROOVE THE MOVIE? ─石野卓球とピエール瀧─』は)現役グループのキャリア回顧ドキュメンタリーとしてはちょっと変わっていて、お二人の証言はなく、徹底的に関係者のお話で構成してありますね。この映画における電気グルーヴの歴史の捉え方や音楽への評価は大根監督のものですか?

瀧 そうですね、たぶん。俺らが提供したのは素材だけです。撮り溜めてあったビデオを渡して「好きにやってください」って。

卓球 そもそも映画を作るつもりもなかったんですよ。ある日、家の掃除をしてたらVHSテープが段ボール3個分出てきたんです。自分たちのライブとか、当時出たテレビとか。もう再生機もないんで、ほっといてもカビていくだけだし、次の大掃除で出てきたらたぶん捨てちゃうだろうと思ったんで、レコード会社に渡して「デジタルアーカイブ化してくんない?」って言ったんです。「ついでに映画でも作れば?」って言ったら「あ、それいいですね」みたいな。「どうぞどうぞ、うちらは関与しないんで好きにやってください」って言ってできたのがこれ。

――じゃああらためて25年の歴史について語ったりすることもなく……。

卓球 なく。監督は誰がいいかって話になって、いちばんよく知ってるから、説明しなくてもいいし……っていうんで大根さんにお願いしたんです。ただ、あまりにこっちがざっくりしてるっていうか丸投げだったんで心配になったらしくて、編集を始める直前ぐらいに大根さんから電話がかかってきて、ちょっと話が聞きたいって言うから飲み屋で会ったんだけど、「こっちからは何も言わないんでお任せします」と。実は僕まだ観てないんですけど、非常にいい作品になったとうかがってます(笑)。

――瀧さんはご覧になりましたか?

瀧 観ました。今48歳で、デビューのころは22歳とかなので、十三ファンダンゴの初ライブ(1989年)の映像とか初めて観るに近かったんですけど、もう他人ですよね(笑)。断片的にしか覚えてないんで。感慨深いというより「なんか若い子がメチャクチャやってんなー」っていう感じで観ました。

――みなさんの証言を聞いて思ったこととかは?

瀧 「へえ、当時そういうこと思ってたんだ」とかいうこともあるにはあるけど、それもその人の主観でしょうからね。やってた当人にしてみると、いくつかある意見のなかのひとつみたいな感じもしますし、自分たちの見解を話してないのは、そこはもうハナからひとに委ねたほうが正解だろうと思ったからなんですよ。語れるには語れるけど、「こう観てほしい」とか制限しちゃう気がして。妙に正史みたいなものができちゃうのは、いいことだと思えないんですよ。

――あと面白かったのが、まじめな話のあとに画面が切り替わってライブシーンになって、公演名が出るたびにコケるというか、軽くムカつくんですよ(笑)。「Shangri-la」が流れて「やっぱりいい曲だな」って思ってたら「歌う糞尿インターネット攻略本」って文字が出てきたり。あの映像のテンポ自体が電気グルーヴっぽいなと思いました。

卓球 大根さんの編集ですよね。うちらはそういうふうに見えるであろうって決めてやってたわけじゃまったくないです(笑)。

――映画というと、近年は瀧さんのご活躍がめざましいですが、役者・ピエール瀧を卓球さんはどうご覧になってますか?

卓球 すごいですよね。日本アカデミー賞、報知新聞映画賞……。

瀧 毎日新聞映画賞……。

卓球 石野卓球リボン賞(笑)。実は俺、瀧の出てる映画あんまり観てなくて。観れないんですよ。身内というか肉親みたいなもんなんで、ハラハラしちゃって。瀧が気になって感情移入できなかったり、感情移入しようとしたらこいつが出てきて気を散らされちゃったり(笑)。『凶悪』はちゃんと観ましたけど。決して瀧を役者として認めてないとか、一緒にやってるメンバーが役者として売れてることに対するドロドロとした嫉妬心から観ないとか……です(笑)。それが理由です!

――演技のお仕事に電気グルーヴのステージでの経験が生きてたりしますか?

瀧 全然ないわけじゃないとは思うんですよ。その逆もなにかしらあるとは思うんですけど、具体的に例えば発声方法が変わったとか(笑)、そういうもんでもないと思いますね。切り替えてやってるところもありますし。

――マインドがかなり違うんですね。当然といえば当然ですけど。

瀧 映画の現場ではやることもしゃべることも全部書いてありますからね(笑)。ライブは曲は決まってるけど、自分でその場で決めていくじゃないですか。そういうとこが違うなって気がします。

卓球 電気があんまりライブやってなかった時期に、俺が毎週末DJでお客さんを前にしてたのに対して、瀧は人前に出てリアルタイムでお客さんを相手にするってことをほとんどやってなかったんですよ。それで久しぶりに電気でライブをやったとき、どう立ち回っていいのか戸惑ってたのを覚えてます。

瀧 WIRE(99年)ね。歌いもしなかったからね、あんとき。

卓球 その後だんだんと勘を取り戻していったんだけど、すぐにリアクションがとれることを面白がり始めて、やべえとこに行ってたっていうか。

瀧 出すぎちゃうんだよね。今じゃなくてもいいとこで出ちゃって。それを経て……。

卓球 完成形へ(笑)。比較対象がないですから、瀧の場合は。まぁ押し引きはわかるようになったよな。

瀧 人生のころから終始、ステージでは所在ない感じなんで(笑)。

――いろんな時代のライブ映像を見ていると、ずいぶん変わってきたんだなってことがわかって、それも面白かったです。最初のころはラップグループっぽいじゃないですか。そこから現在の形までには、いろいろ試行錯誤もあったろうと思うんですが。

卓球 ラップってスタイルが当時は好きだったんですけど、肝心の言いたいことが何もなかったんですよ(笑)。結果、今のようなスタイルになってきた。短いセンテンスを繰り返していったほうが、受け手のイメージも自由になるし、意味もひとつじゃなくなってくる、そっちのほうが僕らには向いてるんじゃないかって。聴く人の環境や精神状態によって全然違って聞こえるんじゃないかとか。

瀧 「これってこういうことですよね」って言われて「おお、そうとも取れるね」って驚いたりしますよ。

――スチャダラパーのSHINCOさんが、01年ごろに同世代のアーティストが相次いで活動休止したことについて「あのまま続けたら誰か死ぬか発狂するんじゃないかって思ってた」みたいなことを言っていましたが、かなりシビアな状況だったんですか?

卓球 って言ってる本人がいちばんヤバかったっていう(笑)。

瀧 僕はそこ、あんまりピンとこなかったんですよね。

卓球 90年代バンドの更年期障害だったんじゃねえか、みたいな。

瀧 80年代ニューウェイヴ世代が90年代に入ってゼロ年代になったときにウーン……みたいな。それを全員一斉に迎えたといえば迎えたんでしょうけど、その時期にうちらは活動休止してましたし。

卓球 別々に活動してそれぞれ打ち込むことがあったんで、SHINCOくんのようにはならなかったっていう。

瀧 それもあるし、90年ぐらいにデビューして、国内のシーンでいろいろやってて、そこに限界を感じて……。

卓球 「日本という器は俺たちには小さすぎる!」って(笑)。

瀧 海外に行って新しいとこでやったりもしてたんで、国内でずっとやってた人たちよりかは閉塞感みたいなものはなかったと思いますね。「死んじゃってたかもしれない」って言われたら「そんなこたないっしょ」って思ったけど。

卓球 要はうちら、外タレだったんですよ。ピエールがいるから(笑)。そうなるのを見越して活動休止したわけじゃないんだけど、更年期障害が来るはずが、うちらママさんバレーに打ち込んでるうちに生理が止まってたって感じ。

瀧 あと、他のバンドみたいに活動のすべてがバンド一色ってわけではないですから。卓球はDJやってたし、僕もTVのバラエティとかやってたし。

卓球 ブラウン管狭しと。

――ところで去年の塗糞祭にお邪魔したとき爆笑したシーンもあり、エンディングが最高でした。

瀧 25年の歴史でいろいろあって、結論が刷毛であれっていう。「お2人は変わりませんね!」ってことか(笑)。

――たしかに、ある意味結論っぽいのかな。

卓球 ほんっと面白かったんですよ、あんとき。瀧が僕をハメたときって、顔を見るだけでダメで。そういうとき、こいつ面白い顔をしないで普通の顔で見つめるんですけど、それがまた面白くて、それまでの30年間がフリみたいに思えてくるんですよ。「このためかよぉぉ!」って(笑)。「なんだよ、あのとき酒飲んで泣いてたのもか?」

瀧 「携帯投げたときも?」

卓球 「ここに向けてだったの? 何その人生!」って。

――そう考えるとあれがクライマックスシーンかもしれませんね。

卓球 幸せなシーンかもしれないですね。

――ほんと幸せですよ。読者のみなさんはお楽しみに。

瀧 よかったな、胸ぐらつかんで罵り合ってるシーンじゃなくて。

卓球 この映画、静岡でも上映するんですよね、よしゃいいのに。親や親戚が見に行っちゃうじゃねえかよ(笑)。ライブ見にくるのはいいんですよ、どうせ理解できないから。でも映画ってそうはいかないじゃないですか。やだなー。(映画秘宝 2016年2月号)

REVIEW

(2023/06)

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ユニバーサルミュージック・ジャパン 2023/05/17(CD、配信)

 コンビニで「大好物」を聴いてゾクッとしたことがある。歌詞から演奏まで、スピッツほど純度の高いフシを持つバンドは珍しい。《少しまだ完璧じゃないけれど/可愛くありたいハレの日》(「i-O(修理のうた)」)とか《かなり思ってたんと違うけど/面白き今にありついた》(「手鞠」)と歌える50代が何人いるか。初めてメンバー全員が歌った「オバケのロックバンド」の瑞々しさは反則。まだまだやってくれそうだ。(CDジャーナル2023年夏号)

REVIEW

(2023/12)

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GUILTY KYUN RECORDS 2023/11/24(配信)

 “ドタキャン友情2step” のキャッチコピーがレビュー不要なほど的確に曲のあらましを伝える。yellowsuburbのクールなトラックと、つぶやきと慟哭を往来するゆっきゅんの歌のバランスが絶妙だ。大人になれば懐かしい痛みだと言われる青春のプチ蹉跌も、渦中にあればSEKAI NO OWARI。傷ついた心へのコンパッションに溢れた歌詞は、「日帰りで」で確定した令和一の失恋なぐさめ芸人の真骨頂。《落ちるマフラー巻いてあげるよ/ほどけたら可愛く結ぼう 繰り返し》の優しさよ。今年もやってくる、ひとりきりのクリスマス慰撫。(CDジャーナル2024年冬号)

INTERVIEW

(2016/03)

遠藤ミチロウ
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──(『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』は)素晴らしいドキュメンタリーで、変な話 “ほんとに初監督作品なの?” と驚きました。

「いやいや、ほんとド素人ですよ。撮影のときは、自分がカメラ持ってるわけじゃないから、ここ撮りましょうとかあそこ撮りましょうとかは指示できるんですけど、例えばカメラアングルとかはお任せでしたし。編集に関してはもっと素人だから、大まかな流れを伝えて、プリ編してもらったのを見て “ここはこうしましょう “みたいに言って。しかも編集は京都だから現場にもあんまりいられなくて、 “オレ監督なのかなぁ……” って思ってました(笑)。本来、監督って編集命!みたいなとこあるじゃないですか」

──監督として自分の映像を見て、ここはいらない、いる、と判断を下していくのは、自分自身を突き放さないとできないですよね。

「自分の中で矛盾しますよね。撮られるほうとして “あんまりここは出したくねえな “って思うところほど、監督からしたら “いや、ここは出したほうがいいだろ” ってなるんですよ。そこですごく悩みましたよね。ギリギリまで “いや……やっぱここは出したくねえよな……” と思いながらやってると “そこは出したほうがいいんじゃないですか?” って言われて、 “そうだよね” みたいな(笑)」

──具体的にいちばん葛藤されたのは?

「やっぱり実家に帰っておふくろと話をするシーンですよね。撮影開始当初は僕の還暦のロードムービーっていうか、ツアーをしながら全国各地を回っていく姿を撮る映画にしたかったんですよ。ところが2011年の3月に震災が起こって、出身地である福島に向かわざるを得なくなるわけですね。そうするとやっぱり実家(二本松市)に行かないわけにはいかないだろうということになって、自分のルーツを探っていくような形になり、おふくろと話したりしてると、昔の話をされて “うわ~” みたいな(笑)。タイトルもこんなだし、別のシーンでは “実家に帰りたいと思ったことなんかない” とか言ってるし、おふくろ見たら泣くだろうなぁとか(笑)、そういうのが気になっちゃいますよね」

──お母さまはまだご覧になっていないんですか?

「まだですけどそのうち見ちゃうと思います。この前、弟から電話がかかってきて、 “映画、福島でいつやるの?” って言ってたよって(笑)」

──とても印象的なシーンですし、入れてよかったと思います。

「入れないとね。タイトルに落とし前をつけなきゃいけないし。でも、つけようがないんですよ。なぜああ歌わなきゃいけないのか、その結論もなかなか出ない。なもんで、最後はお笑いにしないとどうにもなんないっていうか(笑)。親との関係については三角みづ紀さんと対談するシーンで突っ込んで話してますけど、おふくろとの話の中でそれは出せないし」

──タイトルはどの段階で決まったんですか?

「最後です。タイトルによって編集の方向性が変わるじゃないですか。撮影開始時のイメージは、最後に流れる〈JUST LIKE A BOY〉なんですね。途中で震災が起こったときに、〈父よ、あなたは偉かった〉という歌になぞらえて父親をテーマにして、戦争とか戦後の日本とか、なんで “フェスティバルFUKUSHIMA!” を8月15日にしたかとか、そういうところに焦点を絞っていこうと思ったんです。でも、ふるさと福島との関係を描こうとしたら、おやじは死んじゃってるし、嫌いであり同時に愛おしいっていうアンビバレントな気持ちを含めて、おふくろをテーマにするしかないなって思い直したんです」

──お父さんの背中を見て育ったっておっしゃってますよね。男の子ってだいたい……。

「逆ですよね。なんででしょうね。特に溺愛されてうっとうしかったとかでもないし、ほんと普通の母親なんですけどね。ただ、父親は男の子がほしかったみたいで、上に姉がいるんですけど、子供のときはすごくかわいがられました」

──お父さんの記憶のほうが厚いみたいな?

「いや、母親は母親でしっかりあります。家計を支えようと夜中に内職してるとことか見るとシュンとするじゃないですか(笑)。けっこうそういうのはあるんですけど、自分の母親だけじゃなくて、母性そのものに対して苦手な感じがあるんですよね」

──ロードムービーとして撮り始めて、震災が起こってから故郷と自分、母親と自分という別のテーマが浮上してきますよね。迷いや苦心はありませんでしたか?

「いや、福島の問題っていうのは中央と地方の関係の象徴だと思うんです。ある意味、経済的植民地みたいな。結局それは奄美大島にしても宇和島にしても同じなんですよ。広島も撮ってますけど、広島は被曝という部分で福島につながるし。だからテーマが分かれるんじゃなくて、つながってひとつに収斂していくような感じがしてました。迷ったのは、最後を “フェスティバルFUKUSHIMA!” のライブで終わらせるか、もう一度ツアーの日常に戻すかでしたけど、結局、本来撮りたかったところに戻す感じになりましたね。運命的っていうのも変ですけど、自分の還暦っていう節目の年が、ある意味で時代の節目にもなっちゃったみたいな感じがありますね。生まれたのは朝鮮戦争が始まった年だしね」

──福島の内と外では原発問題へのイメージが全然違うそうですね。

「それは福島の中にもあるんですよね。原発のある浜通りと、中通りや会津みたいなところでは違うし、浜通りでも原発と関わってる人と関わってない人では違うし。被災して避難した人たちの間でも補償金の違いで対立が起こったりとかして、完全に分断されちゃってるんです。避難できる人はまだ経済的に余裕があるわけで、いたくないのにいなきゃいけない人もいるし、とどまりたい人もいて、それもまた違いがある。長崎大学の山下俊一さんが福島県の医学界のボスなんですけど、 “放射能は怖くない” みたいなこと言うじゃないですか。ウソつけこの野郎、って思うんだけど、住んでる人間にとっては、ウソでもいいから “大丈夫だよ” って言われたいんですよね。原発とか放射能の話は学校ではタブーだとか、PTAとかでも人間関係がグチャグチャになるから出せないとか。とにかく複雑なんですよ。僕もフェスティバルやったときにゴリゴリの反原発の人から “人殺し” とか言われましたよ。 “あんな高線量の場所に人を呼ぶな” って。でも、住んでる人たちのことを考えたら、ストレートに反原発とは言えないですよね」

──汚染されていたって、ふるさとですもんね。

「田舎で農業なんかやってる人にしてみれば、それを捨ててどっか遠くへ行けっていうのは異邦人化させられるに近いっていうか、もうほとんど難民ですよね。僕は街のほうの出身なんで、その気持ちはさすがにわかんないですよ」

──そういう謙虚なスタンスでいろんな立場の方たちを見ていると悩みが尽きないと思うんですが、こう考えるしかないか、みたいなある種の結論って得られましたか?

「今もずっと考えてます。時間が経って震災のことも原発のこともだんだん忘れ去られてるじゃないですか。でも実際に甲状腺ガンは増えてて、これからも増えていくと思うんです。その現実と、自分はそこに対してどういう立ち位置で自分の考えを出していくのかっていうことには、常に悩みますよね。ただ、自分が関わっていく中で感じたことは出していくしかないとは思います。今だって、あのときあそこでフェスティバルやったのはよかったんだろうか?って悩みますよ」

──ミュージシャン仲間が何人か登場していますよね。

「還暦記念でトリビュートアルバムが2枚出たんです。ソニーから出た『ロマンチスト』のほうには僕をリスペクトしてくれてるミュージシャンが参加してるんですけど、もう1枚の『青鬼赤鬼』は僕がリスペクトしてるミュージシャンに歌ってくれって頼んで(笑)、自分のインディーズから出したんです。三角みづ紀さんも竹原ピストルくんもAZUMIも、そこに参加してくれてるミュージシャンなんですね。三角さんは違うけど、ピストルくんもAZUMIも旅をして歌うミュージシャンで、大好きなんですよ」

──旅と歌がつながる、その原点はどこにあるんでしょうか?

「自分の中で、歌をうたうっていうのは大道芸とか旅芸人のイメージが強いんですよ。僕がいちばん憧れるというか、象徴的な存在って、出雲阿国なんですよ。安土桃山時代の芸能者で、歌舞伎のルーツとされてる人。あれが原型なんです」

──映画を作って、故郷との和解ができたと思いますか?

「別に喧嘩してたわけじゃないんですよ(笑)。どっちかっていうと避けてたっていう感じで。でももう避けられないな、向き合うしかないなって。かといって福島に住みたいかっていったら、やっぱりイヤなんですけど。放射能の問題とは関係なくね。二本松でなかったらいいかな(笑)。大学が山形だったので、山形に行くと “帰ってきたな” って思うんですけどね。家を離れてひとり生活を始めたところなんで、ある意味では俺個人のふるさとなんですよ」

──ご実家に対してはそういう感覚はない?

「うーん……そうですねぇ」

──それよりも各地に好きな場所があるみたいな?

「そうです。自分で好きになった場所だから。あと行った先々でできた友達とか」

──そういうものがある意味ふるさとに近かったりするんでしょうか?

「ふるさとって言うと固定されちゃうけど、地方が好きなんですよ。好きなところはいっぱいあって、全体的に地方はいいよなって。ツアーでも東京以外は大阪とか名古屋みたいな大都市よりも田舎町に行きたいんですよね」

──宇和島のライブハウスで猫と戯れる姿が素敵でした。僕も猫好きなので。

「僕、ツアー先でオフの日は何をしてるかっていうと、自転車を借りて野良猫のいる場所を探すんですよ(笑)。あとラーメン屋とか廃屋とか」

──全国の野良猫スポットに詳しいとか?

「そんなこともないんですけど(笑)、自分が旅をしてるせいか、野良猫を見ると “おい、がんばれよ” って言いたくなっちゃうんですよ。自由の気楽さと大変さの両方を感じさせてくれる。野良猫が人間にどう対応するかで、ここの人たちは猫をいじめてるんだな、とか、かわいがってるんだな、とか、その街がわかるみたいなところもありますね」

──スターリンのライブのシーンを見てて思ったんですが、ミチロウさん体がきれいですよね。贅肉が全然ない。鍛えてらっしゃるんですか?

「いや全然。たま~にお腹が出てきたから腹筋しようかとか、その程度です。ただ、膠原病をやっちゃって一回40キロまで痩せてしまって、その後はステロイドとかで体がむくんで、今はあんな感じじゃないですよ。末梢神経が死んじゃってるからもう治らないって医者に言われました。だから立って歌うのが大変で、最近は座ってやってます」

──それでも旅は続くんですね。

「そうしないと食えないですから(笑)。あと、旅と歌とどっちが好きかっていったら旅のほうが好きなんですよね。旅ができるから歌ってるみたいな部分があります」(映画秘宝 2016年4月号)

REVIEW

(2023/12)

meiyo『POP SOS』
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ユニバーサルミュージック・ジャパン 2023/12/06(CD、配信)

 「なにやってもうまくいかない」がTikTokでバズったのをきっかけにメジャー・デビューしたシンガーソングライターによる、インディーズ時代の曲や提供曲のリテイクも含む集大成的なアルバム。2~3分の短尺にアイデアがみっちみちに詰まった曲が41分で14曲(!)。ジャンル名とはまた違う、文字通りのハイパーなポップ。ヒャダイン、岡崎体育、ビッケブランカ、スガシカオ、MIKA、ルパート・ハインなどなど連想する名前は多々あるが、僕が最初に思い出したのはつい先日亡くなったKANだ。凝りまくったメロディ、意味から響きまで批評性とユーモアたっぷりの歌詞、甘い歌声。ポップ・マエストロの看板に偽りはない。

 “なにやってもうまくいかない” 時期を経て30代でのメジャー・デビューは、青田刈り的に世に出して音楽的成長はその後、というパターンが多い日本の音楽業界には珍しいが、だからこその高品質な仕上がりだと思う。アイデアはまだまだあるはずで、息の長いアーティストになりそうだ。(CDジャーナル2024年冬号)

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