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  • 執筆者の写真高岡洋詞

刺激的な癒し、強靭なやわらかさ──トレンドに左右されないKitriのオリジナリティ

 2019年に大橋トリオのプロデュースでデビューしたKitri(キトリ)は、京都出身・在住のMonaとHinaの姉妹ユニット。ピアノの連弾にハーモニーヴォーカルという強力な “型” を持ち、演奏とアレンジにはクラシック育ちらしい端正さと、そこにとどまらない冒険精神を兼ね備えている。美しい歌メロには往年の歌謡曲や童謡を思わせる懐かしさがあり、ファンタジックかつ批評性の高い絵本の物語のような歌詞もすばらしい。風情こそ楚々として奥ゆかしいがスケールは大きく、僕がかれこれ10年以上ご一緒しているベテランの谷山浩子をちょっと思い出させるものがある。


Kitri

左からMona(姉)、Hina(妹)


●とってもユニークなKitriヒストリー


 結成の経緯、デビューのきっかけなど、Kitriが世に出るまでの物語はまるで現代のシンデレラストーリー。あちこちのインタビューで語られているからファンの方は先刻ご承知と思うが、重要なステップと思われるエピソードだけざっとご紹介しよう。


①連弾への目覚め

 姉のMonaは4歳、妹のHinaは6歳からクラシックピアノを習い、Monaが中学生になったときに先生の提案で連弾をしたのがすべての始まり。「連弾っていいな」という印象が残ったそうだが、部活にも入らずにピアノの腕を磨いて一途にプロを目指したストイックなMonaに対し、好奇心旺盛なHinaは小学生のとき父親にギターを教わり、中学校に上がると合唱にのめり込んで一度ピアノを離れた。この性格のコントラストが、Kitriの魅力を構成する不可欠な要素になっている。


②受験勉強の息抜きに曲作り

 Monaは受験生のとき、実技の練習と理論の勉強の息抜きとして、家族にも内緒で曲を作り始めた。ある日、パソコンのゴミ箱に入っていたその曲を母親が偶然見つけてHinaと一緒に聴き、「あれは何?」と声をかける。Monaは我に返り、怒られると思って謝ったが、母は「面白くてすごくよかった」と予想外の高評価。Monaは自信をつけ、自分の音楽を発表したいという新たな目標を手にした。


③連弾との再会

 Monaは大学進学後、Hinaに「連弾をしながら歌うユニット」をやろうと誘う。Hinaは大賛成したが「わたしが高校を卒業するまで待ってね」と答え、Kitriが(仮)結成された。子供のころの「ふたりだと安心感が強く、音楽を感じる喜びも2倍になる」という連弾の記憶が将来の夢と結びついた結果、先述した強力な “型” が生まれたわけだ。


④父の蛮勇が奇跡を起こす

 2015年から活動開始(当初は “キトリイフ” と名乗っていた)。曲を作り、ライヴハウスに出演し、7曲入りのデモCDも作ったが、なかなか注目されず、Monaの卒業も迫って不安な日々を過ごしていた。そんなある日、家族ぐるみで大ファンだった大橋トリオが京都に来たとき、父親はデモCDをこっそりコンサート会場へ持っていき、スタッフに「娘が作った曲なんですけど、よかったら聴いていただけませんか?」と渡した。Monaは「なんてことを!」と思ったそうだが、それが大橋の手に渡って彼を魅了し、所属事務所にスカウトされたのだから結果オーライ……というか、娘を思う親心に感動してしまう。


 そこからは(傍目には)トントン拍子。事務所の社長と会ったその日に、大橋による映画『PとJK』のサウンドトラックへの参加を打診され(映画は2017年3月公開)、デモCDの収録曲を大橋のプロデュースで再演したパイロット盤『opus 0』を制作、2017年11月に配信。それを耳にした日本コロムビアのディレクターに大橋のライヴ会場で声をかけられ、2019年1月、5曲入りのEP『Primo』でデビューした。


●『opus 0』──衝撃的だったKitriの世界


 知ったような顔で書いてきたが、以上は後追いで調べた話と聞いた話である。僕がKitriを知ったのは昨年1月、大橋トリオのインタヴューを準備していたときのこと。当時の新作アルバム『THUNDERBIRD』にMonaが客演していて、その「kite」という曲がすばらしかった。Monaの歌はデモをそのまま採用したのだという。



 それから興味を抱いて、まず『opus 0』を聴いたのだが、とにかく衝撃的だった。アレンジと演奏からはクラシックの素養が如実に伝わるし(僕に素養がないため具体的に語れないのが残念)、MonaのリードヴォーカルもHinaとのハーモニーも、清廉さと静謐さの奥に情熱がたぎるような多義的な魅力にあふれ、幻想的な歌詞のストーリーも圧倒的。今どきあまりやる人のいなさそうなことだけで構成された音楽だった。移り変わるトレンドに右顧左眄していたら「なあ、 “いい音楽” ってこういうもんとちがうの?」とふたりの信念を目の前に叩きつけられたような気分がした。あくまで僕の気分であって、Kitriはそんな言い方は絶対にしないと思うけれど(笑)。



 レーベルのサイトにあるキャッチコピーは《ピアノグルーヴと癒しの歌声》。もちろんヒーリング要素もあるけれど、僕にとっては驚きのほうが大きかった。そのオリジナリティには確かに大橋トリオに一脈通じるものがあり、大橋が驚き惚れ込んだのも、姉妹と両親が大橋のファンだったのも納得がいく。先に触れたインタヴューで大橋にKitriの魅力を訊ねたときの答えは以下の通りである。


 ひと言で言うと音楽に対してピュアなところですね。クラシックをずっとやってきて、J-POPをあんまり知らない中でJ-POPをやろうとしているので。本人たちの性格もほんっとピュアなんですよ。だからずっとそのままでいてほしいなって思うんですけど、ピュアなゆえにスポンジすぎるところがあって、なんでも吸収しちゃうので、インプットの調整に気を遣いますね(笑)。



●ファーストにして名作『Kitrist』


 1月にリリースした1stアルバム『Kitrist』も聴きごたえ満点だった。前年の2枚のEPからここまでのイメージがふたりの頭の中に完全に出来上がっていたことがはっきりわかる。昨年末、インタヴューの機会に恵まれたのだが、そのことについて訊いたら「フルアルバムを目標に、EP1、EP2と出していって、3部作というイメージは最初からありました」(Hina)、「『Primo』『Secondo』『Kitrist』と階段を登るような曲の分け方をしましたし、フルアルバムにはフルアルバムに必要な曲を入れました」(Mona)と、さりげない自信を感じさせる回答。手前味噌ながら楽しい記事だと思うので、未読の方はぜひ読んでみていただきたい。



 特に面白いと思ったのは、Hinaが作詞した「Lento」「雨上がり」「バルカローレ」の3曲にMonaとの性格のコントラストが表れていること。ぜひ聴いて確認してみていただきたいが、才能にもスキルにも長けているがこだわりが強いMonaの視界が狭まると、Hinaの自由な発想が広げてくれているような印象を受けた。互いを尊重し合い、欠点を補完し合って絶妙のバランスを生み出す。けだし名コンビである。



 全11曲中ふたりでアレンジまでしたのが8曲、他者が参加したのが3曲(「Akari」が大橋トリオ、「矛盾律」「羅針鳥」は神谷洵平)。「Monaが作る曲は結構ピアノだけで完成されていて、『ほかの楽器を入れるのは難しい』とおっしゃる方が多いんですよ」というHinaの発言通り、 “Kitriの世界” を壊さずに拡張するのは決して楽なことではないはずで、その繊細な仕事ぶりも聴きものだ。




「羅針鳥」「矛盾律」「Akari」のMV(上から発表順)


 Kitriは配信シングル3連続リリースの最中だが、6月に公開された第1弾「Lily」の網守将平のアレンジも、これ以上ないほど丁寧な手つきで行われたことを想像させる。もうすぐ配信される「人間プログラム」は公式サイトによると《今までのKitriには無いシャッフルビートで、ロックな味わい》とのことで、とても楽しみだ。


「Lily」リリックビデオ


●オリジナリティは一日にして成らず


 少し話がそれるが、w.o.d.という僕の大好きなバンドがいる。音楽性はゴリゴリのロックだからKitriとはまったく対照的だが、出会い頭に「今どきグランジ!?」と驚き「なんでそうなった!?」と興味をそそられたのは同じだ。その旨をツイッターにつぶやいたのがマネジメントの目にとまり、1stアルバム『webbing off duckling』のライナーノーツめいた文章を依頼されたのだが、その一節には──文章の性質上、勢い優先の言い切り強めではあるが──自分なりに思いをこめたつもりである。


 少なくとも表面的には2018年感は皆無だが、それがどうした。「今、ここ」に満足しないからこそ、イマジネーションは過去へ、未来へ、海外へ、宇宙へと飛翔する。流行に背を向けて自分を貫くやつらの中からしか、希望の星は登場しない。条件は本気であることと、色気があること。その二つともw.o.d.は満たしている。



 Kitriもまた、先に書いた通り流行を気にせずふたりの音楽を追求してきた人たちである。上記の《色気がある》というのはKitriにも当てはまるが、これは狭義の “セクシー” という意味ではなく、“なぜか気になる” とか “つい見てしまう” “目が離せない” ということ。姉妹がステージ衣装を着て並んだときの立ち姿からして明らかにユニークだ。ゲームのルールを変えるのは従来のルールに従わない者たちである。Kitriやw.o.d.がルールを変えるかどうかはまだわからないが、その可能性は大いにある。


 Kitriは “型” にそもそもオリジナリティがある上に編曲力もあるから、カヴァーもユニークな仕上がりになる。YouTubeにいくつかアップされているが、「深夜高速」(フラワーカンパニーズ)なんて絶品だ。



 ちなみに僕は『Primo』に収録された「細胞のダンス」が、静かに座っていたHinaがBメロから入ってくるドラマチックな演出や2番からリフに絡み始める連弾ならではの編曲も含めて大好き。これは情感というより情念、癒しどころかサスペンスだ。ふたりだけでここまでやれてしまうのだから、アレンジャーが気を遣うという話にも頷ける。



 今年1月に行った大橋トリオへのインタヴューで、KitriやTHE CHARM PARK赤い靴など彼と近しいアーティストたちを《独特な感性を持っている》《世間の流行と関係ないところで音楽を作っている》と評したとき、大橋はこう語ってくれた。


 いつだってオリジナリティはないとダメだと思うんです。流行は追いかけていたらその時点で過ぎ去ってしまうものなので、僕はそこには興味がない。流行りものの中には必ず一番すごい人がいるから、よっぽどじゃないとそこには届かないし。だったら独自のことをやって目立ったほうが絶対いいに決まってるんですよ。楽しいしね。



 彼はいつも示唆に富む言葉を口にしてくれるので、インタヴューは毎回とても楽しいのだが、この発言もさすがである。僕も同感だけれど、言うは易し行うは難し。才能、努力、度胸、運、そのどれもが必要不可欠で、だからこそオリジナリティの追求と商業的成功を両立させている人たちはすごいのだと思う。Kitriのオリジナリティがどこから生まれ、どのように育ってきて、今後どうなっていくのか、これからも作品に耳を傾けながらじっくりと考えていきたい。


 それにしてもKitriと大橋の出会いは奇跡的かつ必然的で、それを実現させた彼女たちの父親の行動には心から拍手を贈りたい。家族みんなが敬愛するアーティストだからこそ、「大橋さんならきっとわかってくれるはず」という期待と「大橋さんにこんなことをしてもいいのか」という畏怖が入り混じった心境だったはず。先に「蛮勇」と書いた通り、スタッフにデモCDを渡すのにどれほどの勇気を要したかは想像を絶するものがあるが、おかげで愛する娘たちのキャリアが開けたのみならず、僕たちリスナーもすばらしい音楽と出会えた。なんて偉大なお父さん!




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