2013年の吉澤嘉代子──メジャーデビュー前、修行時代の魔女についての2編
自分のサイトを立ち上げる前の2013年8月から1年少々にわたってBiglobeでブログを書いていた(更新は超まばらでしたが)。長く放置していたがいよいよ削除しようと思って数年ぶりに読み返し、メジャーデビュー前夜の吉澤嘉代子について書いた文章だけこちらに転載することにした。
彼女の歌に出会って間もないころに書いたせいかそうとうエモみの強い文章で、いま読むとちょっと恥ずかしいけれど、その後にファンになったみなさんがかつての吉澤について知る助けに少しでもなれば幸いです。
●泣き虫ジュゴン大丈夫(2013/11/09記)
10月初旬、吉澤嘉代子にインタビューしました。2010年にヤマハ主催のコンテスト「The 4th Music Revolution JAPAN FINAL」でグランプリとオーディエンス賞をダブル受賞し、今年6月にインディーズで最初のミニアルバム『魔女図鑑』をリリースしたシンガーソングライターです。わずかな分量ですが、発売中の『宝島』2013年12月号に彼女自身の言葉を交えながら紹介記事を書きました。機会があれば読んでみてください。
その記事にはとても書き切れなかったのですが、Negicco主催のイベント「Negi Road Vol. 7」(9月29日)の物販でCDを購入(取材はその11日後)、聴いていちばん心を動かされたのが「泣き虫ジュゴン」という曲でした。YouTubeにリリックビデオ(彼女が歌詞を書いたスケッチブックをめくっていく簡易MV)がアップされているので、貼っておきます。
「泣き虫ジュゴン」リリックビデオ
《雨も届かない この海の底》で、ジュゴンは涙しています。陸にいたころ(?)、彼はいつも《皆をやっかんで突伏して泣いて》いました。《ほんとうにずるいのは 誰かのせいにした僕なのに》《すぐ泣くやつはきらいだ》と自分を責めながら。
でも彼は、ある日《海水にのみこまれ》て《産声をあげ》ます。《どうしてもゆずれない夢が まだ ここにある》こと、《伝えなくちゃ何も変わらない》ことに気づいて生まれかわり、《ほら いま歌うよ》と、いよいよ言葉を声に変えようとしているのです。《夢に滲んだ涙なら 茶化されたって構わない/僕の声が届くなら》と宣言するジュゴンは、今やたくましささえ感じさせます。
17歳のときに書いた曲の歌詞を21歳のときに一部書き換え、かつての自分に贈った歌だそうです。ジュゴンをのみこんだ海はおそらく、彼女を夢中にさせた音楽の暗喩でしょう。
想像をたくましくすると、ジュゴンの姿のむこうに、涙にくれる十代の吉澤の姿が透けて見えてきます。彼女は中学3年生のとき音楽で身を立てる夢を抱き、高校入学とともに軽音楽部でバンドを結成、曲を作り始めました。勇気を振り絞ってそれを人前で歌い、評価を得るにつれて、アーティストとして、人間として、少しずつ自信をつけていったのではないでしょうか。歌詞を書き換えたのは、夢に近づき始めたそんな時期だったということになります。
泣き虫ジュゴン大丈夫 海のなかでなくんだよ
そうしたら 誰もわかんない
そうしたら 誰もわかんない
4分46秒にひとりの少女の成長物語を凝縮したかのような「泣き虫ジュゴン」を締めくくるのは、とてもやさしい言葉です。泣いてばかりいる自分が許せないのに、泣かずにはいられない──そんな袋小路を脱し、誰にも悟られることなく思い切り泣ける場所を見つけた自分に向かって、「よかったね」と静かに祝福しているかのようです。涙は音楽に溶かしてしまえばいい。その涙からいい曲が生まれたら、耳にしてくれた誰かと気持ちを分かち合えるかもしれない。そうすれば、もう孤独じゃない。
このパートは17歳のときに書いたものだそうで、書き換えた部分には入りません。成長してからかつての自分にかけた言葉、という僕の解釈はハズレたわけですが、他のパートの歌詞を書き換えることで意味が変わったと言えるかもしれません。
それに、僕が「やさしさ」を感じたのは、文字面だけが理由ではありません。言い聞かせるように、慰めるように、励ますように、独白するように──素直で温かい歌声が、数年前に《すぐ泣くやつはきらいだ》と責めた自分を赦そうとしているように、僕には聞こえました。
吉澤がやさしさを注ぐ対象は、聴き手ではありません。かつての自分自身です。でも、だからこそ、そのやさしさは深く、力強く、聴く人の心をふるわせるのではないでしょうか。人にやさしくなりたいなら、まず自分自身にやさしくなること。だれかが言っていたそんな言葉を思い出させてもくれる、大好きな歌です。
11月7日、渋谷O-nestで行われた「MARUYAMA SONGS」で、ようやくこの曲を生で聴くことができました。10月29日に「シブカル祭。」の屋外ステージで聴いた詩人・文月悠光の朗読とのコンビネーションも素晴らしかったけれど、言葉とメロディの相乗効果はやっぱり格別。彼女がこの曲を歌うときに心がけているという「やさしい気持ち」が伝わってくるようで、涙が出ました。《あたらしい世界に泣いたのは 哀しいからじゃなかった/心がふるえていたから》というくだりを思い出しながら。
『魔女図鑑』に収録された6曲はどれも気に入っていますが、この曲と、いしいしんじの小説にインスパイアされたワルツ「ぶらんこ乗り」の2曲は白眉です。「ぶらんこ乗り」についてはフリーペーパー『月刊てりとりぃ』12月号(11月末配布開始)に書いたので、こちらもよろしかったら読んでみてください。
YouTubeに全曲のリリックビデオがあるので、曲自体はそこで聴けますが、気に入ったらぜひアルバムをゲットしてください。聴き手がそれぞれ自分でシーンを想像しながら聴いたほうが趣が増すと思うので。
また、僕は彼女の漢字とひらがなの使い分けが好きなので、できればCDで買って歌詞カードも味わってほしいです。編集者としては「不統一」と気になりがちな表記のゆれ(例:泣く/なく)や、「そっちが漢字でこっちがひらがな?」といった引っかかり(例:「ぶらんこ乗り」の《天鵞絨のどんちょう》)に、豊かなイマジネーションを感じるんです。「詞」であると同時に「詩」なんだなと思います。
11月23日、shibuya duo MUSIC EXCHANGEで初のワンマン公演「吉澤嘉代子 ファーストワンマンショウ~夢で逢えたってしょうがないでSHOW~」を開催する彼女。ライヴじゃなく “ショウ” と呼ぶことには理由があるとか。僕はその理由を確かめに行くつもりです。
『魔女図鑑』(2013年6月5日発売)
追記:あれから6年。吉澤嘉代子は「ストッキング」「ユキカ」「movie」「残ってる」「ミューズ」などいくつもの名曲を世に出してきたが、「泣き虫ジュゴン」は今も僕のなかでは色あせていない。2015年、1stアルバム『箒星図鑑』のために同曲は再レコーディングされた。それに先駆けてアップされた2014年11月のライヴ映像もすばらしい。
「泣き虫ジュゴン」ライヴ(2014年)
●吉澤嘉代子に夢じゃなく渋谷で逢えた夜(2013/11/24記)
11月23日、ずっと楽しみにしていた「吉澤嘉代子 ファーストワンマンショウ~夢で逢えたってしょうがないでSHOW~」を見てきました。ライヴでもコンサートでもなく “ショウ” なので、物語があって主人公がいる歌がレパートリーに多い彼女らしくコンセプチュアルなものになるだろうとは思っていましたが、予想を超えた徹底した演出に舌を巻きました。
開演前に流れた寝巻姿の吉澤の映像が物語るとおり、ショウ全体が彼女の夢の中の出来事というコンセプト。なんと本編のMCはすべて事前に録音したものです。これが実にすばらしいアイデアで、夢独特の「自分が体験していることを自分自身が俯瞰している」感覚を再現し、かつ複数の “小さな物語”(掌編小説のような一曲一曲)を繋ぐ “大きな物語” として機能していました。バラバラな短編がコンセプチュアルな一冊にまとまった感じ。僕が知る限り、初めて見た演出でした。
演劇的な歌が多いこともあり、たくさんの人の前で歌ったり踊ったりするには生身の自分のままでやるより “演じる” というフィルターをかけたほうがやりやすいのかな……と、僕は仕事で会う機会の多い女優たちの話を思い出していました。「本来はシャイな性格で、役を演じているときのほうがかえってリラックスできる」と言う人がとにかく多いのです。
パントマイムというかあてぶり芝居というか、所作と表情で主人公を “演じる” ことを通して、彼女はとてもいきいきと躍動していました。アンコールを含めて全18曲のなかで、僕が知っていたのは半分にも満たない8曲(未CD化が12曲)。それでも集中力を切らさず堪能できたのは、なにより吉澤自身が自ら作り上げた世界観のなかでのびやかに主人公の人生を生き、そうすることを楽しんでいたからではないでしょうか。
バンドもすばらしく、僕が知っている曲はすべて過去最高のヴァージョンだったと思います(と言うほど回数は見ていないんですが)。いしいしんじの同名小説の “物語内物語”「手をつなごう!」の朗読に続けて披露された「ぶらんこ乗り」は、スペシャルゲストおおはた雄一とのデュエット。鳥肌が立ちました。
本編ラスト「未成年の主張」はいわばショウ全体のテーマソング。《夢で逢えたってしょうがないでしょう》のパンチラインを経て、「夢じゃなくなったよー!」とシャウトし、吉澤嘉代子はリアルライフに戻ってきました。
ワンマンショウに先駆けて公開された「未成年の主張」ショートフィルム
アンコールでは、おおはた雄一をあらためて紹介し、彼とのデュエットで未音源化の名曲「東京絶景」。ツイッターで募集した質問に答える「生らりるれ理論」のコーナーを経て、「美少女」でポップに締めくくりました。
ダブルアンコールで「おととい出来た曲です」と言って弾き語りで披露した「23歳」も素晴らしかった。「未成年の主張」や「化粧落とし」のような完成度の高いタイプの曲ではないけれど、彼女の率直な心情が伝わってくるようで、胸が熱くなりました。この曲や「泣き虫ジュゴン」の粗削りだけど強いエモーションは、ウェルメイドな演劇的ポップソングとの対照でより際立つ気がします(逆もまた真なり)。
このままアルバムにできるくらいに練り上げられたセットリスト。文句なしにすばらしいワンマンショウでした。彼女自身、紆余曲折はあったかもしれませんが、このショウを作り上げたことで、今後進むべき方向が明確に見えてきたのではないかと思います。
「吉澤嘉代子ファーストワンマンショウ」フライヤー
追記:このころはまだ対バンライヴなどでは「つらそう」と感じることもあり、だからこそ当夜のパフォーマンスは見事だった。吉澤のコンサートはメジャーデビュー後も主なものはほとんど見ていると思うが、現在の彼女の堂々たる「主演」ぶりは感慨深く、スケールの大きな想像力には毎回、感服させられる(なかでも圧倒的だったのは2018年6月16、17日の「吉澤嘉代子の発表会」子供編と大人編)。楽曲からステージまで、汲めども尽きぬイメージの泉は彼女の才能の証だと思う。