• 高岡洋詞

杏沙子の1stシングルリリース直前に1stアルバム『フェルマータ』を聴き直した


 2月に発売された杏沙子の1stアルバム『フェルマータ』はほんっとにすばらしい。今ごろ何を言っているのかと思われそうだけれど、そもそもインタヴューのために聴いて感服し、先日久しぶりに聴き直して(仕事で聴き込むと案外その後しばらく聴かなかったりするものなのです)、実によくできたアルバムだな〜とあらためて思った次第。どこからもレヴューを頼まれなかったこともあり、ここに感想を記しておきます。

 インタヴュー記事「もっと正直になりたい──本気は、きっと伝わる 杏沙子『フェルマータ』」では、当時思ったことを彼女自身に投げかけて対話しています。本記事はそのときのやりとりを踏まえて書いた部分が大きいので、未読の方はぜひ。

(「ヴ」がウザい方もおられましょうが、文化庁が「ヴ」をなくしていく方針らしいのでむしろ積極的に使っていく「ヴ活」を提唱しております)

 僕が杏沙子のことを知ったのは決して早い時期ではない。昨年の初夏、5曲入りミニアルバム『花火の魔法』でビクターからメジャーデビューするタイミングで『ミュージック・マガジン』(2018年8月号)にインタヴューを頼まれたときだ。インディーズ時代に渋谷クラブクアトロやduo Music Exchangeでワンマンライヴを成功させ、MV総再生回数も450万回超と、すでに立派な実績を有していた。女性シンガーソングライターの知り合いはたくさんいるのに、これほどの人気アーティストをなぜ知らなかったのか、不思議に思ったくらいだ。

 取材前の準備として付け焼き刃で過去の曲もYouTubeにあるものはひととおり視聴し、まず気に入ったのが「道」、次が「マイダーリン」だった。前者は2016年7月、後者は2017年6月にリリースしたインディーズ盤EP(いずれも現在は販売していない)の表題曲である。

 「道」は杏沙子が大学2年生のときに初めて書いた、彼女の原点のような曲。「歌う人になりたい」という子供のころからの夢を追う決心を、《きれいに生きなくていいんだよ 信じた道を進もう》と、とても率直な言葉で綴っている。吉澤嘉代子「泣き虫ジュゴン」と並ぶ「悩める少年少女に聴かせたい歌」候補の筆頭である。

「道」MV

 「マイダーリン」は夢の中で出会う王子さまとの恋を描いた、《My daring まいまいまいまい 毎晩 恋して》のサビが抜群にキャッチーなかわいらしい歌だ。『花火の魔法』でも再演している。和声上の理由でメロディがちょっぴり変えられていて、確かに新ヴァージョンのほうがスムーズに聴けるのだが、正直に言うと僕はインディーズ版のゴツゴツした感触に妙にときめいてしまう。

「マイダーリン」MV

 『花火の魔法』は比喩を駆使したポップな表題曲もいいけれど、謎の俊英・幕須介人(まくす・かいと)が提供した「クラゲになった日の話」の出来に舌を巻いた。同曲では彼女がいろいろな発声を試して多重録音しまくっており、そのマニアックさもいい。僕のお気に入りは、ストーリーの緩急に山本隆二の編曲が呼応してドラマチックな効果をもたらす「流れ星」である(1番と2番で話者が交替する一人称の歌詞の松本隆オマージュ感も!)。

『花火の魔法』

 『フェルマータ』は、『花火の魔法』に収録されていた「天気雨の中の私たち」とインディーズ時代の「アップルティー」の再録以外すべて書き下ろしの全11曲。リード曲の「恋の予防接種」をはじめ「ダンスダンスダンス」「アップルティー」「おやすみ」「とっとりのうた」の5曲を杏沙子自ら作詞・作曲し、幕須介人が「着ぐるみ」「ユニセックス」「天気雨〜」の3曲を提供。「チョコレートボックス」「半透明のさよなら」は宮川弾、「よっちゃんの運動会」は山本隆二の曲に彼女が詞をつけている。

「恋の予防接種」MV (Full Ver.)

 弾むようなアップテンポからしっとりと歌い上げるバラードまで、杏沙子の作る曲はどれもメロディの輪郭がはっきりしていて、明快で人懐っこい。歌詞も推理小説みたいにロジカルで、不自然な部分がほとんどない。そこに、彼女の曲以上に強い印象を受ける人もいるであろう幕須介人作品が加わる。作風を寄せている部分もあるのか、輪をかけて知的な作りの見事な曲ばかりだ。杏沙子と同い年だそうだが、彼が作る曲には熟練の名作家のような風格が漂う。いつか話してみたい人である。

 レコーディングでは、山本隆二、横山裕章冨田恵一らの編曲、沖山優司名越由貴夫、設楽博臣、佐野康夫伊藤大地……といった手練れの演奏が、楽曲のポテンシャルをフルに引き出している。その上質なサウンドに乗り、一曲ごとに物語の主人公を演じ分けるように、心から楽しそうに杏沙子は歌う。歌唱力も表現力も高いし、声もいい。鋭く伸びる高音と、ふくよかで温かい中低音の両方に力がある。こんなにてらいがなくてエナジェティックなメインストリームポップはあまり聴いたことがない。楽しくて、かわいくて、さわやかで、親しみやすい。「アップルティー」はインディーズ時代のMVが再生回数630万回を超え、『フェルマータ』での再録版はJTBのCMに起用されているが、老若男女を問わず多くの人を魅了するのも納得の好曲だ。

「アップルティー」MV(2016年)

 松本隆を尊敬しているというだけあって、情景描写とストーリーテリングと比喩に優れた歌詞は小憎らしいほど達者だ。「恋の予防接種」「チョコレートボックス」「アップルティー」は曲名にキーワードが入った暗喩大会だし、杏沙子ワールドの重要なエレメントである「水」を主人公に据えた「よっちゃんの運動会」の発想も面白い。「半透明のさよなら」の《つまさき》、「おやすみ」の《さみしい》や《好きだよ》、「とっとりのうた」の《スーツケース》など、あるワードやアイテムに主人公の心情を託し、その移ろいを表現する手際も鮮やかである(彼女はこの手法を「フラグ回収」と呼んでいた)。

 これだけで優れた作品であることは十分に伝わると思う。ただ、僕は「道」と「マイダーリン」を最初に気に入ったせいか、杏沙子の音楽が「楽しくて、かわいくて、さわやかで、親しみやすい」ウェルメイドなポップソング、というだけで終わるものとは思えないところがある。

 とてもよくできた、ほとんど隙のない楽曲群にごくたまに現れる、ほんの微かな異物感。一握の砂に混ざった貝殻のかけらのように、二枚貝を食べたとき舌に残る砂粒のように。気づかない人は気づかないし、気づかなくても支障はないけれど、それこそが《誰でもないわたし》(「とっとりのうた」)だけの確かな個性と思えて仕方がない。

 「恋の予防接種」でいえば《恋は頭でしなきゃこじらせるとわかってたよ》の1行。「ダンスダンスダンス」なら、《あるのです!》の《の》の後を伸ばすところや《あるでしょ? あるでしょ?? ないの?!/もうやだー。》の伸縮のメリハリ。「半透明のさよなら」の《点ける》《淹れて》といった表記へのこだわり。どこまで意識的にやっているかわからない──気がつくとやってしまっている、あるいはポロリとこぼれてしまうようなことかもしれない──そうしたちょっとしたディーテイルが尊いのだ。

 意識と無意識の狭間で意図せず生まれてしまったものにどうしようもなく惹かれる、という自分の偏りを白状した上で『フェルマータ』の白眉を挙げるなら、やはり掉尾を飾る「とっとりのうた」ということになる。一度は離れたふるさととあらためて対峙した経験から生まれたという素直な歌詞といい、身体性の強いうねるようなメロディといい、人柄をむき出しで伝えてくるヴァイタルな歌声といい、いわゆる出来不出来とは別のところにあるワイルドな魅力に満ちあふれている。

「とっとりのうた」ミニMV

 僕はデビュー当時の松田聖子の風圧の強い歌声が発する野性的なエネルギーが好きなのだが、それに一脈通じる「いきもの感」がある。うまいはうまい。でも、それだけじゃない。「それだけじゃない」のは杏沙子という人についても言えるだろう。表向き明るくまじめで賢い彼女の、複雑に入り組んだ内面(誰であれ人間とはそういうものだ)を、歌詞以上に歌声とメロディが雄弁に伝えている。

 杏沙子は先述したインタヴュー記事で「丸裸ですね、これは」と言っていたが、ストーリーテリングや比喩などの得意技をとりあえず脇に置いてまっすぐに心情を歌い上げたという意味では「道」に通じる、特別な曲である(3月30日のワンマンライヴではこの2曲を続けて歌われて思わず感涙した)。彼女が「遊びに遊んだ」と形容するアルバムにあって、ともすればバラバラにもなってしまいかねないイメージをひとつにつなぎ止める錨(いかり)あるいは重石のような機能を果たしており、その構図は杏沙子という人格の中でふるさと鳥取が占める位置と相似形をなしているようにも見える。

 件のインタヴューには

──聴いてくれる人を信頼して “これが杏沙子です。どうですか?” って……。

 「言えるものができたと思います」

 というやりとりがあるが、彼女にそう言い切らせた、つまり『フェルマータ』というアルバムがほぼイコール(現在の)アーティスト杏沙子である、という等式を成立させた最後のピースといえる。制作の土壇場でアルバムに足りないものに気づけたのも、ディレクターに「もう一曲書かせてください」と申し出られたのも、実際にそんな──おそらく彼女のキャリアにおいても重要になるであろう──曲を作れたのも偉業だが、「とっとりのうた」がこれほど魅力的に響くのも、その前の10曲があればこそ。聴き直したときにあらためてそう実感した。

 曲調もストーリーも歌唱スタイルもとてもヴァラエティ豊かだが、いろいろな歌の主人公を演じた役者が誰なのか、どういう人なのかがちゃんとわかる。分厚い「着ぐるみ」を着込んでいるのも丸裸なのも杏沙子自身だと思えば、どのピースも必要不可欠なのであり、かつ余計なものがない。『ミュージック・マガジン』のアルバムレヴューで原田和典が10点満点をつけていたが、新人アーティストのスタート地点として申し分ないと僕も思う。2019年上半期ベストアルバムに挙げる人が多いのもうなずける。一曲ごとでももちろん楽しめるが、未聴の方はぜひアルバム単位で聴いてみていただきたい。



 杏沙子は8月7日に1stシングル「ファーストフライト」をリリースする。幕須介人との初共作となる表題曲(ドラマ『ランウェイ24』主題歌)をはじめ、secondrateの清家寛からプレゼントされたライヴでの愛唱曲「青春という名の季節」、『NHKみんなのうた』に起用された「ケチャップチャップ」と、詳細は別の機会に譲るが、3曲のバランスが絶妙である。ひと足先に聴かせてもらったが、それぞれに彼女の持ち味がいい形で出ていて、過去の作品を気に入った人はきっと楽しめるはずだ。

「ファーストフライト」は、ライヴドキュメント映像を収録した

DVDがつく初回限定盤をぜひゲットしたいところ

 これからも、とにかくガンガン曲を書いてガンガン歌ってほしい。僕の杏沙子への期待はそれに尽きる。そのためにもアホほど売れてもらいたい。

[RELEASE]


杏沙子 / フェルマータ

2019/02/13発売 / ビクターエンタテインメント

収録曲:[1] 着ぐるみ [2] 恋の予防接種 [3] ユニセックス [4] チョコレートボックス [5] よっちゃんの運動会 [6] ダンスダンスダンス [7] アップルティー [8] 半透明のさよなら [9] 天気雨の中の私たち [10] おやすみ [11] とっとりのうた

 追記:「ファーストフライト」のリリースに合わせて3度目のインタヴューを行いました。いつも通りとても率直に話してくれました。よかったら読んでみてください。

 不安や焦りや苦しみをポジティヴに変換していく 杏沙子、初のシングルを発表(CDジャーナルWEB)



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© 2016 Takaoka Hiroshi. Tokyo, Japan.