top of page
  • 執筆者の写真高岡洋詞

饗庭純、初アルバムとライヴを語る「わたしの “あるべき姿” を見に来てください」

 饗庭純と出会ったのは2014年の12月、『MUSIC にゅっと。』(NOTTV1)の弾き語り女性シンガーソングライターオーディション「ココでミラクル!」決勝大会だった。レギュラー放送の優勝者11人が勢揃いして次々に個性と実力を発揮していく中、彼女は目の前に座っていた審査員の僕を至近距離からじっと見つめながら「バニラレイン」を歌った。一瞬たじろいだが、「この人は俺に伝えようとしている!」と視線をそらさず、にらめっこ状態で聴いた。闇から射抜くような目力と、メロディの強さ、伸びやかなのに心細そうにくぐもった声が衝撃的だった。

●いかに誰かの心に何かを刺して帰るか

 あの日は一曲歌う分のエネルギーしか持ってなかったんです。たったひとりでいいから誰かに刺して帰らないとわたしの居場所がない、って思って、針の穴に糸を通すよりも心細いというか、すがるような気持ちでもないけど、とにかくわたしからは絶対に目をそらさへん!って思って。ケンカを売ってるわけじゃないんですけど(笑)。高岡さんはそらさないで聴いてくれたんですよね。

──収録後にちょっと話したとき「“この人にだけは伝える!” ってたまにやるんですけど、そらしちゃう人が多いんです」って言ってましたね。結果、審査員特別賞をもらって、受賞者が顔を揃えた「にゅっと。Night vol. 1」(2015年2月14日)でのステージに衝撃を受けたnyt recordsのディレクターさんがアルバム制作を決意し……というのが10月7日デビューまでの流れですね。従来はどんな活動をしていたんですか?

 細々と……(笑)。「聴いて〜! 来て〜!」みたいなこと言うのがめっちゃ苦手で、ホームページもないし、ブログも半年以上更新してないし、ライヴの告知もギリギリにしかしないし……それでも吐き出さないと死ぬので、たまたまそこに居合わせた人に投げかけて、何かが響いたら報われる、みたいな状況で歌ってました。歌の内容も歌い方も自分の殻に閉じこもるような感じだったし、たくさんの人に聴いてほしいっていうより──どっかでそれは思ってるんですけど──いかに誰かの心に何かを刺して帰るか、みたいなことでしか自分を確認できなかったんです。そういう状態だと、まぁ広がらないですよね。

──広報やPRが苦手なんですね。

 音楽活動のために何かをするということはまったくなくて、歌うことしかできないみたいな感じでした。自分のことしか考えてない状態ですね。それがある時期を境にだんだんと変わってきて、人と触れ合いたいって思うようになったんです。自分の中をなんぼ掘り返しても何もないってわかったときに、つながりたい欲求がすごく強くなって、作る曲も歌い方も変わってきた。そしたら、相変わらず告知とか全然できないのに、口コミで聴きに来てくれる人がちょっとずつ増えて、調べたら出てくるぐらいのところまで名前が通ってきて、オーディションにも声をかけてもらった……って感じだったのかなと。

──オーディションに出たきっかけは何だったんですか?

 いつもお世話になってる四谷天窓というライヴハウスの店長さんに「出てみない?」って言われて、「あ、え、あ……はい」って(笑)。「ぜひ〜!」みたいなテンションではなかったです。何をどうしたらいいかわからないくらい煮詰まってたというか、根本的にどう生きていけばいいのかわからないみたいな時期だったので、言ってもらえるなら出たいけど、そもそも歌う以前に人前に出れるの?みたいな。直前になって「無理かもしれない……ごめんなさい、他の人探してください」って言ったら「僕は純ちゃん以外考えてないから、出ないんだったらその回はおすすめする人はいないって答えときます」って言われて、店長さんがそこまで言ってくれるんやったら出ようと思い直して。一曲だけ一所懸命歌って帰ろう、と思って必死で歌ったら、拾ってもらえたんですね。


饗庭純1

●長いトンネルを抜け出して「ひとつになりたい」

──歌い始めたのは何歳くらいから?

 小学4年生くらいから合唱団に入って人前で歌ってはいたし、遊びで曲も作っていたんですけど、ひとに聴かせたのは高校2年のときが初めてですね。1年のときのクラスがめっちゃ楽しくて、クラス替えがイヤすぎて、何かを残したい、形にしたいって明確な思いをもって初めて音を作ったんです。音楽の授業の後に友達に聴いてもらったんですけど、「純ちゃん、それめっちゃいい!」ってすごい好きになってくれたんです。届いた!って思って調子に乗って(笑)、文化祭のとき体育館で歌ったら、お互い名前も知らんような先輩とかがボロッボロ泣いてて。「人の心ってこうやって動かせるんや!」ってすごい感動したんですね。それまではずっと会話ができない恐怖心があったんです。ちゃんと日本語でしゃべってるんですけど、別の惑星の言葉なんじゃないかっていうくらい理解し合えないみたいな経験をめっちゃしていて。でも自分が作った歌でひとの心を動かせて、心に触れられたときに、初めて会話が成立した気がしたんですよ。

──「これを追求してみたい」って思った?

 それで3年生のときにいくつかオーディションを受けたんです。通ったやつで「東京に出てこないの?」って言ってくれたところがあって、「大学に受かったら行きまーす」って言って受けたら受かったので東京に出てきたんですけど、なぜかその事務所では演劇コースに放り込まれてしまい(笑)。音楽で拾われたのに、音楽コースが整ってなかったんです。演劇コースで1年やって、それはそれで楽しかったんですけど、やっぱり音楽じゃないとストレートに心を出せへんって気づいて離れました。そこからはもう細々と。

──チャンスは何回かあったのでは?

 あったと思います。つないでもらったり、拾ってもらったり、声をかけてもらったり。でも、ずっと自分の殻に閉じこもってたんですよ。ひととつながりたくて始めたはずなのに、求めてるものが何なのか見失ってたんですね。自分を表現するってことにばかり目が行っちゃって、「自分って何だろう」って内面をほじくり返して、何も出ないからじゃあもっと掘ってみようって掘り進んでボロボロになっちゃう、みたいな空回りを何年もやってました(笑)。しかも自分がどうしたいのかが見えてないから、助けようとして声をかけてくださる方も「今はそんな感じなんだね」って離れていくし。

──その袋小路からよく生還できましたね。

 途中で「いや、自分なんか別に表現せんでいい」と気づいたんです。ただ曲の持ってる核の部分を全力で形にして、それが誰かの心に届いてくれれば最高なんやって、「わたしらしさ」というものをスパーンと捨てたんですよ。掘り下げる方向が違ってた。心を揺り動かされたときに(曲が)出てくるんですけど、それがいったい何を言わんとしてるのかってことに耳を澄まそうって決めて。それでできた曲が、驚くほど素直に「ひとつになりたい」って言ってたんです(笑)。わかりやすっ! だったらその願いを込めて歌おう!と変わっていって、すごい楽になって、素直に音楽を愛せるようになりました。それまで音楽めっちゃ好きなのにめっちゃ嫌いやったんですよ、苦しすぎて。それからは愛おしいものになったし、ひとに響くのもうれしくて。自分のことばっかり歌ってるときは怖くてしょうがなくて、「いいよ」って言われても「どこを聴いていいって言ってくれてるの?」って疑ってたんです。今は「いいよ」って言ってくれたら「心の中に居場所を作ってくれたんやなぁ」って素直に思えるようになりました。どんな形で届いても、その人が受け取ってくれた形が正解やって思って、聴いてくれる人を信頼して歌えるようになったんですよね。

──《ひとつになりたい》という一節が出てくる「チューニング」はそのころの曲?

 その前に「般若心経」を作りました。文庫本を御茶ノ水の古本屋さんのワゴンセールで見つけて、存在は知っていたけどよくわからなかったから、なんとなく手に取ってみたんですよ。100円で買って読んだらただひたすら感動して、気づいたら曲をつけてました。この世界はすごい響きに満ちてる、1ミリたりとも自分というものをねじ込むのはやめよう、と思って、般若心経の言葉をそのまんま音で追いかけていったら、自分の言葉というものから解放されて。そしたらなんか、すっごい音が生き生きしてたんですよ。宅録してCDを200枚限定で作ったら、すぐに売り切れたんです。奇を衒ってるって笑われるかなって思ってたんですけど、意外と普通に受け入れてもらえて、ちゃんとひとに届いてる、響いてると。だったらもう、自分じゃなくても素晴らしいものがあればそれでいいじゃないか、みたいな。そうして重みから解放されて、新たに出てきた素直な言葉が「チューニング」ですね。


──それは何年ぐらい前ですか?

 できたのは4年ぐらい前かもしれないけど、ちゃんと仕上げたのは3年前の2月ぐらいで、そのあと3月ぐらいに「チューニング」ができたのかな。前後関係はちょっと怪しいですけど、とにかく同じぐらいの時期にポンポンって。

──じゃあ変化してきたのはここ2〜3年ですね。オーディションに出たのはいい時期だったのかな。

 外に向かい始めて1年後くらいの時期でしたからね。むかし作った曲でも、わりと素直に愛情を歌ってるものとかもあったんですけど、何年も自意識の泥に囚われすぎてました(笑)。去年の10月に出したアルバム『Haku』には新しい曲も古い曲も入ってるけど、間がけっこう空いてるんです。「バニラレイン」は7〜8年前に書いたものだし。

●夢のようだった1stアルバム『Haku』の制作

──アルバムを作ろうという話が来たのは?

 去年の6月です。誕生日の日付が変わった瞬間に連絡をもらって、「CDを作りましょう。アレンジャーは出羽良彰さんにお願いします」って知らされて、感動のあまり泣きました(笑)。出羽さんがアレンジされてるamazarashiがめっちゃ好きなので。

──もともと弾き語りで聴いていた曲が多いのに、最初からこのアレンジを想定して書かれたみたいに聞こえたんですよ。素晴らしいアレンジだし、それに呼応して饗庭さんの歌も新たな引き出しが開いてますよね。さすがの名仕事だと思いました。

 わたし自身、最初からこういう曲やったみたいに聞こえてきて、元の曲がどんなやったか忘れちゃうんですよね(笑)。アレンジに曲のことをいっぱい教えてもらいました。弾き語りでやってるとできることがひとつしかないから、それしかできないって思い込んでたんですけど、「いやいやこの曲もっとあるでしょ。こういうことじゃないの?」って提示してもらった感じです。最初の打ち合わせ以外では一切、直接言葉を交わしてないんですけど、ずっと音を通しておしゃべりをしてたなって思って。いい意味でわたしの手元から曲がどんどん離れていって、客観視できるようになったっていうか。わたしのものではなくなってくれたおかげで、もっと曲のよさを引き出せる歌い方もできるようになったし。そういう風に入れ物を作ってもらえたおかげやと思います。


ミニアルバム『Haku』トレイラー


──原材料は饗庭さんが作ってるんだけど、それを使って作れる料理のパターンをひとつしか知らなかったのを、出羽さんが思いもしなかった調理法を見せてくれた感じですかね。で、食べてみたらすごくおいしかったと。

 おいしいサンマを釣るのがわたしの仕事で、「ほれ食え」って生のまま出してたのを、「これお刺身にしたらもっとおいしいかもよ」とか「焼いてみたら」とか「トマトソースで煮てみたら」とか、あの手この手でもっとおいしくする方法を、出羽さんだけじゃなくみんなで寄ってたかって考えてもらったんです。わたしも幸せですし、何より曲が喜んでました。高校生のときに初めてステージに立って歌ったときに人の心を動かせた、っていうのが最初のコミュニケーションの形でしたけど、それと種類が似てると思うんです。生まれて初めて音を通して会話ができた。別の惑星に来て言葉が通じない中で、自分が見ている世界をなにがしかの形で翻訳して、ひととつながれたのが音楽が最初なんです。その翻訳作業そのものを手伝ってもらえて、「同じ惑星の人?」みたいな(笑)。全力で信頼できる場所を作ってもらえたから、自分がやれることに全力を尽くせたみたいな。みんなで手を添えて磨き上げて、マスタリングが終わった瞬間、アルバムに対して「本当によかったね、こんな幸せな生まれ方ができて」って思いました。

──饗庭さんの多重コーラスも聴きどころですね。

 声を重ねるのが大好きなんです。「般若心経」を宅録したときも、データが重くなりすぎてハードディスクが飛んだくらい。もう楽しくて楽しくて、レコーディングの間ずーっとひたすら重ね続けてて、みなさんにめっちゃ迷惑をかけましたけど(笑)。「leia」では70トラック使ってます。

──「ハモるのが楽しい」っていうのは饗庭純という人を象徴する物事のひとつだと思いますね。言葉で何かを伝える人では本質的にはないというか。


ひどい(笑)。めっちゃ言葉にも思い入れありますよ!

──わかりますけど、論理よりも感情や官能といった言葉になりにくい部分に強みを感じる。極端にいうと何を歌っててもいい。だから架空の言葉が歌詞を構成する「leia」は象徴的な曲だと思えるんです。

 「leia」は世界観はめっちゃしっかりしてるんですけど、言葉が入ったらその邪魔になってしまうなと思って。意味がとれない言葉のほうがより揺さぶれるって、きっと本能的に察知したんでしょうね。

──ちょっと北欧〜東欧っぽさのある曲ですが、饗庭さんが影響を受けた音楽ってどんなものですか? さっきamazarashiの名前が出ましたけど。

 ビョークレディオヘッドコールドプレイオリガ(ロシア出身で日本で長く活動した歌手)とか。あとはエスキュウ・ディヴァイン(スウェーデンの音響系トリオ)とか、シークレット・ガーデン(アイルランド/ノルウェー出身のインストデュオ)とか、よくわからない民俗音楽のオムニバスとか。衝撃を受けた最初のアーティストがオリガで、彼女の音楽はもう完全に自分の中に分かち難く溶け込んでますね。そして何かをぶち壊してくれたのはビョーク。

──やっぱりヨーロッパ系が好きなんですね。

 ビョークは、混沌としてなおかつ調和していて、純粋で、暴力的でもあり、原初的な……そういうものに対する感性を開いてくれた巨大な存在です。最初、怖くて2年鎖国したんですけど(笑)、受け入れてしまった後は「この人が生きてる世界はまだ大丈夫」みたいな感じです。amazarashiは初めて言葉に希望を持たせてくれたというか。日本語の歌はほとんど聴いてなかったんですけど、うまく言えないんですけど、ものすごい心に響いたんです。めちゃめちゃ落ち込んでた時期にもう一回生きてみようって希望の光をくれたのが『夕日信仰ヒガシズム』(2014年)ってアルバムでした。命の恩人と勝手に思ってます。わたしを助けてくれた音を作った人のひとりである出羽さんが、自分のアルバムに関わってくださったのは「奇跡か!」って思います。


饗庭純2

撮影:安藤きをく

●ツアーファイナルのタイトルに込めた思い

──3月13日のツアーファイナルのアレンジも出羽さんだそうですね。

 もう最高なんですよ……! アレンジをいただいたときに、「送りました。ご確認ください。いい感じにできたので修正はしません(笑)」みたいなLINEをもらって、変な話、その瞬間にものすごい興奮と安堵を感じたんですよ。そこまで言ってくださるくらい作ってくれてるなら、もうわたしは安心して歌うだけだなって。それって自分の音楽人生でもらった言葉の中でいちばんうれしいひとことで、実際に聴いても、修正したい箇所がひとつもなかったし。最初からあるべきようにあった感じで。毎日毎日、ひたすらずーっと聴いてます。家の近所とかでヘッドフォンしながら歩いてて、気がついたら歌っちゃってて、みんな振り返る振り返る(笑)。でもそんなん気にしてられないくらい、今はワンマンのことばっかり考えてますね。

──それをバンドでやるんですか?

 わたしとギター(出羽良彰)、チェロ(吉良都)、ピアノ(西村奈央)、ベース(三九郎)、ドラム(橋谷田真)。リハーサルはまだなんですけど、最高のサウンドになると思います。聴かせどころしかない(笑)。わたし、ずっと弾き語りでやってて、好きなんだけどすごく限界を感じてたんですよ。その壁をぶち破る可能性を今、得つつあって。弾き語りの制約を全部とっぱらって歌に専念してつながりに行ったら、どこまで潜れるんだろう?ってすごく楽しみなんです。ちょっと怖いくらい。アレンジだけ聴いてても最高な音に、わたしが今まで歌った中でも最高にのびのびした歌を乗せたら、どうなるんやろって。できることをすべてやり切れることが幸せなんです。もし届かなかったら、合わなかったか、わたしがダメだったかどっちかしかない。

──仮に「つまんなかった」って言われても「そうですか、じゃあしょうがない」って晴れやかに言える感じですね。

 心底の愛を手渡したときって、受け取ってもらえなくても清々しいですからね。ただ難しいのは、聴きに来てもらうからにはわたしのものじゃないんですよ。わたしは最高に幸せなんですけど、自分がやりたいことをやって終わり、みたいなステージにはしたくなくて、どうやったら楽しんでもらえるのかなって。聴いてくれる人の心に寄り添いたいし、つながりたいし、その人にとって意味のあるものになってほしい。どうすればそれができるのか、毎日考えてます。曲を作っててもそうなんですけど、わがままを出すといいこと一個もないんですよね。聴いた人が自分のものだと思える形で、手渡すところまでちゃんとしたい。プレゼントをするときって、めっちゃ相手のことを考えるじゃないですか。そういうことを一所懸命考えさせてもらえてるのも幸せですし、わたしひとりじゃできない最高のラッピング、最高の音を作っている最中です。


「xとy」MV


──タイトル「Solen」の由来は何ですか?

 これは『Haku』リリース前夜祭のワンマン(2015年10月6日、四谷天窓)のタイトル「Sein」と対になってるんですよ。知らずに響きだけで「leia」で使った言葉なんですけど、調べたらドイツ哲学の用語で「あるがままの姿」という意味で。全力で愛情を注ぎ込んだアルバムのマスタリングが終わったときに、わたし、お母さんになってしまった……って思ったんですね。そして『Haku』と対話をして、どうやったらこの子に見合うアーティストになれるやろうって考えたんです。それで、リリース前夜祭は生まれたままの「Sein」。「Solen」というのは「Sollen」のもじりなんですけど、「Sollen」は「Sein」と対をなす言葉で「あるべき姿」って意味なんですね。ひとから言われて大事にしてる言葉で「アーティストは答えを出さなきゃいけない」というのがあるんですけど、「Sein」の後にいろんな場所で歌って、いろんなものに出会って、いろんなことが起きる、そのツアーのゴール地点に、ひとつの答えを出したいんです。「饗庭純というアーティストはこうです」という軸を打ち立てたい。3月13日のワンマンはそういう日なんです、わたしにとって。

──「l」をひとつ落としたもじりに込めているものは?


 あるべき姿を最初から決めたくないんです。たどり着いたところに現れたものとちゃんと向き合いたいから。アルバムリリース以後に見たもの、聞いたもの、気づいたこと、教えてもらったこと、すべてをもらって当日ステージに立ったとき、いや歌い終わった後にか、欠けていた「l」が何なのかがわかると。なんとなくイメージはあるんですけど、それは現時点での答えだから、ちょっとずつ変わっていくんです。当日duoのステージに現出するものがアーティスト饗庭純のあるべき姿なんだ、それを見せる日なんだっていう思いを込めて、「l」をひとつ落としました。

──お客さんも「Solen」が「Sollen」になるのに関わるわけですね。

 それはもう絶対です! 聴いてくれる人がいて初めてそこに立つことができるので、一緒に関わってくれるというか、表裏一体というか。欠かせないものですね。「あるべき姿」を一緒に作るというか、いてくれてることだけで、すでに作ってくれてるんだと思います。「お客さん」と呼んでもいいのかどうかわからへん。不思議な呼び方ですよね。

──形式的なものですけどね。商取引だから、お金をもらってそれに見合う娯楽を提供するのがエンタテイナーの仕事という。

 それしかわたしにできることはないので、全力を尽くします! 意志を持って聴きにきてくれるとはいえ、長い人生の中で見れば、たまたま居合わせただけやと思うんですよ。居合わせちゃった人の何かを揺さぶることができるというのは、わたしにとって人前に立って歌うことの意味そのものなんです。その人の人生の中で一瞬でも、癒されたりとか、報われたりとか、わたしみたいな──っていう言い方はダサくてイヤなんですけど(笑)──人間に生きてる意味があるとしたら、そこやなと思ってて。スタートからそれは変わってなくて、一時期苦しかったのはそれを考えないようにしてたからやと思う。そこがブレなくなってから、ライヴするのが愛おしいことになりました。

──高校の文化祭から始まった円環が「Solen」で一周すると。

 長っ(笑)! 何かひとつでも欠けていたらできなかったものが、いよいよできるんですね。幸せやわ〜。見に来てくれたらほんまにうれしいし、来てくれたらもう逃がさないよって気分です。最高にグッシャグシャに楽しませてやりたい(笑)。それに向けて作り込んでいる今が、不安も含めてめっちゃ幸せです。どうか気軽に会いに来てください!

(2016年2月24日)




饗庭純3

撮影:安藤きをく

 

[PROFILE]


饗庭純ポートレート

あいば・じゅん……【オフィシャルサイトより】『人間』そのものを歌う女性シンガーソングライター。

その赤裸々な言葉は時として鋭い刃のように心を切り裂くが、強さも弱さも、痛みも驚きも歓びも、汚ささえも全てを肯定した愛を、リスナーの深層心理へ届ける。NOTTV1「MUSIC にゅっと。」内で行われた弾き語り女性シンガーオーディション企画「ここでミラクル!」にて、審査員特別賞。以降ビョークの故郷アイスランドやイギリス、スペインなどを回り音楽修行を重ねる。2015年10月7日nyt recordsより1st mini album『Haku』リリース。 http://aibajun.jp




 

[RELEASE]


饗庭純 / Haku


饗庭純『Haku』ジャケット

2015/10/07発売 / nyt records

収録曲:[1] leia [2] xとy [3] チューニング [4] ストロガノフスキン [5] バニラレイン [6] Rainbow

amazarashiや大森靖子との仕事で知られる出羽良彰によるドラマチックなアレンジが饗庭独特のメロディと歌声のポテンシャルを十二分に引き出した初ミニアルバム。架空の言語で歌われる「leia」を筆頭に、R&B歌謡調の「ストロガノフスキン」や、弾き語りに近いスタイルの「バニラレイン」などバラエティ豊かな6曲を収録。ラストの「Rainbow」は現代日本に高らかに響いてほしい多様性賛歌だ。

 

[UPCOMING EVENT]

『Haku』Release tour final -Solen-

日時:3月13日(日)開場16:30 / 開演17:30

会場:shibuya duo MUSIC EXCHANGE

料金:前売¥3,000 / 当日¥3,500(1D別)

 ※整理番号順入場 / 全席自由

チケット:チケットぴあ : P-Code【278-042】/ ローソンチケット : L-Code【76070】

お問い合わせ:shibuya duo MUSIC EXCHANGE 03-5459-8711




bottom of page